ショートケーキ



「おい、譲介。おめぇクリスマスにはなんか予定あんのか?」

十二月に入ったばかりのある日の夜。
たまたま仕事を入れなかったというTETSUが最近気に入っている大学前のカレー店でトマト増量のキーマをテイクアウトしてきたので、譲介も食事を済ませた。食事を共にするのは、もう二週間ぶりくらいだろうか。
食べ終わった彼の様子を伺い、必要だと思ったタイミングで水を汲んでくる。
師であり上司であり、そして初めての患者である彼の前で、譲介はいつも緊張している。
大人にいいところだけ見せたいというこの心の動きは半ば習慣になっていて、目の前の大人を踏み台に医者になってやろう、という我欲を、時に上回る。叶うことなら、ずっとここにいたいという、拠り所を求める弱い気持ちがそうさせることを、譲介は知っている。
あさひ学園に居た頃、大人の気紛れで引き取られた子が、また大人の都合で施設に戻される例を何度も見て来た。引き取ろうと一度は声を掛けて来た不妊治療中の夫婦が、妻に子どもが出来たので、と養子縁組を断ってくることもあった。
譲介は、真田徹郎の養子ではない。名前を変えずに、同居人という体で引き取られてここで暮らしている。
同居初日に、TETSUに言われた言葉を譲介は折に触れて思い出す。
――おめぇはオレと、ここで他人のまま暮らすんだ。
その言葉がずっと、譲介の心のどこかで引っかかっている。
『ここには、オレの患者も出入りしてる。そいつらに何か聞かれたら、医者志望ですとでも言っとけ。』
ここに住んでるとか、不要な話は一切口に出すな、とも言われたから、彼が仕事で関わっている人間たちが譲介のような子どもの手に負えない相手であることは容易に推察されたが、それは彼と自分が養子縁組をしない理由のひとつにすぎない。あの言葉は、今の関係が仮初のものだという宣言で、馴れ合いの家族になるつもりはない、という線引きだ。
確かに、その事実が自分の気持ちを軽くすることもある。幼い自分が心に抱いた、いつか父母と逢えるのではないかという虚しい望みを捨てたわけではないからだ。
とはいえ、譲介が独り立ちできる前に腹膜播種の持病を持つ彼が亡くなった場合、元の孤児に戻ってしまうということであり、また、彼の眼鏡に叶わない人間だと思われたが最後、簡単に切り捨てられる存在である、ということでもあった。
それでも、いつか煮詰まったコーヒーのように捨てられる可能性があるということは、今夜は考えずにいられるだろう。
頃合いだ、と思って学生鞄を探り、主だった全ての教科でほぼ満点を取ったテストと校内順位の載った小さな紙の切れ端を持って、期末の成績です、と彼に見せた。
小さな紙片を見たTETSUは口角を上げ、結果は上々だな、春になる前に偏差値のランクを上げたとこに移すから覚悟しとけ、と機嫌の良さそうな声になったので、譲介はほっと胸を撫でおろした。
これまでなら、期末の結果が出た日はつるんでいた他校の同級生――もう名前も忘れてしまったが――と街に繰り出したりしていたけれど、テスト結果が一位になったところで、不良グループを抜けたことも広く知られてしまった譲介を誘うものはいなかった。それならそれで、この先の三学期の範囲の予習や、買って来た大学の赤本で、これまでに学んだ範囲で解けそうな問題に手を付けて、今の成績がただの瞬発力ではなく、実力になるよう地ならしをしたかった。先に部屋で休みます、と言おうとしたその時を見計らったようにして、TETSUは言った。

同居している身元引受人に、クリスマスの予定は、と尋ねられたら、どう返すことが正解なんだろうと譲介は思う。
勉強します。友人と遊びます。予定はないです。
譲介には三つの選択肢があって、そのうちの一つは嘘だ。
不良グループを抜けた後、その顔が元に戻るまでの言い訳くらいは作ってやるよとTETSUが骨折の診断書を持って学校へ行き、自宅で療養して多少の猶予はあったものの、殴られた顔が完全にもとに戻るまでには至らなかった。登校した途端、不良グループの制裁で顔をボコボコにされたらしい、という噂は尾ひれを付けて広がり、その日のうちに譲介本人の耳にも入って来た。
廊下を歩くたびに繰り返されるひそひそ話。譲介にそうした人種との関りがあるのを噂やまた聞きで聞いて遠巻きにしていた人間だけでなく、知らなかった人間も更に潮を引くようにして遠ざかっていった。元より部活には入っていないから、横や縦のつながりもない。そのことを、TETSUも担任からの電話で聞いているはずだった。
「予定はないです。」と譲介は言った。
「……それだけの答えに、随分と間を溜めるじゃねえか。」
ククク、とTETSUは笑った。
最初の出会いが出会いだった。この程度挑発されたところで、簡単に動揺する譲介ではない。
こちらの表情が動かない様子を見てとって、TETSUは「まあ丁度いい。譲介、おめぇ、サンタになれ。」と言った。
「はあ?」目の前の身元引受人から出た言葉に、譲介は目を剥いた。
サンタ?
