なかったことにはさせないよ




 よく晴れた日のことだった。心地よい風が吹いていた日のことだった。病室はどこもかしこも真っ白で、窓にくり抜かれた空だけが、嫌味ったらしいほどに青かった。
 レオナが以前この病院を訪れた時、トレイの病室には科学と魔法による様々な医療技術が張り巡らされていた。一度は消えかけた生命を、元と同じだけ長引かせる為のものだった。
 しかしそれらが必要なくなった今、病室に存在するのは、医療用ベッドに上半身を支えられ、2〜3の管に繋がれたトレイと、見舞いに来たレオナである。
 トレイの面会許可が降りて一週間が経っていた。
 仕事の合間を縫って会いに来た男は、不機嫌さを隠しもしなかった。
「怒っているな」とトレイは言った。
「当たり前だろ」とレオナは返した。
 けれど学生の頃からレオナの思い通りにならないのが、このトレイ・クローバーという男だった。
 睨み付けるレオナに対し、トレイは眉を下げて笑っている。トレイの頬に血の気はなく、白というより青に近い。窓の外の空も合わせ、その青さはレオナにシュラウド家の炎を思わせた。
 ブロットを燃やした炎だった。
 オーバーブロットを起こすには条件がある。あの学園でオーバーブロットが立て続けに起きたのは、監督生や、祝福であり呪いを授けられたグリムがそばにいたからだ。今、彼らはここにいない。故にトレイは文字通り死ぬほど魔力を燃やし、そしてそのまま死にかけた。
 そうした献身が出来る男だ。そうと分かっていてレオナはトレイをそばに置いた。
 いつかどこかでビリヤードに誘った時のように。美術館で隣を歩いた時のように。
 あるいはこの男の足を壊そうとした時のように。
 己の為に利用しようとした。
 しかしどこか破滅的な思考をもって、相手がどんな怪我をしても構わないと計画を立てた学生時代と違い、今回はどこか楽観的な思考をもって、レオナはトレイを計画に織り込んだ。
 そんなことはトレイも分かっていただろう。
 レオナはリドルではない。
 トランプ兵が従うべきハートの女王ではない。
 ましてやチェカは、トレイが契約すら結んでいないただの子供だ。
「咄嗟だったからな」
 トレイは言った、どこか愉快なものを見るような目をしていた。
 王族なんてものは、良くも悪くも注目の的だ。そうなるように社会制度が作り上げられている。夕焼けの草原でも少しずつ周辺諸国の動きに押され、王政廃止の議論はなされているがまだ実現には程遠い。しかし時代が動く際にはうねりが起きる。
 それは自然災害とは違い、人が確かな意図を持って起こすものである。
 式典は王都で行われた。そこで次期王位継承権第一となるチェカが狙われた。トレイは自分の店を持つ資金を貯める為に、式典でのレオナの護衛を引き受けていて、そしてチェカを狙った凶弾に真っ先に気付いた。
 気付いてしまった。
 式典が始まる前、いつものように、役に立ってみせろよとレオナは言った。
 しかし無茶をしろとは言っていない。
 魔法でチェカの前へ躍り出たトレイを見て、レオナは学生の頃を思い出した。防衛魔法の授業で、トレイとペアを組まされたイデアがしきりにボヤいていたことだ。
「寮対抗戦でタンク役担ってるにしても、基礎がしっかりしすぎてて全然削れない上に回復魔法得意なんてチートにも程があるんすわ。こっちも寮長としての面子があるんでロマン砲ぶち込んで削りましたけど、失敗してたら補修なの理不尽すぎるでしょ」
 名門ナイトレイブンカレッジの中でも防衛魔法についてはトップクラスの成績を誇っていたトレイである。さらにトレイはユニーク魔法で他者のユニーク魔法に干渉が出来る。研修に行く前「エースの真似をしたら出来るようになってな」と新しいレシピを自慢するように「リドルのユニーク魔法を五割くらいの確率で塗り替えられるようになった」とトレイから告げられた時の衝撃を、レオナは覚えている。
 ハーツラビュル寮には相手のユニーク魔法を奪うことができるエースがいた。そしてエースは後輩として先輩に甘えるのがうまかった。つまり己のユニーク魔法の練習に、よりにもよって寮長であるリドルを付き合わせたのである。それは寮の中庭で行われ、当然その様子はトレイも眼にすることとなった。最初はリドルに首をはねられるばかりだったエースのユニーク魔法がだんだんと成功するようになり、そして見ているだけだったトレイも練習に加わるようになった後に、自分もコツを掴んだのだとトレイは言った。
