01アファンタジア

「つまり、デスゲームだ!」
「さすがユクシアム様。ご慧眼御見それいたしました」
「ふふ、そう逸るな。……まだ何も説明していないんだが?」
 ユクシアム・ジリオネアが宣言し、アヴォックが脊髄反射で賞賛した。いつも通りの光景だった。

 音響ホールのような広々したユクシアムの自室からは、一面のオーシャンビューを臨むことができる。顔ほどもある巨大なワイングラスを片手に握ったユクシアムは、ふん、と高飛車に鼻を鳴らした。
「何故デスゲームか聞くところじゃないか、ここは?」
「別に聞く必要を感じないんですよねえ」
「お前はイエスマンのくせに面倒くさがりだな」
「面倒くさがりだからイエスマンなんですよ。否定というのは暇と自己愛を持て余している連中が自慰目的でやることです」
 ふかふかのカウチに体を半ば横たえているユクシアムの脇に、アヴォックは執事よろしく佇んでいる。高い打点から美しい軌道を描いて紅茶をカップに注ぐと、ユクシアムに差し出すでもなく自分で飲んで満足そうに頷いた。
「では僕が説明したいから聞け。ついでにいい感じに相槌を打て。ふふ、これは一大事業になるぞ」
「我が商会もおこぼれに預かれますかねえ」
「勿論だ。お前には馬車馬のように働いてもらうからな」
 はーっはっはっ、とユクシアムは悪役ばりの高笑いを披露した。それがいやになる程様になっている。
 |ジリオネア《超金持ち》の名の通り、ユクシアムは|馬鹿みたいな富豪《・・・・・・・・》だった。
 ジリオネア家の人々に、あなたたちはどれくらい金持ちなのか問えば、太陽系を全部買い占められるほどと答える。ちなみに人類はまだ火星の有人旅行を実現していない。ジリオネアとはそんなとんでもないことを宣ってしまうくらいに馬鹿で、そして誰からもそれを否定させない程の膨大な資産を抱え込んでいた。
 そんなジリオネア家の嫡男がユクシアム・ジリオネアという男であり、生まれてこのかたジリオネアである彼はジリオネア家を体現するような、まさに馬鹿みたいな富豪であった。その隣に執事のような顔をして控えているアヴォックはあたかも執事のような恰好をして執事みたいな振る舞いをしているだけで、ユクシアムお抱えの商会から出向しているただの営業マンである。
「デスゲームをな、開催しようと思うんだ。フィクションじゃないぞ、デスゲームものと銘打って映画を撮ったりアニメを作ったりするんじゃあない。だからと言って、参加者が脱落していくだけ、脱落者に罰ゲームがあるだけの生ぬるいものでもない。本物のデスゲームだ!」
「ユクシー坊ちゃん、法律ってご存知でしょうか?」
「無論だ。僕は弁護士資格も持っている。金で買ったものだが」
「我が国って|最高《最低》ですねえ! 私どきどきしちゃいます」
「それに法律のことなら心配いらない。僕はきちんと、合法なデスゲームを開催してみせるつもりだ」
「デスゲームって合法になるんですねえ」
「ジリオネアの力をもってすれば他愛ない」
「ヒューッ! 資本主義による司法蹂躙! |札束暴行《マネーリンチ》は永久無罪!」
「はっはっはっ! ステイステイ。そう興奮するな」
 雑にほめたたえるアヴォックをユクシアムが片手で制するそぶりをする。
「もしうっかり投獄されたらお前もついてこい」
「仕方ないですねえ。坊ちゃんはお着換えも一人じゃできませんし」
「外注できることは全て外注するのがジリオネアの責務だ」
「怠惰なのか勤勉なのか分かりませんねえ」
「お前がいないと裸で刑務所内を闊歩することになる」
「公然わいせつ罪って塀の中でも有効なんですかねえ」
「刑務所の中にも刑務所があるんじゃないか?」
「仮にも弁護士資格を持っている人間とは思えないド阿呆の発言。感服いたします」
「褒めるな褒めるな」
 アヴォックは営業マンである。ユクシアムに直接雇用されているわけではないし、刑務所まで同行する義理も道理もない。
