同じ


店の裏手にあるおんぼろの洗濯機にシーツと洗剤を入れ、いつものようにぐるぐると回し終わってから部屋に戻って来ると、中は空っぽになっていて、いるはずの人がいない。
シャワーに行ったきりまだ部屋に戻ってないのか。あるいは、外に酒でも買いに行っているのかもしれなかったが、部屋を見渡すといつもの財布はステンレスの流しの上に置きっぱなしになっている。
明日はあの人に昼から仕事の予定が入っているので、今日は最後までしていない。その手加減の分、布団の上から起き上がることは出来たに違いない。
鍵も掛けずに部屋を出入りする男のいつもの不用心に、僕は大きなため息を吐いた。
シーツを付け替え、布団の上に上掛けを敷きながら、あの人のこれまでの人生での引っ越しのことを思い返した。
僕と知り合う前には、師匠の家から安アパートへの移動があって、次はその安アパートから、通勤に便のいい築浅のアパートの2LDKを挟んで、マネージャーが探して来たオートロックのマンションへ。車を買って僕に運転を任せるようになったのは、マンション住まいの時代で、マンションの部屋の鍵は、車の鍵と一緒になっていた。さすがにあの頃は部屋の鍵を掛ける習慣はあったはずだ。
かつての、僕の知らない内弟子修行中の頃はずっとこんな感じだったのだろうか。
そんな風に思っていると、ただいま、という声が玄関から聞こえて来た。
ドアを開けて、戻って来た年下の男の姿を目のあたりにした僕は、真夜中だというのに声を上げそうになった。
普段からこの人がよく口にする『どないやねん』というツッコミを相手にそのまま返したい気持ちになったが、一度口を閉じて心の中で深呼吸をした。
「……まさかその格好でシャワー浴びに行ったんですか?」
「別にええやろ、湿気て蒸し暑いし。……今はパンツ履いとるで。」
目の前で持ち上げられたパジャマの裾からは、夕方取り込んだばかりで部屋の隅に畳んで置いてあったパンツの、趣味の悪い柄が見える。その下は素足だ。
見せんでええ、と反射的に言いたくなったが、行く時はパジャマだけか、と頭の中で想像していいように動揺させられたことをこの人に知らせたくはない。
それに、僕が窘める言葉を言ったところで、こうした軽率な振る舞いは改まりはしないだろう。ただ油断してるだけなのだ。
「あかんことはないですけど。」と辛うじて絞り出した言葉に、ふうん、と気のない言葉が聞こえて来た。
だから、それを止め、て言うてるのに。
足りないから不満で誘ってるのかと勘違いして手を出して拒否される、というパターンを何度か繰り返して、僕はこのところになって漸く自制を覚えたところだった。
「あ、布団悪いな。」
どうぞ、とコップに入れた水を差し出すと、ん、と相手はそれを受け取ってすぐに飲み干した。
「もう寝ますか?」と尋ねる。
年下の男は、いつもなら、多少の照れもあってか、そのまま何も言わずに頷いてそそくさとした様子で布団に入っていく。
今夜もそこまでは同じで、僕も続いて上掛けを持ち上げて隣に入ったのだが、背中を見せる彼が珍しいことにこちらと目を合わせて「あんなあ、しぃ、」と口を開いた。
「この辺のこれ、……もう秋冬のことやないし、あんまほいほい跡付けるな。」
別に、ええやないですかそのくらい、と言おうと思ったが、そんなら夏の間はせえへん、と拗ねられるのはちょっとどころではない面倒だった。
少し考えた後「上から浴衣着たら、外からは見えへんでしょう。」と相手の出方を伺ってみる。外でそれ以上脱ぐわけでもなし、最悪、襟首の詰まったTシャツであれば隠れるところに入れている。
「もう夏やし、オレかてたまにはサウナとか行きたいやん……。」
………は?
サウナ?
サウナ、て言ったか、この人。
なんでそんなとこ今更行くんですか、ハッテンバみたいなとこやないですか、と百パー偏見交じりのコメントを言おうとして口を閉じる。