サンタとは、あのクリスマスにプレゼントを持ってやってくるサンタクロースのことだろう。
この人の口から出てくると随分違和感があるが。
「いつも二十四日は仕事を断ってる。おめぇも今週の木曜と週末、当日は身体を空けとけ。」
「………はい?」

TETSUの言い分はこうだ。
あさひ学園に金は出すが口は出さないというスタンスで関わるようになって以来、ずっとサンタクロースとしてプレゼントを施設に持って行っていたが、ある日、譲介にライン取りを失敗されて針を刺されまくった腕を眺めて、いつまで続けていられるだろうかということをふと考えた、らしい。
「代替わりにゃまだ早いが、今年はおめぇもサンタクロースだ。」と言われ、譲介は目を瞬いた。
「……僕がサンタクロース?」
かつてあさひ園で自分の正体を知らない五歳児に「譲介兄ちゃんもプリキュアになって。」と言われたこともあったが、口先で誤魔化せるだけ、あの時の方が百倍マシだった。
「おめぇは気まずいだろうが、たまには里帰りして職員に顔を見せてやれ。」と言われて、反射的に、お断りだ、と譲介は思う。冬休み限りのアルバイトの斡旋か、はたまたTETSUが顔を繋いでいる政治家や医者同士の懇親会で一発芸でもさせられるというのなら予想の範疇にはあったが、まさか、こんなことをさせられるなんて、とそこまで考えて、譲介は、自分がTETSUの発した言葉の中で、一番大事な核心部分を、自分の脳が受け取ることを拒否しているらしいことに、はたと気付いた。
「あの、」と口にすると、うん、という顔でTETSUは譲介を見た。
「……学園のサンタクロースは、ずっとあなたが?」と恐る恐る譲介が問い掛けると、TETSUはそこで肯定も否定もしなかった。ただ「金を出してるだけのことで、仰々しく名乗りを上げる気はねぇよ。」と言うその返事が答えだった。
嘘だろ、と思ったけれど「毎年、いくら掛かるか分からねえような代物をリクエストするガキがいる。施設で予め予算を組もうにも無理だって言うのはおめぇも分かるだろ。」海千山千のじじいがバックに付いてるならともかく、補助金みてえなもんに頼れるような経営じゃねえんだよ、と大して面白くもなさそうに言うTETSUの横顔を見て、譲介は世界の何もかもを笑いたくなった。
直ぐに履けなくなった新しいスニーカー、青いリュック、小さな腕時計。
いつしか下の年代の子どもに譲って手元には残らなかったそれらのものすべてを、譲介はまだ覚えている。
園で飼っている小動物を使い、ナイフで下の年代を脅すようになってからは、職員への目くらましのために皆で使えるボードゲームや自転車を買ってもらっていた。その金がすべて、この男の懐から出ていたという事実。それは、譲介の胸には、新しい重石のように感じられた。
サンタに感謝しましょう。
あさひ園でのクリスマスに、毎年聞かされる言葉だった。枕元にプレゼントを置くことは難しいので、大きな包みも小さな包みも、まとめてクリスマスツリーの下に、名前の書いたカードを貼って並べられている。あの光景。
他の子どもと一緒になって譲介が勝手に思い浮かべていた白髪の善良そうな男のイメージは、切り株のような腕を持つ眼光鋭い男が纏う破天荒な雰囲気とは似ても似つかない。
「おい、譲介。……黙ってそこに突っ立ってんならコーヒーでも淹れて来い。」
TETSUにそう言われて、譲介は自分が知らず知らずのうちに座っていたソファから立ち上がっていたことに気付いた。
あ、はい、と言ってキッチンのスペースでコーヒーメーカーのスイッチを押すと「リストのもんを買ってっただけで、誰が何を受け取ったかなんてサンタは知らされねぇよ。昔と違って、人数も多くなってきたし、欲しいって言われるもんも変わってくる。」
ファミコンのゲーム機とか、奪い合いになりそうなもんは買ってやれねえからな、とTETSUは言った。
……ファミコン?