 だがジリオネアのお抱えになって以降、アヴォックは本社に戻ったことはないし、あそこが自分の居る場所だと感じたこともない。そして多分、これからもそうだろう。そんな確信があった。
「デスゲームだろうが|刑務所島《アルカトラズ》だろうが、どこまでもお供しますよ、お金さえいただけるならね」
「金の切れ目が縁の切れ目というなら、墓の中まで共にしてもらうことになるな」
「では地獄でも何卒よろしくお願いします」
「無論だ、|地獄で会おう《アスタラビスタ》! 再会の暁には獄卒どもを買収してピラミッドをやらせるしかあるまい」
 害悪ストリーマーみたいなことを心の底から本気で言って、そして実現させるのがユクシアム・ジリオネアだった。そして彼の無理無茶無謀に全てイエスと答え、実現させてきたのがアヴォックであり、二人が揃えば当然現実にならないことなど存在しなかった。



 ユクシアムがまず着手したのは、ロビー活動であった。
 つまり政治家との癒着である。
 献金パーティに出向いたユクシアムは惜しげもなく金をばらまいた。彼の参加するパーティで、床が紙幣で埋まらないことはなかった。最高額紙幣があたかもごっこ遊びで使うおもちゃの紙切れか、はたまたちょっと大きい紙吹雪かと疑うような光景があちこちで繰り広げられた。
 その結果として当然のように法案が通った。
 こうして|空間跳躍転送技術《テレポート》の合法化が相成ったのである。
「これがジリオネアの力だ」
 超高層ビルの最上階で眼下に広がる百万ドルの夜景を見下ろしながらユクシアムがワイングラスをぐらぐらぐるぐるやっている。
「流石でございますねえ。それで、デスゲームはどこに行ったんですか? お忘れになったので?」
「これは下準備に過ぎない……伏線ってやつだ。デスゲームにはつきものだろう?」
「デスゲームについてあんまり知らないんですよねえ。人間が死ぬってことは分かります」
「そうだな。人間が一か所に集められて、裏切り裏切られがあり、だいたいは死ぬ。参加者は尋常でないテンションで、常に情緒不安定。常軌を逸した行動の展覧会だ」
「それのどこが面白いんですかねえ」
「僕も不思議だ。|だからやってみよう《・・・・・・・・・》と思いたったわけだ」
 ユクシアムはとんでもない大金持ちであり、産湯はエベレストの雪解け水を屋久杉の薪で沸かしたものだったとかいう神話みたいなエピソードを持っている。そのせいか、他人の心情を推し量るということが極端に不得手だった。不可能と言っても過言ではない。
 だから彼はその欠点を克服するためこれまでジリオネアの資産を使ってあらゆることを自分の身で経験してきた。宝石でできた街を一から作ってみたり、金でできた森を作ってみたり、湖の水を全部酒に変えてみたり、常人には想像すらできない、しないことばかりだった。そうしてユクシアムの感性はきちんとぶっ壊れていった。その集大成がデスゲームである。
 ユクシアム・ジリオネアという人間は大衆からしたらとんでもなく迷惑千万な存在だった。
「坊ちゃんはいつか殺されますねえ」
「殺せるものなら殺してみるがいい! はーっはっはっ!」
「う~ん、死にそう」
「死に方は選ばせてもらおう」
「参考までに聞かせてもらえますか?」
「黄金のロケットで冥王星まで飛ばしてくれ」
「その願いを叶えるまでに寿命が来てしまいそうですねえ」
「……実現できるわけないだろうが。たまには主君を諌めてみたらどうだ?」
「そうでしょうか? 人間が想像できるものはいずれ現実になるとよく言いますし」
 テレポートなんていう魔法みたいな技術について法案を通した……いやそれだけではない。これまで誰も想像したことすらなかった馬鹿げたことを実現してきた男が言うと、ほとんどのことがいつか叶ってしまいそうだ。アヴォックにとっては珍しく、心からの賛辞だったのに、ユクシアムは馬鹿にされたとでも言わんばかりに憤慨していた。
