金のひかりの数多の星の

 ゴールド一色に統一された電飾は、派手ではないながらもあたたかみと品があって好ましい。整然と居並ぶ金いろの並木道、石畳の歩道をひとり、歩く。
 今夜はことのほか冷えるな。擦り合わせた手のひらにはあと息を吐きかける、期待したほどの白は目に映らず拍子抜けしてしまう。周囲が明るいせいだろうか。虚しさから翻って寒さが募った気さえして、うんざりする。
 あたたかい場所で待っていてください。数十分前に送信した短いメッセージの横には“既読”の印。返信はなかった。

 一年でいちばんと言っていいほど、どいつもこいつも浮き足立って、街はどこもかしこもきらきらしく騒がしい、年の瀬も迫る時節。HiMERUを含むいちぶの職業人にとっては最大のかきいれ時でもある。

 外で待ち合わせをすることになったのは、急に互いの時間が空いたからだった。各々の仕事を滞りなくこなしたあとにぽっかりと生じた、不測の空白。寒さは苦手だけれど、イベントごとに乗っかってはしゃぐことは大得意なあの男が、この機を逃すはずがなかったのだ。
 “デートしよ”のたったひと言だけ。簡素な誘い文句とスマホ画面の向こうに期待と熱のこもった瞳のきらめきを幻視してしまえば、無視などできようはずもなく。“誘うのならまず時間と場所を提示するのが筋でしょう”と返信してから、自分は随分とあいつに甘くなった、とこめかみを押さえるHiMERUであった。そもそもデートをするような間柄になった覚えは、ない。



 並木道を抜け、開けた場所に出る。イルミネーションをバックに写真を撮る家族連れやカップルのあいだを苦労しつつも横切り、ごみごみした広場の中に相手を探した。直前に到着の旨を連絡したから、見つけやすいところにいるはずだ。たぶん。
 ぐるりと半周、広場を歩いたあたりで、隅のベンチに座る姿を見つけた。軽く手を上げる。彼もこちらに気づいた。笑みのかたちに開いた口があんぐりと驚きを象って、HiMERUを捉えた目がどんぐりみたいにまん丸に。自分が芸能人だということを忘れて笑い出しそうになる。ああ、言っていなかったか、そういえば。
「──お待たせしました」
 ちゃんとあたたかくして待っていましたか? ベンチの前に立ち、黒いフライトキャップのふわふわな耳当ての内側へ、戯れに手を伸ばす。呆然と座ったままでHiMERUの仕草を追っていた碧い瞳が数度瞬いて、がっしりと手首を掴まれた。おや、我に返ったな。
「おい──」
「手が冷たいですね。しばらくかかるのでどこかに入っていてくださいとお伝えしたつもりだったのですが」
「お、おま、」
「ずっと外にいたのではないでしょうね? 風邪を引いたりしたら怒りますよ」