「それってプレイステーションみたいなゲーム機のことですか。」
「それだそれ。まあ断られて逆上するガキが出たら次の年からはプレゼントはないとは言ってあるが、何年かおきに書いてくる出来の悪いカボチャがいる。」
まあ気持ちはわからんでもないが、と言ってTETSUはソファから立ち上がって、いつもの愛想のない食事を片付けて、プラスチックの食器ごと大きなダストボックスに入れた。
譲介は、その背中を見て慌てて紙のフィルターとコーヒーの粉をドリッパーにセットした。
TETSUの家にあるコーヒーメーカーは、機械が温まるのを待って上から大きなプラスチックのビーカーで水を入れるのが手順だ。青いランプが点灯するのを待って、譲介が棚からマグカップをふたつ取り出していると「例の粉はまだあるか?」とTETSUが言った。
「妙な言い方をしないでください。あなたが言うと洒落にならない。」と言うと、TETSUがにやついた顔でこちらを見て来るので、ため息を吐きたい気分になった。
「今確認します。」と引き出しを開けると、掃除の業者が置いていく、いつものコーヒーメーカー用に袋分けされた中挽きのコーヒーのパックは、まだ数袋残っている。そろそろか、と呟いたTETSUは、紙コップの横に挟まれた注文票の束から一枚を取って、冷蔵庫の横に磁石で付いているボールペンでさらさらと数字を書きつけた。これをそのまま冷蔵庫に置いておけば、業者が勝手に引き取って行って、次に補充分を持ってくる、支払いは引き落とし、というサイクルを譲介はこの数か月の同居で学んでいた。
「次から僕がやりましょうか?」
「おめぇなあ、ガキは勉強のことだけ考えてろっつってんだろうが。」
「……サンタはさせるんですよね?」と反射で口にすると、「生意気言うんじゃねえ。」と頭の上から拳骨がごつんと降りて来た。
さして痛くはなかった。
今日は手加減されている、と思うと腹立たしい気持ちになったが、言われた通り、蛇口をひねってプラスチックビーカーを水で満たし、コーヒーメーカーの上蓋を開けて中へと注いだ。蓋を閉じれば、あとは待つだけでいい。暫く待っているうちに、黒い液体がサーバーの部分に満ちて来る。動揺した気持ちが落ち着いてくるのを感じる。
客には茶托とソーサーを忘れるな、と普段から強く言われている一方でTETSU本人の分は必要ない、とも言われている。譲介は、準備したカップにコーヒーを満たし「どうぞ。」と言うと、ソファに戻って身体を預けていたTETSUの前にカップだけを置く。
「譲介、おめぇも欲しいもんを考えとけ。」
「僕ですか?」
そういえば、今年は何か貰えるものとは思っていなかった。
強いて言えば、自分ひとりの居場所、このマンションに個室を与えられただけでも十分満足していたのだ。
「何でもいいぞ、っつっても例のナイフを返せと言われても無理だがな。」
何か別のことにしておけと笑って言われ、譲介は、自分の胸を刺したナイフがあの後手元に戻らなかったことを思い出した。おそらく、手術の前後で処分されたのだろう。ナイフの代わりに今のこの生活を手に入れたと思えば、未練はなかったが、こうして自覚させられるといやに落ち着かない気分になった。
あのナイフは、ただのナイフではなく、譲介自身の居場所や自信を担保するものであったからだ。ただのモノ、以上の何か。あれに代わるものを何か欲しいと思えるとは、今は思えなかった。
「……考えておきます。」と譲介は言って、カップを持ってソファでコーヒーを啜り始めたTETSUを見やる。
この人の代理戦争の駒として便利に使われているのだから、僕もこの人を利用してやろう。
そう思う一方で、与えられてばかりで、返せるものがない、とも思う。
妙な遠慮をしては、まだいぶかしい顔をされるだけだろう。けれど、本当に必要なものは足りている。その場の思い付きで頭に浮かんだ品物を伝えても、直ぐに飽きて見向きもしなくなってしまうだろう。ガキは飽き性だ、とからかわれる場面を想像し、からかいが減点にならなければいい、と考えてしまう自分に、ため息を吐きたいような気分になった。
譲介は、スティックシュガーを取り出してコーヒーの入ったコップに入れ、ゆっくりとスプーンを回した。


「本当にこんな場所を行くんですか?」
「当たり前だろうが。」と言うTETSUは、このショッピングモールにある中でも、一番に大きなカートを引いている。乳幼児を乗せることもできる形のカートを彼が押している姿は、妙にシュールだ。
仕事だ起きろ、と朝の早い時間に起こされ、いつもの車に載せられ、二時間半のドライブに付き合わされた。そうして譲介とTETSUがやってきたのは、隣県にあるショッピングモールだった。朝一番でないと、駐車場が埋まってしまうのだという。手慣れた風のTETSUの言葉には説得力があって、譲介は朝から脱力してしまった。
「この店、隣の市にもありますよね?」
こんなところまで来る必要あったんですか、と肩透かしを食わされたような気分で譲介が言うと、「品揃えが違うんだよ。」とTETSUは反論した。