「馬鹿か! 無責任で馬鹿げた言葉遊びを信じているのか? 人が想像したものが現実になるわけではなく、現実になったものしか数えられないだけだ。未来が観測できるようになるまで、”この先絶対に実現することがないもの”はカウントすることはできない。悪魔の証明よりもっと悪い。そうして永遠にゼロのまま、実現された想像だけ詰みあがっていく」
「怒ってるんですか?」
「僕の努力を矮小化されたような気がして腹が立った」
「確かに坊ちゃんは想像を現実にするために粉骨砕身しておりますからねえ。発想と結果がいかに馬鹿らしくとも」



 テレポート技術が法的に認可されたということは、技術が実現できるフェーズに入ったということでもある。
 ユクシアムはこれにもドバドバ、湯水のごとくという言い回しを用いれば湯水に侮辱だと起訴されかねないほどに、惜しみなく金を注ぎ込んだ。その金の勢いで、ところてんが押し出されるみたいにしてテレポート技術は発達し、そうして生まれた待望の製品はすぐさま商業レーンに乗った。当然のようにジリオネアはスポンサーについて世界中でプロモーションした。
 テレポーテーション、それは長らく人類の夢であった技術である。ジリオネアがバックについていなくたって、世紀の大発明として世界を席巻しただろう。ジリオネアがバックについてしまったことで、世界は|大熱狂《フィーバー》することになった。すぐさま公共交通機関として多くの国で導入され、名だたる企業もそれに続いた。街を歩く人影が減ったのに、商業施設や行楽地の人出は増えた。
「順調すぎて片腹痛いわぁ!」
 空飛ぶ豪華客船の一等船室でくつろぎながらワインを片手でちゃぽちゃぽしているユクシアムに、アヴォックが首を傾げた。
「今のところデスゲームのデの字もないですが」
「そう早まるな。せっかちは貧乏人の病だ。これをやるから治してこい」
「はい! 治りました! たった今!」
 ユクシアムが札束をぽいっと投げてよこしたので、アヴォックは赤べこのように頷くだけの生き物と化した。
「そういう訳だから、しばらくはデスゲームのことは忘れ、休暇とする」
「悠長なのは金持ちの病ですかねえ」
「不治の病だ、特効薬は存在しないな!」
 ユクシアムは宣言通り、それから数年の間デスゲームのことは忘れて過ごした。その間に、マントルまで届くような地下トンネルを掘ったり、はたまた月面まで届くエレベータを建築したり、主にY軸方向にせわしなく移動していた。
 テレポーテーションが世間一般に浸透し、もはや日常生活になくてはならないものになったころ。思い出したように、デスゲーム企画を再始動する、とユクシアムが宣言した。
「デスゲームってなんでしたっけ?」
「デスゲームはデスゲームだ。人が死ぬのを楽しむ遊戯だな。そんなことも忘れたとは、脳みその容量が少ないのか? これで拡張するといい」
「はい! HDD増設します!」
 月面の別荘で壁一面のディスプレイに大写しになる地球を眺めながら、ユクシアムはワインを揺らした。月の重力は地球上の六分の一だからベルベットのような赤い液体もややのんびりと波打っている。
「安心するといい、ここからは巻きでいくぞ」
「せっかちは貧乏人の病なのでは?」
「せっかちではない。ジリオネアは神速を貴ぶのだ。時流を見て矢のように動けなければ金はついてこない」
「それっぽいレトリックを仰るのが得意ですねえ」
「レトリックを操って喜ぶのは歴史学者と文学家だけで十分だ。僕のこれはモットーであり、金言だ。僕の自伝には必ず太字で残すように」
「自伝って言ってるのに最初からゴーストライター前提ですねえ」
「外注できるからな」
「坊ちゃんはまこと勤勉でいらっしゃる」
 デスゲームの準備は、テレポーテーション技術とは違いこっそりと、しかし着実に進められた。舞台となる土地を買い上げ、ギミックで満載の館を建設し、各種の武器武具凶器薬物を揃えた。
