これより先は、/浦一


 がさ、がさ、と揺れる紙袋をふたつ。両手にぶら下げて歩く土手には曼珠沙華が赤い絨毯のように一斉に花を咲かせている。太陽を浴び、艶やかにひかる花弁は澄みわたった空の青とすっと伸びた茎の透きとおった緑とコントラストをつくってうつくしい。
 小さいころはどこかおそろしく感じた光景も今見ればまた違う印象を受ける。燃えるような紅色がまっすぐ伸びる、ひとすじのひかり。スマートフォンをポケットから取り出して、一枚写真を撮った。うん、とひとつうなずいて、つま先が汚れたスニーカーで土手道を歩き出す。
 深く息を吸い込めば、鼻腔をくすぐる甘いにおい。たぶん、これは金木犀だ。じりじりと肌を焼く陽射しはまだ夏の名残をじゅうぶんに残しているけれど、九月も終わりに近づき、ようやく季節も秋めいてきたのだろう。
 とはいえ、暑さは夏とほとんど変わりがない。汗ばむ額をハンカチでぬぐい、辟易としながらたどり着いたのは自宅からすこし離れた位置にある『浦原商店』という昔ながらの古びた駄菓子屋だった。
 吐き出した息がぬるい。霊圧操作は相変わらず苦手なままで、あのひとにはきっとここに来ていることなどとっくにバレている。降り注ぐ痛い陽射しに背中を押され、カラカラカラと引き戸を引いた。
「こんちはー」
 ふっ、と頬を撫でる冷気が気持ちよくて思わず目を細める。後ろ手で戸を閉め、駄菓子や日用品が置かれた棚がずらりと並ぶうす暗い店内をぼんやり眺めていると、音もなく居間へと続く障子が開かれた。
「オヤ、黒崎サンじゃないっスか。お久しぶりっスねえ」
「おう。一年ぶり……ぐらいだよな。あんまり実感ねえけど。これ、こないだダチと旅行に行ってさ。そのときのお土産」
 ずい、と両手にぶら下げていたお土産を差し出すと、浦原は一瞬面食らった顔をして「いいんスかあ? いただいちゃって」と帽子のつばで隠れたまなじりをやわくほどいてふたつの紙袋を受け取った。
「右側がジン太や雨のほうで、左側がアンタとかテッサイさん向き。口に合うかわかんねーけど……ま、物は試しって言うだろ?」
「アリガトウゴザイマス。黒崎サンにもらったものならどんなものでもいただきます」
「毒でも?」
「毒でも。むしろ、アナタがどんな毒を盛るのか興味があるぐらい」
 そんな何かを期待するような目を向けられても困る。紙袋の中身は旅先の道の駅で選んだ変わった漬物と瓶に入ったあさりの佃煮だ。
「つか、アンタって毒って毒、効かなそうだよな……苦しんでるのとか想像つかねえし」
「そうでもないっスよ?」
 にこ、と笑う浦原に一護は匙を投げた。くちびるをへの字に曲げて、
「残念。そこに入ってンのは飯に合うようなフツーのやつだよ」
 と、肩をすくめた。浦原に会う、という自分に課したミッションは終わったのだから帰ろうかと片足を引いたとき、浦原から名前を呼ばれた一護はおもむろに顔をあげた。
「この暑い中、ここまで来てくださったンです。どうか、上がっていってくださいな」
 喉も、渇いているでしょう? そう水を向けられた一護はとてつもなく喉が渇いていたことを自覚させられ、こくんとうなずいていた。