インターネットショッピングで済ませてしまえばいいじゃないですか、とぼやくと、譲介の考えたことと同じことをしてしまったため、ハマーの後部座席に入りきらない量のプレゼントを買ってしまい、あの広いリビングが半月プレゼントの箱で占領され、学園には車で二往復する羽目になった年の話を聞かされた。それは譲介の記憶にもある、やたらと箱ばかり大きいすかすかのプレゼントが多かった年ではないだろうか。
さくさく行くぞ、とプレゼントのリスト片手にカートを押すTETSUに続いて、譲介は二台目のカートを引いて行った。通路には、せいぜい二台の大きさのカートが並ぶ余裕があるくらいで、基本的にすれ違いを前提としている。TETSUの動かしているカートでは、行き交う人によっては片道交互通行だ。
「リストを分担して、別々に回った方が効率的だと思うんですけど。」という譲介の手元には、TETSUの手元にあるのと同じリストがある。
「このスカスカ具合が昼まで続くと思うか? あと三十分もしたら師走なりの人出でごった返すぞ。そうなりゃあ、レジに並ぶ前に合流出来たら恩の字だ。それに、ひとりで選んでリストに書かれた色が違うだの、数が足りないだの、ってことになりゃあ、後で面倒だろうが。おめぇも横から見てて、オレが中に放り込んだのを端からチェックしろ。」と言われ、譲介はため息を吐いた。リストは、服飾雑貨、玩具、文具、と購入品の種類でいくつにも分れている。こういう資料作りだけでなく、買い出しの仕事も買って出そうな職員の顔が思い浮かんできたが、存外に見栄っ張りなところのあるこの人が、そうした好意を毎年跳ねのけて来たのは想像に難くない。譲介は、クリスマスの当日に、先生ありがとう、サンタさんありがとう、の大合唱で嬉しそうな子どもたちの顔を少し複雑そうな面持ちで眺めていた園長先生や職員の心情に思いを馳せた。
「一人に二つっつうのはなあ……まあいい……。」
独り言を言うTETSUが持っているのはピンク色と青色をした、双子のようなうさぎのぬいぐるみだった。目の色は赤いビーズ。まるでガーネットのように輝いている。
四十男が子どものためにプレゼントを選ぶ、というには絵面がシュール過ぎて、もし自分の携帯電話を持っているなら、今の瞬間を写真に撮っていたかもしれないと譲介は思う。似合うはずがないところが、逆に、妙にしっくりくる。ふ、と鼻に抜けるように笑うと、じろりと睨まれた。
「青いウサギを欲しがる子なんて珍しいですね。」と慌てて取り繕う。
「眼科案件かと思って診察しそうになっちまったが、普段から青い服を着たりするのが好きなんだと。まあガキと言っても周りに合わせた好みじゃないのもいるってこった。」というTETSUの言葉に、へえ、と相槌を打つ。譲介の頭に、ひな祭りの時期に、揃いの人形の映るテレビを羨ましそうに見ていた女の子たちの顔が幾人か思い浮かんだ。
一組のぬいぐるみを恭しい手つきでカートに置いたTETSUは「譲介、そっちのリスト寄越せ。」チェックしてあんだろ、と言って、ペンを片手にした譲介に手を差し出した。
「分かりました。」と譲介は選び終わった内容をチェックしたリストを彼のくしゃくしゃになったリストと交換する。広い売り場をこれだけ歩いていて、買い物はまだ半分も終わっていない。
プレゼントの数だけを見ると、譲介が去ってからまた子どもが増えたようだった。
今時は、養子を迎えようとするような夫婦よりも、自分たちが食べるので手一杯という家庭が多いのだろうか。小さな感傷をよそに、さっさと終わらせるぞ、と言って、TETSUはジグソーパズルのある方へと足早に歩いて行く。早すぎる。白のロングコートをたなびかせるTETSUの背中は、譲介に付いて来い、と促す。リーチの長いTETSUの後ろを、小さな子どもを避けるようにカートをジグザグに押して行き、やっと彼に追いつく。
ピースの数や絵柄でジグソーパズルを吟味している彼の横で「……今までこんなことをひとりでやってたんですか?」と尋ねる。
「買い物だけだ。昔は、適当に売り場で目に入って来たもんを選んで、ただ渡しに行きゃあ良かったからな。頼んだもんと違うとか言って泣くようなガキの方が少なかったんだよ。サンタの効果ってやつは年々薄れてきやがる。」
いつから、と譲介が尋ねると「んなもん、忘れちまった。」という返事が返って来た。
嘘だ、と思ったけれど、口をつぐんだ。
この人にはこの人なりの理由があり、こうした形であさひ学園に関わっている。
その理由を、今の僕に話す気はないだけだろう。
それでも、クリスマスのこの雰囲気のせいか、今日はいつになくTETSUと話せているような気がした。K一族とも、黒須一也とも関係のない、この人自身の話を聞く機会がもっとあれば、とふと考え、譲介は首を振った。


日暮れたファミリーレストランはそれなりに混みあっていた。
出口に近い席に案内されたので、一旦荷物を席に置き、ドリンクバーの辺りをうろうろする子どもに混じって二人分の水を汲んで席に戻る。
