車内販売


窓の外では、雪がちらついている。
あれ、と譲介が隣の席で言う声が聴こえて来た。
「スプーン折れてないか、これ。……クソ、固いな。」という声が続いた。
列車が発車してすぐのこと。
社内販売って初めてです、と言ってワゴンを押して移動して来た女性から譲介が買ったのは、どうやらアイスクリームだったようだ。
張り切って買った「それ」を食べようと奮闘しているらしい独り言に、一人は口元を緩め、「譲介。」と弟子の名を呼んだ。
「あ、先生。すんません、うるさくして。僕に構わずに寝ててください。」
紙のスプーンを持って、大層硬いであろうアイスクリームのカップに手を添えた譲介は、まるでいたずらが見つかった子どものように慌てている。
一人は小さく吹き出し「謝らなくていい。」と言った。
「じゃあ、笑わなくてもいいじゃないっスか。」と譲介は眉尻を下げている。
「お前は知らないかもしれんが、車内販売のアイスクリームというのは、ふつうは生半な時間では溶けないぞ。手の熱を使うか、……あるいは降りた頃に試すか。」
腕時計を見ながらそう言うと、そんなあ、という情けない調子の言葉が続く。
村に来た頃の譲介は、年かさの人間に、一也ちゃんの次に来たのは愛想がない、などと言われていたが、譲介が受験を止めこの村に居残ることになったことと、この村のことを徐々に話していくことを併せて宣言して以来、徐々にそんな声を聴くこともなくなってきた。
周囲の人間が受け入れてくれればよし、そうでなければ、また譲介をいつもの忘年会に参加させるか、と考えていたが、その必要もなかった。
今の、いささかリラックスしすぎているような譲介の様子には、初めて逢った頃の抜身の刃のような男の面影はほとんどない。
「知ってたなら、教えてくれたっていいじゃないっスか。」と拗ねたような横顔になって、アイスクリームの紙の容器を掴んでいる。
「さっきはオレが何か言う前に財布を出していただろう。そこで買うのを止めるよう言えば、販売員に対して礼を失することになる。」
「そんなもんっすか?」と譲介が首を傾げているので、そういうものだと頷く。
「それにしても、お前がアイスクリームが好きだとは知らなかった。」
「夏にイシさんが買って来るアイス、小豆とか抹茶、あとはチューブ入りのシャーベットとか、かき氷っぽいのばっかじゃないっスか。身体が冷えるから食べてますけど、本音を言えば、こういうのがいいです。」あの人のところで贅沢の味を覚えちゃったみたいで、といいながら、譲介は小さなカップに指先を添えている。
「小豆と抹茶では、ダメか。」
「ダメってほどじゃないっスけど。それに、村井さんも麻上さんもああいうのが好きだから、三対一じゃ勝ち目がないんスよね。」という譲介に、そうか、と頷く。
麻上君は何でも美味しそうに食べるから、おそらく譲介がバニラアイスを食べたいと言えば味方をしてくれるだろうが。
「まあ、たまには負けておけ。……しかし、今の時期にアイスクリームとはな。」
「なんとなくです。あ、端っこだけ溶けて来たな。」
食えるか、と言いながらスプーンを動かしているので、仮眠を続けるかと思ったところで、また声を掛けられた。
「そういえば、K先生。あのカルテ置き場に、夏は天井に幽霊が出るって言う噂、本当っスか?」
「……誰に聞いた?」
「麻上さんっスね。」
「そうか、麻上くんか。」
確か、富永が来て二年目の夏に、ふたりでカルテの整理をしながら怪談話をした記憶がある。
勿論、地下室に降りる梯子と階段をひっかけての作り話だ。それはその場で聞いた富永も分かっていたと思っていたが、まさか麻上君にまでそんな与太話をしていたとは。
「……麻上君から聞いた話を信じたのか?」
「信じてはいないですけど。でも、幽霊がいるなら、あの寂しい墓地に出るよりは、ここの地下室の方が良いわよね、って麻上さんが言うのには妙に納得してしまって。僕も、碑銘のない石があれだけ並んでいるのを見て、やはり寂しいと感じました。草取りされてなかった時期に行ったからかもしれませんが。」診療所の地下なら、僕も時々見に行きますから、と譲介は言った。
「そうか。」
譲介がそんな風に言うのを、初めて聞いた。
「幽霊の話は、オレの作り話だ。」
「そうなんっスね。」
短い沈黙の間に、また車内販売の声が戻って来た。
アイスクリームに、ホットコーヒー、お飲み物、おつまみ、お声がけください……。
「もう少し暖めたら、食べられるようになる。」と告げると「今すぐ食べたいんスけど。」と譲介は子どものように小さな声でぼやいた。
もう少し待て、と呟いて、また目を瞑る。
先生、次に目を開けたらアイスなくなってるっスよ、という譲介の声を聴きながら、短い眠りへと落ちて行った。







Fuki Kirisawa 2024.02.11 out

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