「栗きんとん、お嫌いじゃないスか?」
 グラスに入った水出し緑茶とともに出されたのは、小皿に乗った茶巾絞りの栗きんとんがふたつ。居間のちゃぶ台に置かれた和菓子に一護はぶんぶんと首を横に振った。土産を持ってきただけなのに、お菓子を出されてしまった。断ったほうがよかっただろうかとグラスに口をつけながら、ちらりと浦原を見遣る。
「……うま」
「おいしいっスよね。昔から贔屓にしてるお茶屋さんの茶葉なんスよ。気に入ったみたいでよかった」
 あまりにも緑茶の味がおいしくて、ぽろっとこぼれ落ちたことばを浦原はうれしそうに拾い上げた。一護は竹製の菓子切りで栗きんとんを切り分けて、慎重に口へと運ぶ。濃厚でしっとりした栗本来の味が口のなかに広がる。まるで本物の栗を食べているようで──……
 眉間のしわがゆるんだ一護を頬杖をついた浦原が眺めている。そのぬるい視線に気づいた一護がハッと頬を赤らめて、「あんま見てんじゃねーよ」と目線を逸らした。
「アハハ、スミマセン。おいしそうに食べてくれるなァと思って。そこの栗きんとんはこの時期にしか出回らないもので、毎年この時期になると買いに行くんスよ」
「へえ。アンタにもちゃんと好きなもんがあるんだな。人にも物にも執着しねえのかと思ってたから、知れてうれしいかも」
「……あ、そうだ。せっかくなんで、お土産見てもいいっスか?」
「ドーゾ。ほんと、大したもんじゃねえぞ」
 紙袋から取り出した品物をちゃぶ台に並べる浦原は鼻歌でも歌い出しそうなほど機嫌がよく見えた。乾物、漬物、佃煮とお土産にしてはどうかと思うチョイスだが、好物でもあったのだろうかと「土産、いいのあったのか?」と残りの栗きんとんを頬張りながら尋ねる。
「お土産がうれしいというより、たのしいご友人との旅先でアタシのことを思い出してくれたことがうれしいんスよ」
 何てことを、ふつうの顔で言うんだよ。ことばを詰まらせた一護に浦原は何でもない顔で「おかわり、どうですか?」と空のグラスを指差した。





 とんとん、とつま先を鳴らして、スニーカーを履く。一年ぐらいでは何も変わらないな、と思った。この部屋も、畳とお香のにおいも、ほんとうに客が来るのか怪しい店内も、背後に立つ胡散臭さをまとったこのひとも。
 土手で見た曼珠沙華のように真っ赤な斜陽がガラス戸からさし込み、商店を赤く染めていた。「黒崎サン」と夕凪を思わせる声で名を呼ばれ、振り向くと一段高いところに立っている浦原が珍しく口ごもって、
「もう会いに来てくれないかと思ってました」
 と、力なく笑った。
 一年前、一護はここで浦原にキスをされた。ほんのすこし皮膚をかすめる程度の、羽毛が触れ合うくらいのささいな口づけ。だから、最初は何が起きたのかわからなかった。でも何よりそれを仕掛けた浦原のほうがきょとんとした顔をしていて、一護の「なんで、」という問いかけに首をかしげて「したかったから? っスかね……」と心底ふしぎそうに答えたのだ。
「……べつにそれだけが原因で一年空いたわけじゃねえよ」
 たかが、浦原の気まぐれが起こしたキスひとつで振り回されてやるつもりはない。ただ大学の授業とバイトと虚退治をすべてやろうとすると思いの外、時間がなかっただけで。
「黒崎サン、大学生ですもんね」
「そーだよ」
「……お土産、ありがとうございました。大事にしますね」
「いや、大事にしねえで食えよ。腐らせたらもったいねえから」
「そっスね」
 はは、と笑う浦原に「……なあ、ちょっとしゃがんでくれ」と言う。一護の言うとおりしゃがんだ浦原の胸ぐらを引き寄せて、ぶつけるようにマウストゥマウスでキスをした。そのままぐいっと胸板を押し返せば、くちびるに指を当てた浦原が「なんで、」とかつての自分とおなじことばを口にした。
「したかったから? 理由なんてねえよ」
 浅瀬でへらへらと揺蕩うこのひとの、深淵を覗いてみたいと思った。

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