買い物に一時間半、膨大な量のラッピングを待つのに、また一時間。ショッピングモールから出るための渋滞にはまってまた四十五分。やっとたどり着いたのが、県境近くで一般道に降りたところにあるチェーンのファミリーレストランだった。
モールの中でも、子供服売り場やマタニティ関係の売り場にほど近い場所にある、ファンシーグッズの店に男子高校生ひとりという構図で放り込まれて買い物というミッションを遂行するという精神的ストレスで、譲介はぐったりしていた。
「………疲れました。」と本音を漏らすと「運転も人に任せといて、ヤワなやつだなおめぇは。」と言われて、三歳児のような顔をして保護者の前髪を引っ張りたくなった。
大方の買い物を終えたあと、譲介は、ラッピングの列に並ぶから、というTETSUにリストを渡され、会計が別の階になる一角でキャラクターもののポーチを買うことになったのだ。
妹さんへのプレゼントですか、と店員に尋ねられて、はいそうです、と真顔で嘘を吐いた。それが終われば、ラッピング待ちのTETSUのためにコーヒーを買いに行き、うっかりと、包装を終えたプレゼント――例のふたつのぬいぐるみ――の上に零したせいで、また列に並び直す羽目になった。すごろくみてえだな、とTETSUは笑っていたが、譲介はそれどころではない。
こうした精神的疲弊の代償がファミリーレストランでの食事で割に合うのかという考えが頭の隅にひらめきはするが、本式のレストランでは堅苦しい。これまでに何度か、いずれ宴席に連れ出されたらどうする、慣れろ、と言われ気軽なフレンチや懐石の店に連れて行かされることもあったが、コース料理で運ばれてくるプレートは工場の流れ作業を思い起こさせ、気取った食事の味はやはり自分には向いてないと思う。
このくらいが気楽でいい、とファミリーレストランのメニューを眺めていてふと顔を上げると、手持ち無沙汰そうに水の入ったコップを眺めていたTETSUの視線がこちらに向いた。
「譲介、おめぇ明日十時になったら、例の上着とズボンの丈詰めしてこいよ。」
「……分かりました。」
例の上着、とは今日購入したばかりのサンタ衣装の一式のことだ。ディスプレイとして置いてあったサンタクロースの仮装用の帽子と赤い上下の服を、売れ、とTETSUが交渉したのだ。譲介が施設にいた十数年、職員があんな服を着てクリスマスにプレゼントを配っていた記憶など一切ない。子どもが寝た後でプレゼントを置きに行き、その際に職員を笑わせるために着ていったなどというTETSUの話も、おそらく口から出まかせに違いないのだけれど、そのことを指摘しても口論になるどころか、オレが寝静まった頃に何度か行ったことをおめぇが覚えてないだけだ、と笑って流された。
着丈があわなかったら近所の洋裁店で手直ししろ、と簡単に言うが、あれは洋服というよりは、その日限りのラッピングのようなものだ。譲介はため息を吐いて、再びメニューに視線を落とす。
外が暗くなってくるにつれて、ファミリーレストランの店内も薄暗くなってきていた。
とりあえずカレーグラタンかカレー煮込みハンバーグかな、と思って、グラタンよりは早く来るだろう、と後者を選んだ。おめぇは食い盛りなんだから両方選んだらどうだ、と勧められたが、丁重に断った。まだ距離的には経路の半分も行っていない。さっと食べて出る方がいいに決まっている。
あなたは、と言おうとして、譲介はとりあえず店員を呼ぶためにボタンを押した。スカートの制服を身につけたアルバイトは、自分と同じ年頃のように見えた。大学生になりたてか苦学生、あるいは、学校が違えば、こんな風にアルバイトが許可されるのか。明るい笑顔を向けられ、あさひ学園に勤める大人たちの顔が、また思い浮かぶ。
(僕に医者になれ、他人を支配しろと言うこの人はなぜ、後ろに残して来た人生を振り返らせるような真似をしようとするのだろう。)
考えても分からない疑問が頭に浮かんできたけれど、余程上手く誘導しない限り、この人は心の裡を譲介に見せようとはしないだろうという気もした。
譲介が店員にカレー煮込みハンバーグを頼むと、TETSUはエスプレッソとチーズと生ハム、ガーリックシュリンプと言った軽食を頼んだ。飲み物も適当に選べと言われ、オレンジジュースを、とオーダーする。今の譲介には、ビタミンと糖分が必要だった。
あなたは食事はどうするんですか、と問い掛ける譲介の視線に気づいたのか、「オレはいい」とTETSUは言った。
小さなエスプレッソのカップと一緒に頼んだ前菜が来て「おめぇも食え。」と言われたので取り皿をふたつ取って並べた。譲介はカトラリーの入った容器の中から、箸を選んで取り出し、彼と自分の分を取り分ける。薄く切られて皿に載っているハムとニンニクを利かせた海老は、奇妙に旨かった。
そのうち、譲介の頼んだ今晩のメインメニューであるところのカレー煮込みハンバーグがテーブルに並び、三個一緒に皿に載せられて来た丸パンのうちの一つを、手を伸ばしてTETSUが齧る。
思ったより旨い、とハンバーグを口に運ぶ合間に、ふと気になってTETSUに「あの荷物、今日中にいつもの部屋まで運び込むんですか?」と尋ねた。まあな、と返事が返って来る。