 こっそり、ひっそり、内密にと言ってもステークホルダーは多く、人の口に戸は立てられない。そしてジリオネアの支払う有名税は国家予算並みだ。
 というわけで、宣伝こそ打っていないがユクシアムがデスゲームを開催しようとしていることはすぐさま世間にすっぱ抜かれた。大々的に報道されて関係各所からは取材が殺到し世界中に点在する別荘の前は黒山の人だかりがつきものとなった。
 皆一様に、デスゲームを準備しているのだろう、何故だ、と問う。
 ユクシアム・ジリオネアはどんな相手でもなんの媒体でもコメントしなかった。沈黙はつまるところ肯定だ。少なくともメディアはそうとらえた。
 世間はジリオネアを糾弾し、ユクシアムを悪鬼の類であると声高に非難した。金持ちに対する世間一般の憎悪がこれ幸いとユクシアムのほうに向き直って解放されたダムのように殺意が降ってくる。
 だがとうのユクシアムは涼しい顔で今日もパノラマビューから白く輝く地中海の街並みを見下ろしていた。
「私、ずっとデスゲームを世界規模で実施するものだと疑ってたんですよ。テレポーテーション技術はその布石かと」
 どうやら違ったみたいですねえ、とアヴォックは落胆しているのか安堵しているのか分からない、曖昧な笑みを浮かべた。
「それも面白そうだな。これが終わったらやってみるか」
「軽やかに人類の絶滅を肯定される。王の器でいらっしゃいますね」
「流石に冗談だ。外注先が消えてしまったら僕とて困る」
 いつも通り軽口の応酬を交わしたその時、壁一面のガラスに罅が入った。
 かと思うと飴細工のようにひしゃげた。強化ガラスといえどマシンガンの猛攻には耐えられずどんどんと穴が広がっていく。
「お客さんですよ、坊ちゃん」
「さて今日は|どちら《・・・》かな」
 最近はもう見慣れて、いやすでに見飽き始めている光景だった。ユクシアムはとにかく大きな窓で外の風景を見ながらワインをくるくる回すことが大好きなので、そこを狙ってダイナミックに訪問されるゲストが近頃多いのだった。訪問客の種類は大きく分けて二つで、ひとつはデスゲームをやめろ、さもなくば殺すという過激な人権主義者。今回は後者のようだった。ずかずかと入り込んできた男はユクシアムの前で恭しく膝をついた。
「手荒な真似をして申し訳ございません、同士」
「申し訳ないが貴殿の顔に見覚えがない。玄関は向こうだ、入りなおしてくれないか?」
「そういう訳にも参りません。ここには長時間いられないのです。さあ、同士。私どもの手を取ってください。あなたの望む世界を私どもと実現させましょう!」
 黒くてゴツゴツした軍装備一式に身を包んだ一団は、妙にぎらぎらした目でユクシアムを射抜いた。彼らの中には正義があり、為すべき使命を帯びているのだ、と視線や言葉尻から痛いほどに伝わってくる。アヴォックは小さく拍手した。
「今回は“同士”ですか。以前の宗教モドキよりかはいくらか理性的みたいですねえ」
 ユクシアムをこの世の降臨された神の愛し子にして世紀末に現れた人類の導き手だとか宣う連中は腹にダイナマイトを巻いて突撃してきた。それに比べたら現代装備を身にまとった今回の連中はずっとTPOをわきまえている。どんぐりの背比べだと冷静に判断できる者はここにはいなかった。
「すまないが僕はお前たちの同士ではないんだ。世界の浄化とか、人類の選別とか、そういうのには興味がない。帰ってくれ」
「違います、同士。私たちは……私たちは、あなたが人間の本能を開花させるおつもりであることを知っております」
「僕は知らなかったんだが……」
「人間の中には人間がむごたらしく死ぬところを見たいという欲望がある。そこから目を背けて全ての人類が聖人たれと枠に嵌められる社会は欺瞞に満ちている……そうでしょう!」
「いや知らないが……」
