ポスト・トゥルースのダンスホール(ホストパロ)

※サドンデス衣装のカード絵を見てつい書いてしまった謎パロです





 ──『眠らない街』だなんて呼ばれる場所は地球上に数あれど、ここは特別、カネのにおいと愛憎渦巻く混沌の街。
 期待に胸を弾ませて店のドアをくぐる彼女達へ、とびっきりの夢を提供するのが俺っち達のオシゴト。それが泡沫の夢だったとしても、朝が来るまでは毎秒天国を見せてやる。
 もてなして、気持ちよくさせて、夢中にさせて。あんたは俺っちに会うために生まれてきたンだぜってわからせるまで、いくらでも甘い言葉を吐いてやる。
 ここは新宿歌舞伎町。天国と地獄が隣り合わせの、愛すべきハリボテの街だ。



「リンネさんはよざいアース‼」
「うぃ〜、はよ」
「リンネさん、スーツクリーニング出しときましたよぉ」
「ヘイヘイ、サンキュ〜」
「店長〜、また領収書出てねえっす」
「あ〜悪ィ、ニキにやらせといて」
「リンネはん」
「店長」
「リンネさん‼」



「ゔ~~……」
 俺っちは痛むこめかみを押さえつつ目を開けた。
 寝たのに疲れた──というか、夢の中でも仕事をしていた気がする。最悪だ。なんとか手探りでスマホを探し出し液晶を覗く。
「……だる」
 画面は真っ黒なままうんともすんとも言わない。バッテリーが切れていやがるらしい。
 次。暗い天井に目を凝らす。ここはどこだ。自宅か、ホテルか、客の家か。
「──天城。また店で寝たのですね」
「え、うおっまぶしっ」
 不意に頭上から振ってきた男の声。身構える前に蛍光灯がフルでともり、一瞬視界が真っ白になる。目が潰れた。
「メ〜ル〜メ〜ル〜……」
「なんですか。恨み言なら聞きませんよ」
「違ェよ、もっと労わってくれてもいいンじゃねェのって言いてェンだよ俺っちは」
「もっと聞く価値がありませんね」
 声の主は俺っちの寝ているソファをスルーしてデスクに向かったっぽい。ガラガラと椅子を引く音がする。
 そうか、あいつが来たってことはここは自分のとこの事務所で、今は開店前の夕方くらいか。
 ようやく目が慣れてのそのそと身体を起こした。ゆうべは太い客に延々拘束されて、シャンパンやらウォッカやら浴びるように飲んで、それからどうしたンだっけ。途中から記憶がない。
「水、そこに置いておきました。起きたら何か食べてください、身体が資本なのですから」
「ンだそりゃ、昼職みてェなこと言うなよな」
「昼も夜も関係ないでしょう。食べたらシャワー浴びてきてくださいね、肌の荒れたホストなんて目に入れるのも苦痛なのです」
「手厳し〜……」
 やっとこちらを振り返った男はウチの店のナンバーワン、源氏名を『HiMERU』という。
 誰よりも早く出勤し誰よりも女を魅了し誰よりも稼ぐ、どこに出しても恥ずかしくないホストのプロフェッショナル。低くて甘い声と王子さまみてェに綺麗なツラで、トップの座をほしいままにするやり手だ。ついでに副店長として俺っちの補佐的な役割も担ってくれている。
 ……違うな、お目付け役か。まあそれはいい。
「メルメルは今日もべっぴんだねェ♡」
 俺っちが惚れ込んだその特別な美貌に、目覚めてすぐお目にかかれたのだ。二日酔いはしんどい(マジでしんどい)けれど、それだけでも儲けもんっしょ。
 ンで、俺っちこと歌舞伎町の君主リンネくん(源氏名)に口説かれたあいつの反応なのだが。
「……」
 シカトである。
 客に褒められた時などは蕩けそうな笑顔で「あなたはHiMERUに会うたび可愛くなりますね♡」なんて返しているくせに、俺っちにはフルシカトである。
 そんで喋ったら喋ったでお口が可愛くない。かつて怒涛の本カノ営業で女泣かせの異名をとった俺っちを男泣きさせてしまえるくらいには、それはもう見事な切れ味だ。
「万年二番手に何を言われても響きませんね」
「手厳し〜」
 おめェが来るまではナンバーワンだったっつーの。
 とは言えこいつと一位を争ったのは今は昔。経営側に回った今となってはすっかり落ち着いてしまって、もはや「ウチのナンバーワンはすげェだろ」くらいの気持ちでいる近頃である。いっそ引退して後進に譲っちまうか。
 まあ結局のところ、だ。俺っちも頂上で咲き続ける『HiMERU』のきらめきに目が眩んで心を奪われた大勢のうちのひとりなのだと、いい加減自覚してやらなくもない。



