盛夏


盛夏という言葉がこれほど似合う日もないだろう。
夏の容赦のない日差しの中を歩いていると、人は砂漠を歩く旅人のようになるものだ。
ドアを開けて目の前に飛び込んで来た光景に、僕は目を疑った。
狭い部屋に一台きりの扇風機の前を占領している男が、オレンジのランニングシャツとぺらぺらのトランクス一枚きりで、馬鹿みたいに口を開けて『あ~~~~~~~~~。』と声を出していた。
隣の自室ではない場所、というより、僕の子どもの前でこの兄弟子がここまでだらしのない格好になっているところは見たことがない。
その子どもはといえば、男の隣で大の字になって昼寝していた。すうすうという寝息がここまで聞こえて来る。
なんやこれ、と口に出さないのがせめてもの理性だろう。
「ただいま戻りました。」と言うと、兄弟子は、不味いところを見られたという顔をするでもなく、「おかえり。早かったやないか。」とこちらに顔を向けた。
「今日はずっとその格好やったんですか?」と聞くと、そんなわけあるかい、と男はこちらを睨みつけた。
「おちびが銭湯行ったことない、て言うから、ここから近いとこに連れてったんや。ほんまはプールにでも連れてけたら良かったんやけど、俺らが子どもの頃と違って、今はもうどこ行っても芋洗うみたいになってるやろ。お前が戻って来るの待って、水浴びしてても良かったけど、共同のシャワーを子どもひとりで占領させてんのもどうかと思うし、それに、オレもミックスジュース飲みたかってん。」
最後のひとことの後で輝くような笑顔を浮かべている辺り、どちらが先に行きたいと言ったかという疑問の答えは明々白々だった。
そら、大人に銭湯行ったことあるか、と聞かれたら、子どもはまだ行ったことない、て返事を返すしかないでしょう。そんなことをつらつらと考えながらも「……そうですか。」と口にするに留める。
別に、羨ましいとか、除け者にされたとかは思っていない。
こんな日に、朝席のトリの仕事を入れてしまった僕が悪いのである。
このところの暑さはほとんど殺人的で、ビルのクーラーの排気が熱風となって駆け巡るオフィス街にほど近いのもあってか、十時を超えても二十五度を下回ることのない熱帯夜が続いている。
朝席も昼席も、涼しいクーラーの利いた特等席に席料を払って、昼寝をしに来た年寄りやサラリーマンでごった返しているような状態だった。
夏には、落語という娯楽それ自体より、涼しさが求められるのも、言うならば道理だ。
僕が天狗座で師匠の算段の平兵衛を聞いたのも、こんな夏の日のことで、舞台では、紗の着物を着た師匠が、見ているものが背筋の寒くするような平兵衛を演じていた。
クーラーのような便利な機械が発明される前の時代は、夏場にはそうした話を選ぶことによって、小屋に来た客が寝ないようにと工夫がされていたのだ。
いびきをかいてるおっさんや爺さんもいるのが高座からは丸見えで、僕自身も、不心得な客には、そんなに寝たいなら映画館へ行けと尻を蹴飛ばしたいところではあるから、まあ気持ちは分からないでもないが、怪談話は今はもう古臭い、と言って避けたところで、定番の古典を掛けてみたが、起きんもんは起きん。そんな夏に良くある光景が、客に馬鹿にされているようで気に食わないという、かつての尊建兄さんのようにアホなぺーぺーもいるにはいて、僕はそれなりの年のおっさんらしく、このアホの師匠はどないしとんねん、と思いながらも、口出しせずにただ見ていることが多い。
年々、自分の弟子がおったらこうするな、と思うことも多くなっていくし、実際草々兄さんとこの若いのにはこっちも遠慮がないのでそれなりに口も出してるわけで、まあこういうのは年食った証拠やな、と思わないでもない。
くだらないことをつらつらと考えながら、冷蔵庫の中にある冷やした麦茶を取り出してコップに注いでいると、「いつもの財布から金借りたけどええよな。」とこちらを伺うように言われて、僕は「ありがとうございます。」と返した。
いつもの財布というのは、僕が子どもに日用品を買う時に使えと言って引き出しに入れっぱなしにしている薄紫の長財布のことだ。子どもには、腹が減ったときや、学校で必要なシャーペンの芯やら墨汁を買ったり、給食費を払う必要があるとかそういうときに使うようにと言ってある。子どもに使う分には借りるというよりただ出て行くだけのことになるのだが、この人はどうしてか、毎回借りる、という言い方を選ぶことが多い。もしかしたら、今日みたいに外で水分補給の代わりにジュースを飲むときなどに、子どもがおとうちゃんの財布から出したろ、などと言って強引に支払いを済ませることがあるのかもしれなかった。