 興が乗ったらしい襲撃犯は、デスゲームの起源がどうこう、古代ローマのコロッセオがどうこう、魔女狩りが、公開処刑がと語り始めた。そのうち、物音に気付いてやってきた警備たちが周囲を固めたかと思うと気持ちよく長講釈垂れていた不法侵入者たちを一網打尽にしてどこかへ引きずっていった。
「う~ん、やはり地中海にしてよかったな。窓を割られても寒くないし、風も気持ちいい」
「高層ビルでやられた時は、死ぬかと思いましたねえ……」
「それにしても、デスゲームについてみんな夢を見ているものなんだな。道徳的に非難されるだろうということは、お前の口ぶりで予想していたが、まさかあんな風に熱狂的に肯定されるとは思わなんだ」
「多様性の時代ですからねえ」
「僕はただデスゲームをやってみたいだけで、そこに深い意味も目的もないっていうのに」
「人の死を求めるからには深い意味と目的があってほしいんでしょう」
「誰でも人はいずれ死ぬのにな」
「死は平等だからですよ。誰かの死が玩具にされるのであれば、自分の死もそうなるかもしれない。そう考えるのが普通です」
「その普通が僕には分からないから、こうして努力してるっていうのになあ」
 誰かがこうなったから、自分もそうなるかもしれない。
 殺人に限らず、罪を犯した人間を無関係な人間が咎めるのは、次の標的が自分になるかもしれないという恐怖が根本にあるからだ。限定的な共感と連帯。
 とんでもない金持ちであるユクシアム・ジリオネアには、その感覚が欠けている。常にSPや護衛に囲まれているから犯罪に巻き込まれることはないし、敵意や害意を向けられたところで傷ひとつつけることすら敵わない。世論ももはやジリオネアから金を奪うことはできず、万が一にも世界が敵に回ったとて、核爆弾に耐えるシェルターに一生分の食料を詰めこんだのが地球上のいたるところにある。ついでに月にも。
 誰にも害されることがないから、誰かに共感するという機能をユクシアムは失ってしまった。あたかもヒトの尻尾が退化したように。
「僕は他人の感情が想像できない。だから自分でその立場に立たなくてはいけない。文字や映像を見ただけで、誰かの話を小耳にはさんだだけでプロフェッショナル気取りの連中より、この肉体で体感しようという僕のほうが立派じゃないか?」
「自分で言ったら台無しですよねえ」



 ついにデスゲームの準備が整った。
 マジックミラーが一面に張られ、向こう側からは決して覗くことができない一面のガラス窓から密室に閉じ込められている複数の人影がうごめいているのを見下ろす。薄暗いモニタールームのワーキングチェアにゆったりと腰を下ろしたユクシアムはこの時のために用意したピエロのお面と燕尾服じみた改造衣装を身にまとってご満悦であった。
「見ろ、ついにこの時が来た! 記念すべきゲームを始める時が!」
「長かったですねえ、あ、ほら手振られてますよ」
「わ、やめろやめろ、台無しだろ」
 きゃっきゃとはしゃいでいる参加者が、窓ガラス越し、そして複数の監視カメラモニターから確認できる。彼らの表情には不安も恐怖も見て取れない。テンションは高いようだったが、想定していたまのと方向性が異なる。
「『そこ、手を振るのをやめろ。そっち、カメラに目線向けるんじゃない。雰囲気がぶち壊しだ』」
 ユクシアムが会場につながるマイクで忠告するが、興奮さめやらぬ参加者たちの耳には全く届かないようだった。
「皆さんお喜びになっているようで、よかったですねえ。苦労した甲斐もあるというものです」
「こういうのは想像していなかったな」
 笑顔すら浮かべる参加者たちは皆一様に同じ顔をしている。表情が、というわけではない。目鼻立ちから手足の長さ、体のあらゆる寸法が寸分たがわず一致していた。それもそのはず、彼らはすべてユクシアム・ジリオネアのコピーであった。

 テレポーテーション技術とはなんぞや?