僕かて、この人との付き合いにぐだぐだと悩んでいた時期が多少はあって、その時期に、瓢箪から駒の要領で得た半端な知識しかない。まあ万にひとつもないとは思うが、ハッテンバて何や、と問われて回答を拒否したところで、この人から草原兄さんに尋ねられでもしたら多少は残っているはずの僕への信頼もすっかり揺らいでしまうだろう。
「そもそも、サウナなんかまだ行ってるんですか。健康にいいとか言うの、今は眉唾らしいですよ。血液はドロドロになるし、血圧も上がったり下がったりするし。」
「そうなんか?」
「風呂入りたいだけなら、その辺の銭湯とか行ったらええやないですか。」
「オレは昔っからサウナ派なんじゃい。」
「昔っから、て。もしかして、内弟子修行の頃からですか? あの家から気軽に足を延ばせるような場所にはなかったと思いますけど。」
一番近い銭湯だって、歩いて十五分とかそんなものだった。
暑い夜も寒い夜も、銭湯にだけは通うことにしていたが、僕はもう少し離れたところまで歩いていくことが多かった。
その通り道に見つけた煙草の自販機でひと箱買って、川縁で夜景を見ながら一服して、煙の匂いを風呂で洗い流してしまうのが楽だったのだ。セブンスターが二百七十円とか、今のようにコンビニが多くもないので街の薬局の横には必ずコンドームの自販機があるような、そういう時代の話だ。
「うちからはちょっと離れるけど、梅田に寄ってったらあったからな。」
その言葉の裏には、ここにはいないはずの二番弟子だった男の存在があるように思えた。きっとそうだろう。アホみたいな小さなことで張り合って、兄弟子と同じことはしたくないと無駄に意地を張るところは、ずっと変わらない。この人の中に根を張っている。
僕と居るときには他の男のことを考えんといてください、とは、言いたくても言えない。
そうしてしばらく相槌も打たずに黙ってると、鈍いにも程がある兄弟子は「一番近い銭湯入りたかってんけど、草々と同じ風呂嫌やねんもん…オレのよりデカいから、見ると腹立つし。」と言った。
その発言に、僕は眉が上がるのが分かった。
はい?
草々兄さんのあの逸物を見たくないからって、サウナに行くような助平なおっさん共に、ほいほいと、その骨みたいな身体を見せてたんですか?
目の前が赤くなったような気がして、気が付いたら布団の中でまた兄弟子の身体をまたいで上になった。
「草若兄さん。」
「お、おう。」
なんや、と言いながら目を逸らしてるところを見ると、こちらに火を付けるような物言いをした自覚はあるらしい。
たじろいでいる相手に、「やっぱり抱かせてください。」と小声で耳打ちする。
「……おい、四草、……ちょ、待てて。」
「待てません。」とパジャマのボタンを外しにかかると、まだ触れていない兄弟子の股間が多少膨らんでいるのが分かる。
「そもそも、お前が、あれで仕舞いにする、て言うたんやろうが。」
「止めにするのを止めました。」と、僕はしれっと開き直る。
こちらの言葉に赤くなって顔を逸らすところを見ると、相手も今夜は拒否したいわけではないらしい。僕が準備しますから、と言うと、真っ赤になった年下の男の口から、してきた、と小さな返事が返って来る。
「……はい?」
「やって、お前オレが準備してない日に限ってやっぱ続きシたいとかいうやん。……するんかなて思ってたら、準備した日ぃは手ぇ出して来んし。」
は?
「次からしたい日はしたいて、ちゃんと言うてください。」
「だから、オレがしたいんとちゃうくて………お前がオレとしたいんとちゃうんか。」
それ、もうほとんど同じことでしょう。

僕は益体もないツッコミを口にするのは止めて、目の前の可愛い男の口を今すぐ塞ぐことにした。

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