「実際、当日まで車に入れておく方が楽だが、駐車場で悪目立ちすんのも、後ろが見えねえのも面倒だからな。まあ荷下ろしはオレが明日やっとく。おめぇは帰ったら寝るだけでいいぞ。」
「分かりました。」と答えながら食事を続けていると、目の前でTETSUがオレンジ色の皿に並んだクッキーをひとつ取って、エスプレッソに浸して食べている。
「何してるんです、それ。」
「こういう食べ方もあんだよ。おめぇは気にすんな。」とTETSUは言った。
胃が弱ってるならコーヒーを飲むのを止めたらどうです、と思ったけれど、ただ彼が好む食べ方なのかもしれなかった。寝る前にノートの隅に書きつけておこう。譲介は丸パンをちぎり、皿に残ったカレーを拭って大口で頬張った。


見上げた曇天は今にも雨が降り出しそうに見える。
曇りのち雨または雪というクリスマスイブらしいといえばらしい天候で、譲介は秋口にTETSUが買って来たブラウンのジャケットを羽織って前を留めた。防寒具ばりのジャケットは冬山でも耐え得るのではないかと思うような暖かさで、足元は踝丈のブーツ。
朝方の方が天候がいいので、保護者から担任に電話をしてもらって終業式を休むことになった。これは突発的な椿事の余禄、の範囲に入れていいかもしれない。学年一位になったからと言ってやりたい放題出来るとは思うなよと担任に凄まれたが、いい年をして学年主任にもなれないような中年男に何を言われたところで関係ない。譲介がドクターTETSUのような外見なら何も言わない人種だ、と思えばこそ、余計に相手が薄っぺらに思える。
「……なんだ?」
視線に気づいたのか、TETSUはこちらに視線を寄越した。
いつものロングコート。筋肉質な身体を覆う衣類が薄着になりがちなのは彼のポリシーなのか、晩秋になっても変わらなかったが、流石に今月に入るとタートルネックになった。
「あの、今はいいとして、僕はこれをどこで着替えるんですか?」
あさひ学園への道のりは、今の住まいからの距離にしてみれば、プレゼントを買いに行った先日ほどの長距離ドライブではない。それでも、あの衣装のままで用を足したりなんだのするのは難しい。そのことを、この人も分かっているのだろうか。譲介ですら、衣装の丈詰めが終わって手元に戻って来たタイミングで気づいたのだ。丈詰めの終わったサンタクロースの衣装を、白く長い付け髭も含めてリュックに詰め込んでいると、「行きゃあなんとかなるだろ。」とTETSUは言った。思った通り、何も考えていなかったらしい。
「インターチェンジのトイレで着替えるのは嫌です。」と主張すると、まあサンタの格好は免除してやってもいい、と言われて拍子抜けした。
さっさと行って、さっさと帰ってくるぞ、というTETSUの言葉に、彼の目的はどこにあるのだろうと譲介はいぶかしく思った。


平日とは言え、流石にクリスマスイブの当日とあって、道路は混みあっていた。先日N県に行った時とは違い、制限速度を超えることもままならない状態であさひ学園にたどり着いたのは、昼過ぎのことだった。
雨や雪が小止みになっている間、TETSUは、職員と一緒に三回に分けてプレゼントの山を車から運び出し、仮置きの場所として母屋から外れた物置に運び入れるのを横に立って監督していた。そして、それが終わると、何か相談があると言った様子で顔を見せた園長先生と一緒に、職員専用の部屋へと入って行った。園の子ども達は一人残らず、いつものように近所の公民館で行われる町内会主催のクリスマスの集いに参加しているようで、誰も残っていなかった。
その間に、譲介は一旦園の中に入って用を足し、プレイルームというのも憚られる狭い和室に鎮座する、電飾で飾り付けられたツリーを眺めた。このツリーの下に、職員が夜になると足音を忍ばせて、プレゼントの箱をこっそりと飾るのだ。
「箱が大きなものの方がツリーには映えるけど、子どもの数だけ欲しいものがあるから、小さいものを選んだ子のプレゼントが他のものに見劣りしちゃうのは仕方ないのよね。」と言う呟きが聞こえて来た。
毎年、必ず誰かしら、やっぱりあっちがいい、と泣きわめく年少の子どもがいる。大人の前では猫を被り、そのなだめ役を買って出ていた去年までの自分のことを思い出して、譲介は複雑な気持ちになった。
「手伝ってくれてありがとう。」
これは譲介君に、と小さな箱を入れた袋を手渡された。中を見ると、園の近所にある洋菓子店のクッキー缶だった。
リスと切り株の絵柄は二番目に小さな箱で、値段も分かっている。例年、クリスマス当日のおやつの時間には、鹿のイラストが描かれた三つの大缶を開けて、全員で分けて食べたものだ。そのついでに購入したものだろう。もう食べることもないと思っていたクッキー缶を受け取り、ありがとうございます、と礼を言うと、勉強頑張って、と相手は笑顔になった。
雑談をしているうちに時間が経ったのか、「おい、譲介、帰るぞ。」とTETSUが言った。どうやら大人同士の話し合いは終わったらしい。
「サンタの衣装は、ここで引き取るっていうからリュックから出しておいたぞ。何でこんな日にノートなんか持ってきてるんだ、おめぇ。」
