ずるくて何が/屋上(2023.6.17)

 きぃ、と音を立てて屋上への扉を開いた。
 少し冷たくなり始めた秋の風が、その紫の髪を揺らす。「おや」、柔らかな声がさほどの驚きを含まないで、耳に届く。なんで、居て欲しくないときに限って。
「瑞希。今日は学校に来ていたんだね」
「あー、まあね。たまには来ないと、出席日数危なくなっちゃうし」
 時刻はちょうど昼休みで、校庭で遊ぶ生徒たちのきゃらきゃらした笑い声が空に響く。フェンスの近くに立ち、校門を見下ろしている類の隣に並ぶ。この場所と向こう側との距離は、相変わらず遠い。ふと、その中に知った顔を見つけた。
「あ、」
「どうかしたかい?」
「ちょっと知り合い、見つけちゃって」
「へえ。どこにいるんだい?」
 申し訳程度に植えられた、片隅の木の下。先の学校行事で初めて顔を合わせた同級生たちが、昼食を摂っているようだった。
「ほら、そっちの。葉っぱで隠れて見えないかもだけど」
「あれは、……東雲くんと青柳くんだね」
「あれ、類も知って、ってそういえば文化祭のとき喋ってたっけ」
「ああ。青柳くんは、司くん──今一緒にショーをやっている仲間の、古い知り合いのようでね」
 その話、ボクも聞いたなー、と相槌を打つ間、考えるのは別のことだ。類には孤独じゃない仲間が居て、その関係は良好なまま続いているらしい。ボクだって、今の状態がずっと続いたらいいのにって、思ってる。思ってる、けど。
「瑞希」
 ああ、いやだな。
「何か、あったのかい?」
 そうやって、ちゃんと気が付いてしまうところ。
「あはは、……分かる?」
 ふっと目を細めてこちらを観察しているところ。
「なんだか、元気がないみたいだからね」
 それが、嫌だ、とは感じないのだって、いやだ。
「ボクってさ、……ずるいんだよねー」
 ここで絵名と話したのは少し前のことだ。話してくれるまで、待つ、と言われた。
「ボクはずっとボクでいたいだけで……、それだけなのに、苦しくて」
「うん」
 決して口数が少ない人ではないのに、返事はひどくシンプルだった。ショーの話ばかりしているかと思えば、目の前にいる相手をよく見ていて、存外人に興味がある。その場に適切な言葉を選ぶこともできるし、他者との境界がはっきりしている分、他人の悩みをそのまま飲み込もうとする。
 古い馴染みは、確かに変わったはずなのに変わらない部分もあって、それも、なんだか。
「応えたいなって思うのに、ずっと今が続いたら、って思っちゃうんだ」
「……」
 くるりと後ろを向いて、フェンスに背を預ける。かしゃん、と軽い金属が触れ合って、ちょっと寂しく聞こえた。一人になりたかったけれど、これじゃいっそう楽にはなれない。
「ずるくて、何か悪いのかい?」
「……そう、かな」
「僕はそう思うよ」
 そっか。声は零れて、転がった。それを拾うことができるのは自分だけだと分かっているのに。話してしまっても、いつも通りに過ごせるはずなのに。ちょうどよく、時間を知らせるチャイムが年上の友人との間に線を引いた。
「……類、そろそろ教室に戻ったら? 授業、始まっちゃうよ」
「そうだねえ。瑞希は戻らないのかい?」
「ボクはもうちょっとここにいようかな。風が気持ちいいし」
 側に置かれていた鞄を持ち上げて、類はそれじゃあ、と別れを告げてくる。じゃあ、と手を振り返す。
「……また、屋上でね」
 待っているから、と言葉ひとつ、残して彼は去っていった。立て付けの悪いドアがもう一度鳴く。
「悪いに、決まってるじゃん……」
 あんなに真っ直ぐ、ボクを友達だと言ってくれるんだから。

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