 それはつまり、|哲学的ゾンビ《・・・・・・》を作ることだ。別の場所に、今ここにいるユクシアムと全く同じ素材で構成された、完璧で完全なコピーを作ること。
 一瞬に近い時間で情報を大量に送る技術自体はすでに前世紀には存在しており、ユクシアムがやったのは「自分と全く同じ組成の生き物を作ること」の倫理的な問題を目隠ししてもう誰にも止められないところまで流通に乗せたこと、ほとんどそれだけだ。経済の歯車に食い込んだ技術を抜き取ることは難しい。化石燃料が有害であると分かってなお使い続けるしかなかったのと同じように、もはやテレポートを社会から簡単に取り除けない。
 目的地に哲学的ゾンビを作り終えたあと、もうひとつ重大な問題が残る。残ったオリジナルをどうするかだ。
 答えはひとつ。殺すのである。
 実際には分子レベルまで還元するのだが、生きているものの息の根を止めるという意味で、なんの誤解も語弊もなく殺人であった。ユクシアムが通した法案によって、テレポーテーションによって発生したコピーが存在する場合、同位体はもう一方を消去する権利と義務を得ることになっている。
 どちらがどちらを消すか、いつまでに消さなければならないかの規定はない。
 流通している製品は、問答無用でオリジナル……つまり元いた場所にいる方を、テレポート完了確認後即座に消去するようにしているが、ユクシアムは筆頭出資者にして技術を世に出した立て役者である。いくらでも融通を利かせてもらえる立場にあった。
 そういうわけで雑に世界を一周し、かき集めてきたユクシアム・ジリオネアの同位体たちがこの会場には詰め込まれているのだった。
 彼らが死んだあとはきちんと法律通り所定の手順に則って元素還元処理を行うから、法律的に完全にホワイト、とはいかなくても真っ黒とは言えない。少なくとも既存の法律では彼を裁くことはできない。そして彼らの国は成文法主義で法の不遡及を強く支持しているので、現状これは合法デスゲームと言える。
 だが現場の雰囲気は、どこをどう切り取ってもデスゲームらしくはなく和気あいあいとしてしまっていた。
「う~ん、皆危機感がない。何故だ。……『お前たち、お前たちにはこれから殺し合いをしてもらいます』」
 窓の向こうからいえ~い! と楽しそうなレスポンスが返って来た。ゲーム参加者となったユクシアムたちはこの状況に完全に順応し、心から楽しんでいるようだった。死を前にした人間とはとてもじゃないが思えない。
「みんなはしゃいでて、あれですね。休日のドッグランみたいです」
「参ったな。記憶削除技術を開発しておかねばならなかったか」
「手抜かりはありませんよ。消してあれです。あのあたりの連中、あてずっぽうで手を振ってるだけですよ。ほら、あそこ、さっきから壁に向かってウィンクしてます」
「う~ん。ユクシアム・ジリオネアという人間がこんなに能天気だとは知りたくなかったな」
「何事も実際に体験してみなくては分かりませんねえ」
 ユクシアムはかぽ、とヘルメットのようなものを被った。メドゥーサのごとく、頭頂部から無数のケーブルが伸びている……がそれらはどこにもつながっておらず、床に首を垂らしている。今時有線ケーブルなんて使わないので、あくまでこれは雰囲気を出すためだけのものだった。
 このヘルメットによって、ここにいるユクシアムは会場にいる哀れな……今のところ悲壮感はゼロではあるがこの後大変な目にあうことが確定している……被害者たちの主観を追体験できる。一人称視点の映画のように、ではない。まったく同じ組成の、まったくの同一人物であるからこそ、彼らが何を思って何を感じたのかその意識までそっくり再現できるという代物であった。