僕自身も、外で流した汗の分水分を補給する必要があると思って、麦茶を二杯飲むと漸く人心地が付いた。
塩も入れた方が良さそうに思うが、一応日暮亭で草々兄さんところの内弟子が作ったキュウリの浅漬けを食べて来たのでそこまでする必要もないかと思い直す。
「お前こそ、その格好で戻って来たんか?」
珍しいやないか、と言う言葉に「外、暑いですから。」と返す。
今日は天満宮の奉納花火のある日とあって、浴衣で外に出ている人間も多い。
そういう人出に紛れて浴衣を着ることが出来る日を活用しない手はなかった。
天狗座の目の前という立地であればこそ、夏になれば、この部屋の近所で浴衣を着ている人間は多いが、この界隈を一歩出れば、サラリーマンは上下のスーツ、私立に通う子どもも、小学生から暑苦しい制服を着ている。
落語の世界にいればこそ、人から言われるがままに、杓子定規に普段の格好を続けている向こうの方が底抜けのアホに見えるが、世間は逆なのである。
「ついでに買い物してから戻ってくるつもりやったけど、外が暑すぎて止めました。」
灼熱の日差しは傾く気配もなく、歩くだけで汗はだらだらと流れていく。
短パンにサンダルというのは、この年では流石に――子どもが隣に同じ格好でいない限りは――厳しいものがあり、そうした巷を歩く必要があるのだから、多少はこうして格好を考えるのだ。
浴衣は、ズボンと違って足首に風が通る分、多少は過ごしやすい。
「そないしたら良かったやないか。こないな日なら余計、スーパーの中のが、クーラーガンガンに利いてるで。」
「大店のこいさんみたいに日傘でも差せれば別ですけど、こんな陽炎が見えるような日に外をうろつくのは、底抜けのアホだけですよ。日の落ち切ってないこの時間に、スーパーからここまで、日陰もそうそうない道を歩いて戻って来る必要があるのが分かっていて、出掛けられません。」
「ま、それもそうやな。」
普段にこんな和装で外をぶらつこうものなら、こいつ芸人かテキヤか、という視線で何かとじろじろ見られることがほとんどで、どんな上品に見える柄を纏ったところで、こちらの生来の育ちの悪さが透けて見えるのか、花かお茶のお師匠さんかと妙な具合に間違えられることはほとんどない。
汗を吸った浴衣はもう着替えてもいいだろうと普段のTシャツとGパンを出していると、「夜に日が落ちたら寝床行くか?」と言った。この部屋では、夜は素麺茹でるか寝床に行くかの二択である。
延陽伯が空いていれば、まかないの中華を食べることも出来るが、この暑さで野菜のオイスターソース炒めをパクパク食べられるのは元気な子どもだけで、大人の胃袋にはそこまでの元気がない。
「まだ腹減ってないですけど。」
「そらこの時間ならそうやろうけど、行ったら行ったで食えるもん出て来るからな。お前その前に汗流してきたらどうや?」
そう言って、扇風機の前で顔を当てている。
この角度からは、無防備なうなじが見える。髪は半分洗い髪のままで、自然乾燥に任せたといった様子だった。
そろそろ整えてくる必要があるけど、次の高座の直前でもええかと思って、と言っているうちに伸びて来た襟足が目を惹いた。
かつて、朝に夕にとテレビ出演していた頃のこの人であれば、夜に出掛けるとなれば、さっとドライヤーで乾かしてセットしてからという感じでいたけれど、今はもう子どもと一緒にタオルドライだけで、上にTシャツとボトムスを穿いた気の抜けた格好で歩いて来たのだろう。
草若兄さん、と名を呼ぶと、ん、という声が聞こえて来る。
膝を折って前に座ると、ふい、と顔を逸らされた。
すい、すい、すい、とキスを仕掛ける度に逃げられて「なんでですか?」と聞いてみる。
隣で寝てるのにそんなん出来るか、と頬を赤らめて口をとがらせている。
起きませんよ、と僕が言う言葉に「……汗臭いんじゃい。」と言って反論してくるところを見ると、聞き入れてくれる気配はないようだった。
シャワーして来るから、させてください、と言うと、夜でええやろ、と言う言葉が返って来る。
だから、もう少しちゃんとした格好してくれたら、僕も大人しくしますけど。
ほんとにええんですか、と言って肩に手を置いてランニングシャツの上からはっきりと見えるようになった乳首を押すと、あ、と小さい声が返って来た。
「……ドアホ。はよ行ってこい。」と言う言葉を引き出した僕は、そうします、と言って顔を近づけた。
ミックスジュースを飲んだという唇は、今は麦茶の味がするばかりだった。

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