「とはいえ練習で。だけどな。エースは甘えるのがうまいし、俺もその恩恵を受けてるところはあったから、実戦で使えるかはわからない」
 それだけ伝えたかった。と告げたトレイが、マレウスが起こした自然災害、その夢の中での意趣返しを企んでいたのはレオナでも気付いた。あの時、レオナは自分自身でリドルの首輪を外すことができず、トレイを巻き込んだのだ。しかし同じように首輪を付けられたトレイはリドルのユニーク魔法を塗り替えられるようになり、一方で、レオナは今も『怪物』であるリドルの首輪を砂に出来るかわからない。
 しかし言いたいだけ言った後、鏡を潜って研修先に行ってしまったトレイとは、レオナは約一年顔を合わせなかった。単純にお互い忙しく、そして連絡を取り合うほど近い関係でもなかったからだ。
 ところが研修後、トレイが卒業後の修行先として選んだ店が、急なトラブルで新人の受け入れを辞めたことがきっかけで、レオナとトレイの道が重なった。
 ナイトレイブンカレッジには多くの卒業生が存在し、また多くの伝手が集まっている。しかしトレイが卒業後の行き先を失ったのはあまりにも急なことであった為、トレイの新たな受け入れ先探しは難航した。
 そんな時に、レオナはトレイに声をかけた。
「行き先が決まってないなら少し手伝え。手伝うなら王宮のキッチンも見せてやる」
 と。それを聞いて不思議そうな顔をしたトレイに、レオナは「卒業してからもネタにされる気はないからな」と言った。
 その言葉は寮対抗マジフト大会の直前に、レオナがトレイの足に怪我を負わせたことを示していた。
 レオナがオーバーブロットを起こしたことや、マジフト大会の結果から、時折ハーツラビュル寮生やディアソムニア寮生がサバナクロー寮生を揶揄う時にのみ口にされるだけになった一連の事件は、レオナ達が卒業すれば風化するだけのものだった。
 しかしレオナはそれを理由にした。
 何故かをレオナは言わなかった。ただ、何を手伝って欲しいのかは告げた。
 レオナは王宮に信頼できる臣下がほとんどいない。さらにはオーバーブロットを起こしたことと、マレウスが起こした自然災害の中で何を夢見たかはもう王宮には伝わっていた。それを嫌悪する者も利用価値を見出す者も王宮にはいて、チェカが産まれ王位継承権第二位の首がすげ替わった今も、百獣の王と同じ『王の第二子』には様々な思惑が付き纏った。
 研修中に嫌というほどそのことを知らしめられたレオナにとって、トレイは渡に船の存在だったのだ。
「役に立つかは分からないぞ」
「リドルのユニーク魔法を塗り替えられるようになった癖によく言う。それにどれだけ希少価値があるか分かってんのか?」
「確かに魔法士養成学園対抗競技会でいろんな企業や研修所から声がかかったけど、うちの寮にはエースがいるからなあ」
 眉を下げてトレイは言った。
「それに、俺がやりたいことと企業や研究所側の方向性が違ったからな」
 ナイトレイブンカレッジは生徒の自主性を重んじる。研修や卒業後の進路についても同様で、どれだけ後々学園の利益になりそうでも、逃した魚の大きさに学園長が陰で泣こうとも、生徒の意思が尊重される。
「でも、今回はレオナが雇ってくれると助かるよ。先生方はいまだに走り回ってくれてるけれど、このままだと実家で修行することになりそうだと思ってたんだ。どれだけ力になれるかは分からないけど、でも夕焼けの草原には珍しい果実や野菜も多いし、それを使った料理にも興味があったから、王宮のキッチンを見せてくれるって言うなら努力はするよ」
 思いの外あっさりと提案を受け入れられ、レオナは驚いた。
「もっと迷うものかと思ってたんだがな」
「はは。雇われるって言っても、長居する気はないからな。それに、自分で店を出す為の資金は自分で貯めたいんだ。……俺の足の分、良い給料は約束してくれるんだろ?」
 ニヤリと笑ったトレイに、レオナは小さく目を見張った後、声を上げて笑った。
