うたかたエスケープ

 全てが終わったら消えるつもりでいた。
 お天道様に顔向けできないようなことをさんざっぱらしでかしてきたし、故郷と違い『天城燐音』という個人を求めてくれる人間もここにはいない。これまで俺っちと関わった奴らは、まァ運が悪かったな。これからは精々あったかい日向を歩いて行くこった。おまえらは、大丈夫だ。
「などと。また頓珍漢なことを考えているんじゃないですか、あなたは。呆れてものも言えないのです、このすっとこどっこい」
「……ばれてたァ?」
 丸めた背中に投げつけられた声は、この数ヶ月ですっかり耳に馴染んでしまった彼のものだった。ステージでは肩を並べた。目的のためにその手を汚させた。愛してもいないのに肌を合わせた。少し踏み込みすぎた、と思っていた。理由などない。衝動でしかない。
 共謀、共犯、片棒担ぎ、連帯責任? いやいや、これは俺っちのギャンブルだ。
「てめェにゃ関係ねえっしょ。ガキは大人しくおうちに帰っておねんねしてな」
「今更何を。我々の素行不良が清算されるわけでもあるまいし」
「消えろっつってんの。俺っちの、だろ」
「我々の、ですよ」
 やけに頑なだ。元から懐かない猫みたいな奴だったが、理解力は高い方だ。こちらの意図が読めているならば、関わらない方が良いことくらいわかるはずだろうに。しかし奴は掴んだTシャツの裾を離さなかった。
「逃げますよ、燐音」
 真正面から見たその瞳は月明かりを集めた黄金の宝石のように煌めいて、甘やかに鼓膜を揺らした声は脳髄に毒を巡らして、触れてきた熱がなんでか心臓を締め付けて、……俺はわけもなく泣きたくなった。
「キャハハ、俺っちたちに明日はねェってか」
「ボニー&クライドですか……。彼らは死後離ればなれで埋葬されたそうですけど」
「なァにメルメル、俺っちと同じ墓に入りてェの? ロマンチストじゃん♡」
「気色悪いことを言わないでくれますか? あなたと心中など御免こうむりたいですね」
「ははッ! たりめーだろ、生きて地の果てまでも逃げおおせてやンよ」
 生ぬるい夜を駆けながら、どちらからともなく手を取った。自然と笑いが込み上げてきて、ふたりで声を上げて笑った。身体がやけに軽くて、このまま羽根が生えて、真っ黒な夜空に吸い込まれて消えちまえればいいのに、なんてらしくもなく願わずにはいられなかった。



『り゙ん゙ね゙くぐん゙い゙ま゙どごに゙い゙る゙ん゙ずが』
 べしゃべしゃの涙声で言葉も拾えないような状態のニキとこはくから電話がかかってきたのは、それから数日後のことだった。
「うるっせェぞニキこの野郎、耳がイカれるわ」
「……本当に行方を眩ましたいならスマホは捨てるべきでしたね」
「ちげえねェ、俺っちたち駆け落ちの才能ね〜んじゃねェの?」
「勝手に駆け落ちしたことにしないでくれます⁉ HiMERUは……」
『びめ゙る゙ぐん゙も゙い゙る゙ん゙ずね゙⁉』
「あっ……」
 自分から所在をバラしてどーすんだ。思わず浮かんだ笑いを噛み殺して、大人びてはいてもまだまだ迂闊なクソガキに水を向けてやる。未練を残してきたつもりはないが、いやはやこれは。
「メルメルよォ。どうやら俺っちたち、無い無いと思ってた『居場所』ってヤツ、とっくに手に入れちまってたみたいだぜ」
「……。そのようですね」
 その間は何だ。素直じゃねー奴。ばしんとその背中を叩いて、よっこらせと立ち上がる。
「帰ろーぜ」
 俺たちが死に物狂いで掴んだ明日へ。
 どこか納得いっていないような、はにかんだような、複雑な笑顔を浮かべたそいつの手を引っ張って、思いっきり抱き締めた。

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