「おまえなんッで制服なの!?」

 迫真の問い掛け。笑いを堪えるのに必死なHiMERUは咄嗟にマフラーを引き上げて口元を隠した。やっぱりそこか。
「学園で期末面談がありまして。そこからスタジオに直行で撮影して、終わってすぐここへ来たので。制服のままでもおかしくはないでしょう」
「おかしく……ッは、ねェけど……!」
 不躾な視線がHiMERUのつま先から頭のてっぺんまでを何度も往復する。冬制服の上に厚手のトレンチコートを羽織りマフラーで防寒した、どこに出しても恥ずかしくない模範的な高校生の姿だ。ファッションショーよろしくその場でくるりと回ってみせる。自分が制服姿でいるとこの男が毎回妙な反応をしてくることを、HiMERUは知っている。
「しないのですか? デート」
「……」
 立とうとしないそのひとに手のひらを差し出すと、じと、と半目が睨み上げてくる。鼻の頭が赤い。寒さのせいだけではないだろう。
「てめェそのカッコで俺っちの横歩く気かよ」
「──ふふ」
 無理やり手を取って笑った。そんなに照れなくても。照れ……て、ねェよ、いや照れてンのか俺は? 照れてンのか? 天城燐音、稀に見る狼狽ぶりである。制服、好きなくせに。好きで悪ィかよ、俺っちにとっちゃ憧れなんだっての。制服。キラキラの青春、学園生活! ……なんらかのバイアスがかかっている気がしないでもないが、まあいい。
「しましょう。制服デート」
「エエ〜なんでメルメルはそんな乗り気なわけ……?」
「天城の愉快な顔が見られるので」
「悪趣味ィ」
「どっちが」
 この『俺』の、似合いもしない制服姿を散々面白がっておいて、どの口が言う。HiMERUに手を引かれてもしばらくは「グギギ」とか言いながら抵抗していた燐音だったが、ついに根負けして腰を上げた。なんか悪ィことしてるみてェ。目を逸らして呟く。
「今までしていないつもりだったのですか? 悪いこと」
「それを言っちゃオシマイっしょ……」
 金いろの街路樹の下を歩く彼らには、ひかりが妖精の粉のように降り注ぐ。雲に覆われた星空の代わりに頭上を彩るはLEDのあかり。明言してしまえばなんてことはない人工の輝きでも、この時季だけは特別なものとして人びとの心を癒す、電球色の星々。俯いてスマホに集中していたビジネスマンも目線を上げる。丸まっていた背中が伸びる。瞳がやわらかくほどける。そんな季節。
「めずらし。手ェ繋ぐの?」
「誰にも見られやしませんよ。今はね」
「……それもそうか」
 みんなイルミネーションに夢中だもんな。ひそひそ話のボリュームで燐音が言った。台詞に反してまだ周囲を気にしているふうなのが彼らしい。そういうところをHiMERUは嫌いではないし、広場で凍えながら待ち人を探す姿を目に入れた瞬間から、冬の夜特有の虚しさも気にならなくなっていた。健気さが愛おしくて。自分の一挙一動に驚いて拗ねて笑う彼を見ていれば、寒さを耐え忍び歩いてきた甲斐がある……どころか、お釣りだってくるというもの。
 あ〜あ。燐音の吐く息は真っ白け。横目で見やったHiMERUは、こいつは体温が高いからかもしれない、とあたたまってきた指先に思う。
「寒ィから速攻ホテルに連れ込んであっためてもらう算段だったのによォ」
 ぴかぴかと控えめに主張するあかりを見上げ、わざとらしく愚痴っぽく。制服着てたンじゃホテル行けねェじゃん、俺っち逮捕されちまう。HiMERUが引いていたはずの手は、今は反対にHiMERUの手を包んでいた。
「やっぱり。悪いこと、しようとしてたんじゃないですか」
「俺っちに言わせりゃ『いいこと』」
「成程。『都合がいい』」
「違ェ違ェ、『仲がいい』俺っちたちで『気持ちいい』ことすンだろォ?」
「……本当、口が達者で感心しますよ」
 肩を竦める。感心ついでに“燐音好き♡ 抱いて♡”くらい言ってくれてもいいンだぜ? 調子づいたことをほざくから、膝裏に蹴りを入れてやった。言わない。言わないけど、抱かれるつもりで来てやってますよ、今日は。
「へ〜え?」
 燐音の、HiMERUの手を握る力が強くなった。いいじゃん、機嫌。まあ、普通です。俺っちをドキドキさせられて満足っしょ? それなりに。何かを企む、笑みが近づく。
「そんじゃ今日は、制服着たままヤらせてくれンの?」
「駄目です。皺になる」
「ぎゃはっ、駄目なのかよ」
 ばっさりと断ったにもかかわらず楽しそうに笑う。繋いだ手は離されなかった。
「ま、いーわ。イルミネーションにィ、制服のメルメル。非日常を味わうにはじゅうぶんっしょ」



 HiMERUは、次の春には秀越学園を卒業する。制服を着て冬を過ごすのは最初で最後。そんな時をこの男と共にするのは──デートとは名ばかりの、寒い寒いと文句を垂れながら浮かれた街を歩き回るだけのそれは、思い出づくりとしては上等だと思えた。

「いい夜にしようぜ?」

 もう随分と絆されていた。引き寄せた手にくちづけた燐音の、悪戯っぽく細められた目に釘付けになってしまう程度には。
 人びとの目を楽しませる数多のきらめきも、天城燐音にかかれば単なる背景になり下がる。清らかなばかりのひかりよりも、とびきりの刺激がほしい、こんな夜は。こんな夜だからこそ。

「──あなた次第なのですよ」

 囁いたHiMERUに大人びた微笑を返すと、すこし早まる歩調。今すぐにでもその体温に甘やかされたかった。

powered by 小説執筆ツール「notes」