あまいまどろみ - 飯P
瞼のうらに差し込む眩しさにまどろむ意識が吊り上げられる。悟飯は顔に降りかかる光の波から逃れようと身をよじったところで、強張った首裏が嫌な音を立てて目が覚めた。固くしびれる腕の痛みで机にうつぶせに寝ていたことを知り、耳に障る鈍い音が自分の呻きだということも起き上がってからわかった。
机上の時計を見れば、確かに朝の訪れの刻を指し示していて、眠たい記憶の中では短針が3を過ぎていたのは見た覚えがあることから、小一時間ほど寝ていたと判断を下した。幸い、書きかけの途中だったレポートはすさまじい誤字脱字と意味不明な数字の羅列が残っていたが、少なくとも必要な限りのデータは残っていた。ぐしゃぐしゃになった資料によだれのあとが残るのは悩ましいが、コーヒーをひっくり返した形跡もない。ひとつ、覚えのないものといえば肩にかかったあたたかなブランケットだけだ。
ふと、首筋に触る気配に首を巡らせて部屋を見回してみれば、光の射しこむ窓とは対角の壁際に見慣れた姿がある。
「ピッコロさん」
寝起きで吐く息と一緒に呼ばわった名前は掠れてうまく形にならなかった。音は小さくても、その人には十分なはずであるのに、マントを纏ったままの全身には身じろぎ一つなく、気も常になく穏やかに小さい。
「ピッコロさん……?」
今度は極力声を絞って悟飯はピッコロを呼んだ。もし寝ているのならば、起こすことはしたくなかった。
そうっと腰を椅子から持ち上げ、足音を忍ばせてピッコロの正面へと身を屈める。うつむきターバンの陰になっていた相貌はやはり気と同じく剣も少なく、瞳は珍しくしっかりと閉じられていた。浅くはあるが、規則正しく上下する肩で寝息も伺い知れる。幼少より長く時間を共に過ごしてきた悟飯だったが、ピッコロの寝息を聞くのははじめてのことで、そのあまりの穏やかさに、子守歌より安らかに眠りへと誘われそうで危うく屈めた身体を後ろへ倒すところだった。
重たい瞼をこらえながら、ピッコロさん、と今度は声にも出さずに音をなぞる。念じて伝えることもせず、胸にこみ上げるいとしさのまま表情の落ちた頬を爪肌でなぞりその輪郭の柔さを味わう。
「ピッコロさん、キスしてもいいですか」
明瞭な音に載せた言葉は、眠気だとか惚気だとかをすっ飛ばして、悟飯を驚かせた。目が覚めたままの寝言にしては大きすぎたものの、まだピッコロに覚醒の気配はなくほっと胸をなでおろす。思わず口をついて出てしまった言葉だったが、言ってしまったからには実行せねばなるまい、と謎の使命感が悟飯を支配する。ピッコロに悟飯の声が届いていたとしてもいなかったとしても、今がその時だ、と。
固い床板に膝をつき、組まれた足をまたいで腰のかたわらへと腕をつく。詰めた息が肺を破裂させるか、暴走しはじめた心臓が胸を打ちのめすかどっちかな。緊張に乾く唇をひと舐めして、悟飯は奇妙に冷静な頭の隅でそんなことを考えた。
鼻で鼻梁をなぞって、うすい唇に唇がたどりつく。軽いふれあいに留めようとして、名残惜しさからか離れる一瞬にちゅんと鳴ってしまった口先があまりにいとおしく、二度三度とぬくもりを重ねていく。
「────寝込みを襲うとはいい度胸だな」
「わあっ…………!!」
夢中になってぼんやりとしていた意識に、はっきりと触れた声が悟飯を現実へ引き戻す。とっさにとびすさり、閉じられていたはずの片目がちらと覗いているのにすぐさま距離を開くも、瞬く間にピッコロが体を起こして詰め寄られる。
「ごめんなさ、ぐぇっ」
仕置きか恫喝か、覚悟した叱咤に固めた全身は打撃を受けることはなかったものの、容赦なく喉元が絞りあげられ潰れた悲鳴が飛び出す。ふわ、と地を離れた足先に持ち上げられたことを理解した次の瞬間には、上下も左右もひっくり返されて、おぼつかない視界にようやく見えたのは逆さになったピッコロと見慣れた高い天井だった。
「え、ぁ、ピッコロさ……」
「うるさい、ビーデルたちはまだ寝ている」
どこからともなく現れて、肩からつま先までをすっぽり覆って降りかかるブランケットはやはりあたたかい。ソファの上から、先ほどと同じ位置同じ寝の姿勢に入ったピッコロを目で追って、そこでようやく悟飯は「甘やかされている」と気づいた。
悟飯がピッコロにキスを願ったのは、実ははじめてのことではなかった。蘇った父親と共に修行の日々を重ねていた幼い時分にも、今さっきと同じように息を詰めてこの人の口づけをもらおうとしたことがあった。夜半に目覚めて、足を組み腕を組んで目を瞑っているピッコロへとぼんやり近づき、寝息ひとつなく、呼吸をしているのかも定かではない口に頬を寄せたことがある。口づけを切望した当時の想いがなんと名付くものだったのか、当時は定かではなかった。もしかしたら恋しさか、寂しさだったのかもしれない。
先程ついにピッコロの寝息を耳にして、じゃああの時のピッコロさんは実は起きていたのかもしれないと少しだけ懐かしい恐れが胸のあいだに吹き込む。
「ピッコロさん、起きてたんですか」
怯えと、期待にない交ぜになった胸中が苦しく悟飯の呼吸を苛んで、たまらず吐き出してはみたもののピッコロが答えることはなかった。また、聞こえるか聞こえないかの呼気に耳を澄ましてみても、悟飯の耳には遠く聞こえることはない。
「……怒って、くださいよ」
甘いまどろみが涙に溶けて、頬をすべったしずくがブランケットに吸い込まれる。引き閉じられたカーテンのむこうで、夜明けが訪れようとしていた。
@__graydawn
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