一視同仁のはずれで - ネピネ

 触れ合っていたのは、一秒か二秒か、ほんの一瞬だった。たったそれだけの時間でも、離れた額の跡にじんわりと移った熱が感じられて、ピッコロは詰めていた息をそっと吐きだす。後ろ頭を抱いていたネイルの手が離れると、そこにもすこしの寂しさが寒気のように漂った。
「………なんだ、今のは」
 直前まで何気ない会話を交わしていたはずだ。それこそ、今になって思い出すのが困難なほど他愛のない、雲の流れがどうだとか、どの鉢の樹の育ちがどんな具合だとかそんな取り留めもないやり取りの矢先に、ネイルがおもむろにピッコロの隣へと肩を寄せたのだ。
 二人の坐している神殿の屋根の上は、見晴らしがいいとは言えない。地平線はすぐそこの神殿の縁で、見える景色といえば空の青と御殿の白とわずかばかりの苗木の緑のみ。眺めるでもなく、瞑想に浸るように景色をただ目に映していただけのピッコロが、次に目にしたのは間近に迫ったネイルの顔だった。闘志の気配もなく、勢いに任せてぶつかられるわけでもない、ゆっくりと猫が相手を伺うような静かなそれに特段必要な反応が思い当たらず、ピッコロはただネイルのするがままにされた。音もなく触れた額はぬるく、交差した触角が少しだけくすぐったかった。伏せられたネイルの目は穏やかに沈黙を縁取り、少しだけ中心を外れたせいで頬骨の頭がお互いの肌をくすぐっていた。
「そうか、お前は異なる文化圏だから知らないね」
 自分がもたらした静寂をひっくり返すかのように、ネイルははっきりとした声で答えた。知らず雰囲気に飲まれ声を潜めていたピッコロは、もぞもぞと猫背を正し神殿の縁へと視線を戻した。
「何か意味があるのか」
「特に明確な意図があってのことではないんだ。いや、あるにはあるが、多義的だ。言葉にしようとすると、むずかしいな……」
「星の文化をご教示しようとしてくれなくていい、俺はお前がなんの目的でやったのかを聞いてる」
「我々は、共に生きているだろう。星と、時と、暮らしのなかで」
 ピッコロの話を聞いているのか、いないのか。ネイルのいう「我々」とは、きっとナメック星人のことを指しているのだろう。あるいは動植物までを含めているのかもしれなかったが、ピッコロは黙って遠く天を仰ぐネイルの言葉に耳を傾けた。
「長老たちへは敬慕と尊崇を、年少の者たちへは庇護と親愛を。いずれも守るべき朋だ。……だから、ええと、彼らとはべつにお前を大事に思って、いや。ううん……」
 神殿の縁の向こう、西の方角の雲に彩色が混じり始めている。半日天候の傾いていた方角だ、きっと明日は晴れるだろうとピッコロは胸のうちでそんなことを思い、隣の堅物が日が暮れるまでに答えを出せるのかとわずかに危ぶんだ。
「……困難に直面したとき、幸運に出会ったとき」
 だがピッコロの懸念もあっけなく杞憂に終わる。口にしながら、だんだんとネイルの言葉には確信の色が表れていた。彩雲が色を深め、空の青に薄く虹色を広げていく。
「幾多の同胞の中でも、お前を一番に想うよ」
 ────くだらない。南へと視線を逸らし、そう吐き捨てようとして、ピッコロは口を噤んだ。ネイルの言った「異なる文化圏」が脳裏に引っかかり、また丸めていた肩を開いてネイルへと剥き直った。
「それは、同じものを返さねば失礼なものなのか」
 おそらくネイルにとっては思いがけない問いであったのだろう。数度目をぱちぱちと瞬いたあと、このうえなく慈しみの柔らかさを乗せて目尻を細く引く。
「そんなことはない。ただ、返してもらえれば私はうれしい」
「……なら、俺がやる必要はないわけだ」
「おや、すげない」
 残念そうな口ぶりをしながら、ネイルの表情は変わらない。特段気にした様子もなく、ピッコロが見つめていた先を目にとめ、「きれいな彩色だ」と雲の端から端までを目でなぞっている。
「嘘をつくのは真摯な対応ではないというだけだ。今お前に同じように返しても嘘になるだろう」
「…………今」口ずさんで、ネイルは雲を眺めたまま、口角を上げた。ほんのわずかでも確かな喜色を湛えた笑みに、ピッコロは何か面白いものでも見つけたかと同じように雲の先をしばし見つめ、勢いよくネイルを振り返った。
「言葉の綾だ、貴様の都合よく受け取るなよ」
「確かに、そうだ。『今後も一切ない』といっても、嘘になるかもしれないからな」
「ネイルッ!」




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