 シャワーを浴びて戻ると、メルメルはPCと向き合って何やら作業をしていた。集中しているのか俺っちには気づかない。そうっと近付き背後からぎゅうと抱き締めてやれば、「ぎゃっ」とゾンビにでも出くわしたみたいな悲鳴が上がった。
「失礼っしょ」
「あなたが急に抱き着くからです」
 シャツを引っ掛けただけの裸の胸をぐいぐい押し返される、強めの拒絶。今更傷付かねェけどさ。
「何してンの?」
 首を伸ばしてデスクトップPCのディスプレイを覗き込む。そこにずらずらとリストアップされていたのは膨大な量の顧客情報だった。むろん全て『HiMERU』の客だ。
 来店日、時間帯、居住地、出身地、趣味、好きな食べ物好きな酒、年齢職業誕生日……エトセトラ。ざっと項目を勘定しただけでも三十近くある。
「これ全部記録してンの? この数?」
「どの数でもやりますよ」
 当たり前のように言ってのけた彼はキーボードを叩く手を止めない。ナンバーワンに胡座をかかずストイックでい続けるというのは、ある種の才能だ。俺っちはこいつのこういうところも買っている。
 そしてこの男が特別なホストである所以は他にもある。
 『HiMERU』は決して同伴をせず、アフターにも行かない。彼は限られた時間と場所でのみ会えて触れられる高嶺の花。本人がそう公言しているにもかかわらず、それでもあわよくばと望む女性は絶えない。もう一度指名すれば、もう一本シャンパンを入れれば、あるいは──そんなことを繰り返してはドツボに嵌まる客を何人も見てきた。待ち受けるのは破滅だ。
「悪ィ男」
「好きでしょう? 悪い男が」
 オフィスチェアを回して身体ごとこちらを向いたメルメルは、目を細めて妖艶に笑う。そこで俺っちはふと思い出す。
「あァ、昨日」
 そうだった。昨日はクローズしたあと、こいつの部屋に行く約束をしていて。けれど酔っ払って前後不覚だった俺っちは、辛うじて事務所のソファに倒れ込んで。『一時間寝たら行く』とラインを送るのとほぼ同時くらいに意識を失って、今だ。完全に思い出した。
 メルメルと俺っちは所謂セフレというやつだ。時折どちらかの部屋で会ったり、タイミングを合わせてホテルに行ったり、閉店後や開店前の店で性急に致すこともある(めちゃくちゃ怒られるから滅多にしない)。きっかけは酒の勢いだったかもしれない、もう覚えてない。試しにヤッてみたらそこらの女よりよっぽど具合が良かったっていう、そんな最低な理由で足掛け数年、この関係が続いている。
 というわけで、ピンときた。ゆうべ俺っちに抱かれるつもりで準備して待っていたメルメルは、放置されたことを怒っている。だからいつもの三倍くらい当たりが強いってわけだ。
「うわそっか、悪ィ」
「思い出すのが遅いのですよ」
「悪ィって。今何時?」
「……。四時」
 オープンは夜八時。ならば四時間も前に入店する理由はひとつ。
「──まだ、誰も来ませんよ」
 俺っちはにんまり、二日酔いのだるさなんか吹き飛んじまう。我ながら単純である。
 据え膳は目の前。だけどがっつくのはスマートじゃない。俺っち達ホストはいつだって冷静に、相手の欲しがる餌をちらつかせてじっくり待つのだ。
「もっと上手に誘えねェの? ナンバーワンホストのHiMERUくんよォ」
 椅子に座った彼の背後にあるデスクに両手をつく。吐息がぶつかる距離で見下ろした顔はため息が出るほど麗しい。艶やかな髪、整った眉、長いまつ毛、通った鼻筋に手入れの行き届いた唇、きめの細かい肌まで全部、完璧な商品であるために彼自身が磨き上げたものだ。客に幸せな夢を見せるための商売道具だ。
 でももし、それらを誰よりも近くで見て触れて独占しているのが俺っちだと知ったら。『HiMERU』を繋ぎ止めることにカネと人生を賭けている客達は、一体どれほどの絶望を味わうことになるのだろう? 考えただけでゾクゾクする。
「今、他のひとのことを考えたでしょう……?」
 ひた、頬に掌が触れる。そこを軽く撫でた指先は徐々に下へ降り、唇へ。
「HiMERUがいるのに。今は、HiMERUを──俺だけを見ていてくれないと、いやです」
 偽りの愛を囁くことに慣れすぎて砂漠に成り果てた心臓を、再び高鳴らせる音がある。まなざしが、ぬくもりがある。ああ──感情のたがが外れてしまいそうになる、こんな響き。嘘でよかったと心底思う。
 金色の夕暮れを覆い隠す分厚い夜の帳が下りたなら、ハリボテの街は豪奢な城に。薄っぺらな愛の言葉だって、いつかは本物に。
「……敵わねェなァ」
 手首を捕らえてキスを贈る。それを合図に俺っち達は虚飾の世界に嘘を塗り重ねて、恋人ごっこに興じるのだ。

powered by 小説執筆ツール「notes」