お題:任務が終わった帰り道
任務からの帰り道だった。最近動きが少々怪しいからとエーテリアスの残党狩りに駆り出されて向かったのは年末から大人しくなっていたメリノエホロウ。そこそこ広さもある上に、複雑な構造、そしてどこを見渡しても真っ白な空間は、自覚している以上に時間の感覚を狂わせた。体感で3〜4時間程度かと思っていたが、事が終わって出てきてみればほぼ半日を費やしていて。お陰で日の高い時間に始まった任務から解放されたのは、そのお日様が水平線の彼方へ沈んだ後だった。
他に急ぎの業務もないのでと直帰を言い渡され、第六課の面々とも現場で解散した。体と頭は確かに疲れていたけれど、色のある景色を見たいと思い立ちポート・エルピスに立ち寄ったのが悪かった。
「あちゃー」
灯台から空を見上げていたので嫌な予感はしていたのだ。髪と鉢巻を弄んでいた潮風から、市街地へ戻る頃には雨の匂いも強まった。141で買い物を済ませ急ぎ足で地下鉄の改札へ滑り込んだ直後、無遠慮な雨粒が昼日中の太陽に焼かれたアスファルトを打ち始めた。帰宅までもたなかったかと、ネオンの明るさで夜でも分かるほど立ち込めた雨雲に気持ちまで塞ぐ。
夜も更けた時間のせいか、それとも空模様のせいか。人も疎らな駅構内をエスカレーターに運ばれ降りていく。ホームから吹き上がってくる風は乾燥していて、外よりは涼しいのがまだ救いだろう。最寄り駅方面へ向かうホームで待つこと数分、ホーム同様に乗客も疎らな電車へ乗り込み背後で閉じたドアにそのまま背を預けた。
ほどなくして動き出した電車の揺れに抗うこともなく、腕から下げたコンビニ袋と自分の足が占める景色を眺める。乗客は個々に時間を潰していて、聞こえてくるのは車輪と車体が揺れる音。ふと、何気なく視線を上げて視界の端に見慣れた姿を捉えた。車両内では各シートに間隔を大きく空けて数人ずつ座っている程度。その中で向かいのシートの一番端、膝に乗せた鞄の持ち手を握りしめて振動に揺られている。
「あれ、月城さん?」
いつもの飾り紐はないが、緩やかな三つ編みを肩から前に流したその人は紛れもなく現場で解散したはずの同僚であり上司だった。違和感を覚えたのは、寄り道をしていた自分と電車が被ったことだ。少なからず3時間は経っているし、彼女がこの電車に乗っているということはH.A.N.D.から出てきたばかりなのではないか。ほとんど確信に近い予感に、電車の揺れに抗ってシートへ歩を進める。
「お疲れ様です」
どこかぼんやりとした様子から一気に覚醒したらしい彼女の視線が向けられる。声をかけた人物を認識した瞬間、ほんの僅かに見せた気まずそうな表情でこちらも彼女の足取りを確信した。
「他に急ぎの業務はないんじゃなかったでしたっけ?」
「報告義務はありますから」
「報告書の提出義務は原則3日以内って記憶してましたけど最近変わりました?」
「提出が早いに越したことはありませんので」
「……はー」
ああ言えばこう言う。どっかりと隣に腰を下ろして足と腕を組む。腕に引っ掛けたコンビニ袋がガサガサと音を立てるのに被せてもう一度特大の溜息を吐いてみせた。
「月城さんがそういう人だってことはよーく分かってるつもりですけど、だからってそれを良しとするつもりはありませんよ」
自分の事を荷物棚よりも高く上げて自己犠牲を言外に責めれば、俯いた月城さんは目に見えて小さくなった。それはそれでかわいそうになってしまう自分も大概甘いというか、傷つけるのは本意ではないのだから仕方がない。
「お願いですから、自分を労わってくださいよ。月城さんが倒れたら六課は出前だって頼めるかどうか」
いじめすぎも良くないと冗談めかして釘を刺す。彼女ならばしっかりと受け取ってくれることは織り込み済みで。もう一押しをしておきたくて、コンビニ袋からミネラルウォーターのペットボトルを一本取り出し俯いた頬に当てる。飛び上がる勢いで再び顔を上げた月城さんは寸でのところで悲鳴を上げることは自制したようだった。
「副課長の代わりはできても、月城さんの代わりはどこにもいないんですから」
ペットボトルを掴んだ彼女にそのまま託して手を離す。続けて見計らったかのような車掌のアナウンスに立ち上がり、開く予定のドアへと近づく。背後では小声で何か抗議しているようだったが、反論は受け付けないつもりで振り返りもしない。途端に車窓から見える景色が明るくなった。
振動が収まり軽快な音とともにドアが開くのを待って、生ぬるい風の吹くホームへ降り立つ。最後くらい彼女を見送ろうかと踵を返すために右足を引いたところで、シャツの袖を引かれた。
「っ、悠真の代わりもいませんからね……!」
柘榴色の瞳がまっすぐに僕を射抜いて、あくまでも囁くほどの小さな声で、けれど予想外に大きな楔となって胸に落ちてきた。その衝撃たるや、ホームから電車が見えなくなっても暫く動くことはできなかった。
「……はー……」
車掌の『お下がりください』というアナウンスがなければ、自分はここには立っていなかったかもしれないし、ここにもう一人いることになっていたかもしれない。どうやら彼女についての認識をひとつ改めるべきか、とミネラルウォーターが減ったコンビニ袋のように軽くなった心で思った。
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