いい人
飲み会の途中でスマホ弄ってるから、家族か誰かに連絡してるんやろな、と思った。
小浜好きやで観光大使を囲む会、もう始まって何年やろ。
福井県人会ならぬ、梅田に集う小浜市民の会で、今年は越前そばのそば付の落語会にしよ、て言ってからもう、ひ、ふ、み、よ、……何年やったかな。
まあ数年は経ってる。
若狭師匠の創作を掛けてくれた草々師匠が紹介してくれたのが、この底抜けに明るい草若師匠で、そば付の落語が終わった後にオレも越前蕎麦食いたいけど余ってへんか、て言われたのが次の飲み会に誘うきっかけやった。
気が付いたら小浜好きやで観光大使である。この人にふさわしいふざけた名前で、きっと代替わりになっても誰もなり手がおらんやろ、ていうのが話のタネやった。
落語の会は最初の一回だけで、福井ゆかりの、焼き鯖の旨いこの店で集まって、特に好きでもないへしこをつまみに食って、好き勝手に飲んで、スナックでもないのに、いきなりアカペラで歌が入ることもある。
底抜けに~がリバイバルしてもう二年。
ふたたびの底抜けブームが到来して忙しい頃合いにも、この集いに草若師匠は来てくれた。
恋人とか奥さんとかいい人はおらんとは聞いてるけど、まあ気付かへんうちに電撃入籍とか芸能人ならよくある話やからな。
囲む会ていう名目はあっても、酒を飲むだけの会になってるわけで。このところの会の顔ぶれはほとんど固定で、その固定面子の中に、いつも都合付けて小浜にゆかりのあるこの人がずっといてくれてるのありがたいし、嬉しいことや。
普段なら陽気に飲んで騒いで、輪の中心に踊り出て来るていう感じのある草若師匠が、今日はなんや冬眠中の熊みたいな様子で、あかん日やったんかな、そっとしたろ、ていう感じになってる。
「草若師匠飲んでますか?」
今日はなんや、延々と枝豆つまみにしてちびちびと呑んでるなあ、と思っただけやった。
「飲んでるで! お前も飲んだらええわ!いつもありがとうな~。」と言って空いたジョッキにその辺にあった気の抜けた生中を注がれたので、すいません、と言って返杯でジョッキの中にギリギリまで注いだ。
そうすると、来年くらいにまた、落語の会もええかもしれへんな、と思えてきた。
「最近仕事の方はどうですか?」
「そらまあ、去年に比べたら減っては来てるな。一度ガクッと減ったら、残酷なもんで、改変の時期にひとつ減ったら、あとはレギュラー出演の仕事がなんもなくなるまであっという間やで。一回経験してるから分かってるけど、分かっててもなんや気落ちはするわな~。」
なるほどなあ、と思った。
「こっちの仕事なくなったら地方回りもあるで、てマネージャーは言ってるけど、昔みたいに旅行気分で行けるならともかく、前ほど体力もないし、電車で行く交通費払ってまともな旅館に泊まったら飛んでくようなギャラのとこに出るくらいなら、そろそろこっちでも高座の仕事増やしたいからなあ。あ、小浜は別やで! なんやここで言うのもなまぐさい話やけど、県やら市やらの協賛あって補助金ある企画は、そういうの別立てで予算立ててくれるからこっちの懐に入る額が違うねん。」
そら鮒ずしくらい生臭い話やなあ、と思ったけど確かになあ。
普段のこの人ならきっと、人生になんやかんやとあろうとオレは負けへんで、浮世の憂さは忘れてパーッと騒ごやないか、て気炎を上げる方に行くんやけど、こういう理由ならしゃあないなあ、と思う。
今日は昼に注文ようけ入ったとかで、焼き鯖も終わりになるのが早くて、人数分足りへんで、代わりにどこの居酒屋でも食べられるだし巻きとか食べてもテンション下がるだけていうか。
こういう日こそ飲まんとあきません。
そう言って、空いたジョッキにどうぞ、飲んだら楽になるかもしれません、と言って二杯目を注いだ。
「ええか皆、オレは一生寿限無やるで~~!」
誰も聞いてへんわ、とはツッコミ辛いそのひとこと。
みんな、酒を飲むのを止めて、おお、と手を叩き始めた。
お前ら、揃いも揃って、選挙カーに乗っとるおっさんの所信表明演説聞いてる感じの顔しとるで、なあ。
三代目草若一門は、酒に強い、て誰かが言ってた。
草々師匠がザルやし、草原師匠はあの体格らしく延々飲みはっても顔色変わらんし、四草師匠は……あの人はタダ飯食う機会逃さんだけやけど、酒も飲めんことない、ていう話は聞いてたんやけど。
草若師匠、気が付いたら机に突っ伏してしもてた。
「おい、草若師匠に酒飲ましたん誰や~!」
「「「お前や!!!」」」
オレかいな。
「草若師匠て、もしかしてめちゃめちゃ酒弱いやん……。」
「いや、誰でもちゃんぽんしたら深酔いするやろ。」
お前それ見てたんかい。
「今日はちょっと飲んでしもたんとちゃうか。」
お前も聞いてたんかい。
「ビールは余計やったと思うで。」と言われたのがとどめの一撃で、脱力しながら、そらそうか、と納得してしまった。
いや、あかんがな。
お前ら分かってたんなら、日本酒追加するかジョッキに注ぐの止めえや。
もうちょっと寝かせてそれからタクシー乗せるか、この辺のホテルに泊めるかしたろ、という相談をしてたら、ここですか、という声が座敷の外から聞こえて来て、「失礼します。」という仲居風の服を着たウエイターと、……見たことのない男前、ていうか見たことはあるし存在してることも知ってたけどこういうとこにはあんま来えへんのと違うか、ていう男前が来た。
「草若兄さんいてますか?」という声に聞き覚えがあった。
草若師匠の落語会聞いたていうたら、四草師匠の落語なら聞きたい、そっちの主催出来へんの、と言われること百回。
どんなやねん、と思いながら日暮亭に行ったら、半分以上は席がそこらの綺麗どころで埋まってる。
歌舞伎の客層てこんなんですかていうお嬢様までいてるし、落語会に出て貰うギャラ聞いたら耳を疑う値段だった。
そば付きの落語会やったら師匠が蕎麦好きやから値引きがありますて言われたけど、十五万円の服が半額になっても庶民には手が出えへんぞていうのと似たような話で聞く気もなくなった。
「もしかして、徒然亭四草師匠、ですか?」
「ええ。」と相手は頷いた。
なんや高座で見た時より眼光強いな~。草若師匠は高座の時より当たりが柔らこうなるけど、こっちは普段はこういう感じの人なんか?
「あの、何でここに?」
「なんでて、この人に迎えに来いて言われたので。」
兄さん帰りますよ、と正体をなくした草若師匠の肩を揺すってる。いやあ、今寝たばっかで起きへんやろ。
「すいません、ちゃんぽんになってしもて。」
「謝らんでもええですよ。どっちかいうと潰れるほど飲む方が悪いんと違いますか?」
「オレ、肩貸しましょうか?」と言うと、結構です、とにべもなく断られた。
寝息交じりの「しーそー、」という声が聞こえて来て、四草師匠の視線の険が取れた。
ああ、と思った。
なるほどな、おるやないですか、いい人。
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