「ちょ、人の荷物を触らないでくださいよ。」とTETSUの片手に納まっているリュックを引っ張る。かさばる荷物を放出してほとんどスカスカになったリュックは、するりと譲介の元に戻る。TETSUがあっさりと手を離したのは拍子抜けだった。軽いはずのリュックの中、ごろり、と何かが転がるような音がした。ノートと、筆記用具を入れたペンケースと、まだ何か入れて来ただろうか。
「何だ……?」
手を入れて中を確かめると、ラッピングされた小箱が入っている。チッと舌打ちの音。
「部屋に戻ったら開けてみろ。おめぇがいつまでもリクエストしねえから適当に買って来た。」
文句は言うなよ、というTETSUの言葉に、譲介は顔を上げた。
ずしりと感じる重みから、時計だろうと見当を付ける。明日譲介が目を覚ましたときに、この箱を見つけられるような手筈にしたつもりでいたのかもしれなかった。サンタのくせに爪が甘いんじゃないですか、と言おうかと思ったが、なぜか口に出来なかった。
彼は、浮かれたような調子でコートのポケットの中から、衣装は欲しいけどこれはいらねえってよ、と言って、渡し損ねたらしい白い付け髭を取り出し、譲介の顎に当てた。
「はは、おめぇも案外似合うじゃねえか、譲介。」とからかうように言われて、譲介は目の前の人を見た。
自分と同じくらいに性格がねじれている男が、クリスマスイブというただそれだけで今日この日に機嫌がいい理由が、譲介には皆目分からなかった。
似ていると思ったけれど、この人は自分とは全く違う人間だ。
そのことに心揺さぶられ、動揺している自分がおかしかった。
「……どういう面だよ、それは。」
「昼はカレーがいい、と考えてる顔だと思います。」というと、腹減ってんのか、と拍子抜けしたような声で問われて頷く。
「行くか。」とTETSUは言って、譲介は彼の後について、運転席のドアを開ける彼とほとんど同時に、ハマーの助手席に乗った。空っぽになった車の中はイベントごとを終えた空虚がみっしりと詰まっているようで、この人は毎年こんなことをしていたのか、と譲介は思った。
「何か顔に付いてるか?」
「……いえ。」何でもありません、と微笑む顔がいつもと同じように見えますように、と譲介は思った。


「おい、窓拭いとけ。」
うたた寝をしていたらしい。
運転中のTETSUの声に起こされて、助手席に座る譲介にも、彼が何を言わんとしているのか分かった。正面と助手席の窓が、すっかり曇りガラスのようになっている。TETSUにとっては慣れた道とはいえ、慌ててダストボックスを空け、中に入っているタオルを出した。
シートベルトで締め付けられる中で腕を伸ばし、正面のフロントガラスと、本来なら運転席側の窓を視界がクリアになるまで拭いた。実際、この時期には窓が曇りがちで、普段はエアコンの暖気をフロントガラスに向けて吹くように調節はしているのだが、寒暖差か湿度の関係か、温風では間に合わないことも多い。ホワイトアウトに近い状態の後部座席側は諦めるしかないが、この車に好き好んで追突してこようとする馬鹿はいないだろう。
日暮れ前というのに、空の灰色は色が濃い。
視界が良いとは言い難い中を、ハマーはライトを付けて走り続ける。
例年のこうした冬の天候を思えば、ホワイトクリスマスか、という感慨もないが、抱えたリュックの中、プレゼントとは別の手土産の入った袋が、車が揺れる度にがさがさと小さく音を立てるたびに、譲介の中で。明日が楽しみだという気持ちが育って行く。
食事は済ませた。今夜は高速を途中下車せず、サービスエリアに寄って簡単な軽食を取って、そのまま真っ直ぐ帰宅するというルートだ。何度となく長距離の移動を重ねていくうちに、途中で車を降りた際の、サービスエリアでの過ごし方というのも何となくわかって来た。
用を足したり、喉をうるおしたり、凝り固まった身体を解すために軽い体操をしている人もいる。譲介は、TETSUがコーヒーを飲んで一服している間、土産物のあるエリアをぐるりと一周することにしていた。地物の野菜や特産品、手作りの菓子や漬物といった加工品。買いたいもんがあるなら好きにしろ、とTETSUに五千円札を渡され、譲介はレトルトのカレーとヨーグルトをいくつか買い込んだ。トマトと牛肉のカレーと鹿肉のカレーは、地元ではなく隣県の地名が冠されている。物珍しさに手にとって、ふたつづつ籠に入れた。それらは、譲介の手元にあるリュックの中に収まっている。
夕食は、譲介がカツカレーサンドで、TETSUは隣の敷地にあるハンバーガーショップで買ってきたダブルバーガーとポテトのセットだった。中途半端な時間に空腹で起きてしまいそうだと思ったけれど、五分で食事を終え、十分かけてコーヒーを飲むTETSUのペースに付き合った。彼の休憩を待って、また車に乗り込む。
譲介は何度か、食事で出た生ごみを入れるダストボックスの中に、今住んでいるマンションからほど近いハンバーガー店の紙袋を見つけることがあった。キッチンには、あの独特の油の匂いを感じることはほとんどないので、不思議に思っていたけれど、今日、その疑問が解けた気がした。