「ふふふ、これで僕は最初に脱落するひとりであり、最後に生き残るひとりであり、かつまた主催者でもある。僕はデスゲームを、完全に体感する!」
「坊ちゃんの情熱に私感服いたしました」
 ランキングをひとりで全部埋めるような暴挙である。ユクシアムは鼻高々で、眼下の参加者たちと同じ満足そうな顔をしていた。アヴォックはその横顔を見ながら、この男に欠けているのは想像力とか共感力とかじゃなくて、倫理観や道徳だよなあ、と思った。だがすぐに、|だからだ《・・・・》と思いなおした。ジリオネアである彼は何人にも害されることがない。社会の一員、構成員の一人として生きたことがないのだ。彼は常に天災として生きてきた。誰かに肥え太るほど恵みをもたらす一方で誰かを不幸にしてきた。ブルドーザーよろしくあらゆるものを暴力的に脇にどかしながら世界を改変するのがユクシアム・ジリオネアだ。
 倫理や道徳は結局のところ黄金律、白銀律、白金律に通じる。
 他人からしてもらいたいことを他人にしなさい。
 自分がされて嫌なことを人にしてはいけません。
 人があなたにして欲しいと思うことをしなさい。
 そこには常に他人の立場に立ちなさい、という思想がある。ユクシアム・ジリオネアに唯一絶対的に欠けている素質が求められる。ならば彼にはそれらが理解できず、したがって倫理道徳が壊滅的に欠如することは必然であった。むしろ法律を遵守しようと……結局グレーではあるとはいえ……策を弄しただけ万雷の拍手で以て賞賛されるべきだろう。アヴォックは自身の思考にそう結論づけた。彼は根っからの怠惰なイエスマンであった。
「あっ、待ってくれ。あそこ! あいつら何やってるんだ!」
 ユクシアムが唐突に叫んだかと思うと椅子から立ち上がりマジックミラーにへばりついた。アヴォックはのんびりと複数のモニターに大写しになっている現場を眺めた。そこにはユクシアムとユクシアムが見つめあい、今にも何かしらのロマンス的なものが始まろうとしている光景があった。
「吊り橋効果ってやつですかねえ。危機的状況ってほら、性衝動が活発化するっていいますし」
「やめろやめろ! 僕は僕とそういうことをしている場面なんて目撃したくなんて絶対ないぞ!」
「地獄ですねえ」
「なんとかしろアヴォック! 地獄まで付き合ってくれるんだろう!?」
 自分と自分がくんずほぐれつしている場面を追体験するなど、前代未聞であり有史以来なかったことだろう。有史以前も当然なかったはずだ。
 こういうのもまた因果応報というやつなのかもしれない。これまで誰もしなかったことをした人間は、同様にこれまで誰も知らなかった地獄を見る。
「でもほら、デスゲームと言ったらこういう燃え上がったカップルが出てくるのも、その手の連中が序盤で死ぬのもテンプレでしょう」
「確かに……いやパニックホラーと混同してないか?」
「そうかもしれませんねえ。私、デスゲームに疎いので」
「お前にも勉強させておくべきだったか。とにかく行け! あいつらをどうにか引き離してこい! そういう相手ならお前のほうがまだマシだ! 身代わりになれ!」
「……」
「おいアヴォック!?」
 一緒に地獄に落ちるのはいいし墓の中まで付き合ってやる覚悟もできていた。でもこれはちょっと承服しかねる。イエスマンは無言を貫いた。それは初めての抗議だった。

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