顔剃り


「この店、週刊誌置いてないんか? オレが小さいときはなんやもっと色々あったやろ。」
漫画とか、電車の網棚に置いてありそうな週刊誌とか。
「週刊誌なあ……まとめて捨てるのもこの年で面倒になってしもてなあ。こういう、読み終わったら近所のおばちゃんに持ってって貰えるようなもんしか買わへんようになったねん。そない言うたら、あれ何年前やったかな。」
「まあ、タウン誌が悪いて話ではないねんけどな……。」
まあ、喜代美ちゃんとどっか行こか~、ていうのに流行りの店のひとつも知らんとなあ。
パラパラ~とめくってみたら、なんやレトロ喫茶店ブームて書いてあるし。
……ここのプリン、美味そうやなあ。
店の中にええ感じに光さしてくるし、チョキチョキ、チョキチョキ……ハサミが髪切ってる音聞いてたら、なんや眠くなってくるで。
ふああ。
「そういえば、この辺にあったカラーボックスとかどっか行ってしもたなあ。」
「そら、いつの話しやねん。草々と一緒に先代の草若のとこに入門した頃の話しやないか。小草若の時代に『底抜け~』て言うて全国回ってる間に、店に来るのが今みたいにご近所のおっさんとじいさんばかりになったから、オレもいつか爺さんになるやろうし、けつまずいたりせんようにいらんもんほかしとこ、って、こないして模様替えしてしもたからな。」
磯七さんがこっちを振り返った。
あ、ちょっと!
「あっぶないなあ、ハサミ、ハサミ……!」
「おっと。」
おっとやないで……なんで今日に限って草々のとこのアホ面の弟子がおらんねん。
オレもおチビと一緒にカットしてもらおと思ったのに、今日に限って落語会の手伝いて。
まあ、オレだけまた来ればええ話やけど。
「おっちゃん気ぃ付けてや~。僕がお父ちゃんと違て鼻ぺちゃんこやからちょっと切れたくらいでええやろ、って、安心しきってたら困るで。」
「すまんこっちゃで。……それにしても、なんや言うようになったなあ。この子、落語家の素質あるんとちゃうか?」
「そうかなあ?」
「そうやで。」と磯七さんは気軽に言うとるけどなあ。
落語家の素質ある~とか、そんな簡単に言われても困るわな。
どんだけ素質があったかて、物になるかは分からへんてオヤジも言うてたし。
「……落語家やで? 四草のヤツも自分の名前継いでほしいとか思てへんのと違うか?」
あっ、今の、口滑って余計なこと言うてしもた。
いや、今おチビの肩びくっとしてへんかったか?
気のせいやとええんやけど……。
なんかそういうのうちではデリケートな話題なんやからちょっと場と空気選んでやってくれへんか……て、今更口にするのもなあ。
「別に四草やなくてもええやないか。親とは別の師匠のとこに修行に行ったかてええんやから。」
「草々のとことかか?」
「おい、お前はもう師匠て言われる年なんやぞ、何拗ねてんのや……。」
「拗ねてへんて。」
今日はあかんな……ところてんみたいに口がつるつる滑ってまうがな……。
「大体、オレみたいな年食った人間が拗ねたとこで何もええことないやんか。」
他の師匠か。
おチビにとっては、そういうのもひとつの道かも知れへんなあ。
落語家以外の未来も、オヤジとは別の師匠に就くことも、オレは考えたこともなかったからなあ。
「第一、草若の名ァを継いだんやから、お前が預かったってええんやで。」

せやから、それ止めぇ~~~~~!

……とは流石に磯七さんには言われへんな。
日暮亭建ててからもずっと、細々とでも毎回年会費とか払ってもろてるし。
「オレが師匠しとうても、弟子なんか、一人ではどうやったって預かられへんで。」
それよりなにより、僕かて草若ちゃんが師匠ていうのはちょっと、ておチビに正面切って断られたら、この繊細なハートが爆発してまうがな……。
「そら、他のとこならそうかもしれへんけど、徒然亭は他の一門とはちゃうやろ。」
「……?」
どういう意味や。
「草々のとこでも若いもんに稽古場を開放してるし、若狭もおる。」
そら、上方落語三国志の柳眉のとこでも弟子取ったけど稽古つける場所ない、て柳宝師匠の家で稽古付けてもろてるて話聞いて、真似するタイミングを見計らってるだけで。
「稽古かて、お前が寝てる時は草原やら草々にさせたったらええやないか。」
「そらまあ、そうですけど。………えっ? なんでオレのお稽古まで、兄さんらに分担させる前提になってるんですか?」と言うと、おチビが吹き出した。
「……そうかて、お前が真面目に稽古付けてるとことか想像出来へんで。草若かて、時々草原に稽古の順番回したりしてたんやろ。」
「そら、草原兄さんはオヤジの筆頭弟子でしたから。でもオレの弟子とはちゃいます。」
「そら分かってるがな。あ、ラクやから言うて、四草に丸投げするのはあかんぞ。どうせあいつ、弟子出来たりしたら絶対先代草若の『算段の平兵衛』教えたりたい言うて、無茶するやろ。……若狭かてアレ、最初の稽古『ちりとてちん』やったしなあ。あいつ何かあると草若の真似したがるヤツやし。」
人の話、聞いてへんな、このおっさん。
第一、『算段の平兵衛』なら今はもう、四草も草々の弟子に暇見て教えとる訳で……て何でそんな最新情報知ってんのや、て言われたらまた藪蛇になりそうな気がするな。
くわばら、くわばら。
「ほれ、最後は顔剃りやから、もうおしゃべりは終了やで~。」
ってほとんど磯七さんがしゃべってたんですやん。
ほんまの落語家の素質て、何やろうなあ……。前に喜代美ちゃんに似たようなこと聞かれた時も、オレ答えられへんかったもんな。今時、そういうのを全部持ってるヤツは漫才行くし。
……ま、ええか。今度草原兄さんに会うたら聞いてみよ。
オレも顔剃りだけお願いするかな。
ちょっとした値段やけど。
このくらいの贅沢ならええやろ。
ほかほかのおしぼり顔に当てるの、最近出来てへんしな~。

「この後予約入ってへんなら、オレの顔剃りもお願いします。」
「おおきに、ありがとうさんやで。」と磯七さんが答える。
あ~、危ない、危ない!
せやから、こっち見んでええて言うてるのに。


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