愛おしさを石にして/オズ+アーサー(2021.11.8)
⚠︎死ネタ
「アーサー……、いや、中央の国の王子よ」
掠れた声に呼ばれて、アーサーは振り向いた。重厚感のある響きは変わらないものだと思っていたのに、病床についてからは弱々しい。伸ばし続けた髪がシーツに広がって波のようだ。
「なんですか、オズ様。急に畏った呼び方をして」
もう私は王子でも王でもありませんよ、と軽やかに弾むこたえに、反応はない。オズを寝かせたベッドに近づくと、雰囲気を緩めて笑った。覚えているか、と小さく聞いてくる姿は確かに長年そばにいたオズなのに、ひどく穏やかに語りかけられると、時折眩しさで目がくらむように思う。
「おまえが石になったら食べると、言っていただろう」
微かに息を呑んだ音は、オズの耳に届いただろうか。それは、アーサーがずっと気にしていないふりをしてきたことだ。片時も忘れたことはなかったが、オズが少しずつ魔力の弱まりを見せ始め、賢者の魔法使いではなくなった頃から、話題に上らせないようにしていた。
「ええ。私、アーサーは、石になるまであなたのものですよ、オズ様」
大昔に言われたことを、守り続けてどれほど経ったか、お互い数えてはいないだろう。アーサーが中央の国の王としての務めを果たし、他の王族に王位を継承した後は、オズの城へと帰り共に暮らすようになった。年に一度だけ魔法舎を訪れて〈大いなる厄災〉と闘う以外には目立った予定もない身のふたりだ。
北の国での暮らしはゆるりと流れて、オズが死期を予見するようになると、眠る時間が少しずつ増え、それと比例するように、魔力は少しずつ減った。少しずつ、少しずつ降り積もった、この生活へのいとおしさが、ぎゅうぎゅうと身を締め付けるようになったことを、アーサーはオズに隠し続けたけれど、なにぶん数百年も一緒にいるのだから、気付かないわけもないだろうとは思っていた。
「おまえは、よく共にいてくれた。だがそれと同時に、おまえの人生を奪ったのかもしれない」
「オズ様、」
なにを言うのかと訴えようとしたのを目で制されて、大人しく椅子に腰掛けた。オズはほとんど起き上がれないため、そばにいるアーサーもここが定位置のようになっている。少し視線を逸らせば、本やペン、インク、裁縫道具など、暇をつぶすためのものを収めている棚が目に入るだろう。
この椅子に座るのはアーサーをのぞけば見舞いに来る者たちくらいだ。あの世界的な魔法使いオズを仕留めようと来るものもあったが、そういったものは全てアーサーが追い返していたし、争ったことのあるものでも、顔を見ただけで帰っていくこともあった。
ひとつの時代が過ぎ去っていくのだろう、ホワイトの肉体が失われたときのように。あのミスラでさえ、じっと顔を見つめて、力なく座り込んでいたくらいだ。いくつもの知り合いを失った長寿の魔法使いたちは、寂しいという言葉さえ探せずにいる。
「私は、おまえにした予告を守れないだろう」
瞼を閉じてオズが零したそれは、行き場もなく滞空して、僅かに開いていた窓から逃げていく。それでやっと、春という、生温く、滑らかで、瘴気のない季節のことを思い出した。外気を吸っても凍えて死ぬことはない程度だが、北の国にしては暖かい。
「私は、……もうおまえを石にする力もない」
「オズ様! それは、」
「アーサー、よく聞け」
違います、とは言えなかった。魔法でも使われたように喉の奥に押し込められ、唇を噛む。オズにもわかっているはずだ。いくら力が衰えても、アーサーの命を奪うことなど造作でもないことを。そもそも、オズの手によって行う必要もないことを。
「しかし、……オズ様……」
「幸運だったな、中央の国の王子よ。世界最強とも謳われた魔法使いに、数百年もとらわれながら、生き抜いたのだから」
アーサーは黙って聞いていた。否定することも、遮ることも、制止することもできず、静寂がふたりの間を駆け抜けていく束の間、その足音が自分の心から波紋を呼び出していくのを、ただ聞いていた。
「幸運な王子は、ついにはその魔法使いが石になるところに立ち会って、……」
歯を食いしばり、拳を握り、息を詰めてながら、目だけはひらいていた。しっかりと、オズを見詰め、なにをも見過ごすまいとしていた。
「その石を自分のものとして、食った」
「ぉ、っ……」
ぁ、と吐息と変わらないような薄さで吐き出された音でも捕まえるのはたやすい。恐ろしい北の魔法使いが口を噤んでしまったから。この世界で生きてきて、事実が捻じ曲げられていくところなど山のように見てきた。オズへの評判なんかは特にそうだ。それを、オズ自らが行おうとしている。そうした改竄のひとつひとつにアーサーが腹を立ててきたのを見ていたはずの、オズが。
「中央の国の王子よ」
「っ、はい、オズ様」
ふいに目尻を緩めた、世界最強の魔法使いは、世界征服なんて恐ろしいことをしたようには思えない、慈愛にあふれた表情で言う。
「ありがとう」
締まりのない顔だ、と初めて思った。オズはいつでも凛々しくて格好良くて、強くて優しくて、芯の通った魔法使いだった。いつだってアーサーにとっての尊敬すべき、偉大な、魔法使いだった。
「それはこちらの台詞です、オズ様。私を拾って育ててくださって、ありがとうございます」
お前のためではない、とはもう何度聞いたか。アーサーはその度に否定してきた。頑固だな、とは旧知の魔法使いの談だが、誰が誰に似たのだか。寝息を立て始めたオズは、やはり見慣れたオズでもありながら、今までに見たことのないひとのようでもあった。
それからいくらかの日が経ち、アーサーの魔導具である魔導書の表紙には、魔法石のかけらが埋め込まれることになった。それを撫でる指はもう幼子のふくよかなものではなくて、成長しきった大人のそれだ。
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