ハマーの中の籠った空気に、TETSUが取ったであろう食事の匂いの残滓が残っていたのだ。この身元引受人は、譲介がいないときにはハマーを運転しながら軽食を食べているらしい。けれどその行儀の悪さは、譲介を助手席に乗せている間は見せまいと決めているようだった。


走っている間は横殴りに降っていた雪が、マンションに付いた途端に小止みになってきた。
川向うは雨だ、とTETSUは言った。
見て来たように言う、と譲介は笑ってしまいそうになった。
半地下の駐車場に車を停めて、そのままエレベーターで上階へと上がる。いつもの階で降りると、玄関に付いた灯りが譲介とTETSUを出迎える。
玄関扉を開けると、ダイニングの明かりがふたりの足元を照らした。
今日は、譲介が残った荷物を運び入れるために駐車場へと先に降りて行ったので、施錠をしたのはTETSUだ。夜のために、朝から明かりを付けて出て行ったというよりは、単なる消し忘れのように思えた。
玄関でアウターを脱いで中に入ると、いつものリビングにはツリーが飾られていた。
林檎の大きさほどのオーナメントが天辺の星の他にも、見えるだけで少なくとも十五個は吊られている。譲介がこれまでに見た中でも、ほとんど完璧に近いクリスマスツリーだった。きっと費用も掛かっているだろうが、そのことに言及するのは憚られた。譲介とて、TETSUひとりの暮らしに、このツリーは不要なことくらい分かっている。TETSUが自分の客に『見せる』ためのツリーならば、十二月に入った頃に飾っているだろう。
「……ありがとうございます。」と言うと、TETSUは、何のことだ、などと言って素知らぬふりでソファに腰かけた。「点滴はどうします?」
「それを口にしただけで今日のおめぇは合格点だ。てめえでやるから寝ろ。」
「そういうわけにはいきませんよ。」と言ってとりあえず買って来たヨーグルトを冷蔵庫へ入れようとすると、譲介はジュースと調味料くらいしか入っていないスカスカの冷蔵庫の中に、小さな小箱を見つけた。
「何ですか、これ。」
「気になるなら、開けてみたらいいだろうが。」というTETSUの言葉に、はあ、と言って譲介は冷蔵庫の中から小箱を取り出した。
中を開けると、案の定、ショートケーキが入っていたけれど、数はひとつきりだ。
これが誰の分であるかは、恐らく口にする必要はない。
「あの。……プレゼントは、もう十分ですけど。」
「カレーは明日の昼メシで、そいつはサンタの労働分のボーナスだ。」
「……。」
ケーキが泣くほど好きならもっと早く買ってくりゃ良かったぜ、と言われて、譲介は、腹立たしいような気持で、取り皿とフォークを二組ずつ準備した。
「苺のある方をあげますから、次からふたつずつ買って来てください。」
小さなケーキを切り分けながら譲介が言うと、「苺なァ、……まあ貰っておくか。」とつまらなそうな声を出しながら、TETSUは楽しそうに笑っている。



世界各地で続く異常気象は、ここロサンゼルスも例外ではなかった。
学生ビザで渡米して以来の強い寒波で、外に出るのは無謀だ、ということは分かっていたけれど、譲介はTETSUの『患者』の顔を見に行きがてら、その近くにあるショコラティエを訪れ、予約していた商品を受け取りに行った。クリスマス休暇目前の道路の混雑に加えての、横殴りの雪で、譲介はいつかの冬の日を思い出した。
マフラーで口元から襟元までをぐるぐるに巻いたままマンションに戻ってベルを鳴らすと、パートナーが仁王立ちで譲介の帰りを待っていた。不機嫌な顔で出迎えられ、パートナーに帰宅が遅すぎることを心配されたことに気付いた譲介は酷く嬉しい気分にさせられた。
笑うな、馬鹿野郎、と言われて、ぐい、とマフラーごと引っ張られて口づけされる。凍える鼻が彼の肌にくっつくと、冷てぇんだよ、馬鹿、とキスの間に悪態を吐かれて、譲介の気分ばかりが上向きになる。
愛してます、というと、オレもだ、と言う返事が返ってくるのは、今日がクリスマスだからだろうか。
「おめぇなあ、こんな吹雪いてる日に、どこ行ってた?」
「どこって、まあ、色々ですよ。」
嵐の日に往診していたこともあったのだ、このくらいの吹雪くらい軽いものです、と言おうとしたけれど、目の前の人が譲介のことを心配しているのが分かっているので、口にはしない。
「プレゼントです。」と言って、薄い緑の箱を差し出すと、こんなもんで誤魔化されるか、と言いながら、TETSUは譲介の手からひったくるように箱を受け取る。
「まぁだおめぇは苺ショートみたいなもん食ってるのか。」と言い当てられて、譲介はパートナーにほほ笑む。
「いいじゃないですか、僕があなたに贈った、初めてのプレゼントなんですから。それに、生クリームの味は店によって違いますよ。」
だから、今年も一緒に食べてください、と譲介は言った。
来年も、その次の年も。
半分にすれば、すぐになくなってしまうような幸せの味を、この人と一緒に食べていきたいと、そう思った。

powered by 小説執筆ツール「notes」

90 回読まれています