「ああ、約束してやる。だが、その分役に立ってみせろよ。トレイ」
 と、その言葉通りの行動に出た結果、トレイは死にかけて今も病室にいる。
「犯人は捕まったのか?」
 眉間に皺を刻んだままのレオナに、トレイが聞いた。
 集中治療室にテレビはなく、この部屋に移ってからも、トレイは一日の大半をうつらうつらして過ごしていると聞いていた。レオナに代わって様子を見に来ているキファジが、気晴らしにと持ってきたレシピ集──トレイはいつのまにか王宮のキッチンにすっかりと馴染んでいて、彼と仲良くなったシェフ数名が、トレイの怪我を聞いてパワーポイントとコピー機を駆使して作ったらしい──を捲っては嬉しそうにするものの、テレビを付けようかと聞いても首を横に降るのだという。
 レオナもその気持ちは分からなくもなかった。望まぬ形で有名になったとしても、嬉しくも何もない。
 レオナはトレイの質問に答えた。
「ああ。お前のおかげでな。犯人について詳しく聞きたければ教えるが」
「いや、必要ない。レオナも忙しいだろうし、面会時間もまだ短い時間しか許可されてないんだろ? 子供を殺そうとするような馬鹿の話で消費するのは勿体無いよ」
「そうだな」
 実際、犯人の言い分は馬鹿みたいなものだった。レオナとて過去の王に熱狂的な信奉者がいるのは知っている。件の犯人は『百獣の王』を神のように崇め奉っていて、結果的に王の第二子こそが王となるべき本物の器として産まれてくるのだという考えに取り憑かれていた。
 馬鹿馬鹿しいにも程がある。
 産まれで才覚が決まるというなら、それはファレナが継承順位第一位として今もこの国で王代理として立っているのと変わらない。さらに言えば厳重に守られていたファレナではなく、それよりも数段下がった警備の中にいたチェカを狙った時点で、ただの小物だ。
 そんな者に王までの道を整えられたとしても、レオナはいつか見た夢の中よりも、なお愚かな王として歴史に残されるのだろう。
 レオナはトレイに言った。
「借りが出来たな」
 トレイはきょとりと目を瞬かせた後「ちゃんとボーナスはくれるんだろ?」と言った。
「もちろん、治療費とは別で」
 当然だった。
「ボーナス一度で返せる借りには限度があるだろ」とレオナが言えば「そう言われてみればそうかもな」とトレイは頷いた。
 レオナはひとつ小さく息を吐いた。
 降り注ぐ凶弾をトランプに塗り変えて、塗り替えきれなかった弾が身体を傷付けた端から治療して、その弾丸に込められた呪いを解き続けたトレイは知る由もないが、直接の雇用主であるレオナがファレナの関与を許さないが為に、トレイに関することは全てレオナに一任されている。故にレオナは夕焼けの草原と薔薇の王国、両国の法律や税金対策などを考慮した上で、トレイに店を持たせる計画を立てていた。トレイに何度か断られるのは織り込み済みだ。経営に関する選択授業と寮運営を通じ、ある程度大きなお金を回すことはトレイも知識や経験があるものの、今回は動かされる金額の桁が違う。尻込みされる可能性は高かった。
 しかしその計画を飲み込ませたとしても、レオナには足りる気がしなかった。王位継承権第二位であるチェカを、その身で庇ったトレイは今や夕焼けの草原の英雄で、その英雄を他国から連れて来たレオナの評価も上がっている。ハイエナをその種族を理由に毛嫌いし、それと同じように他国の者を追い出そうとする者ですら、今は普段よりも多少は声を小さくしているほどである。レオナはハイエナだろうと他国の者だろうと、使える者は使う。王宮で動き易くなるのは目に見えていた。
 故に借りが出来たとレオナは表現した。
 それは大きな借りだった。
 きっと、踏み倒してもトレイは気付かないのだろう。大きすぎるものは見えづらい。形を捉えきれないのだ。
 けれどレオナは踏み倒す気にはなれなかった。
 黙り込んだレオナをどう思ったのだろう。「なあ、レオナ」とトレイはレオナに笑ってみせた。
「後遺症が残ったならともかく、少し傷が残る程度だったんだから、そんなに真剣に貸し借りを考えなくても良いんだぞ」
「は?」
 レオナは思わず目を剥いた。しかしトレイは真剣な顔をして、自分一人で納得したように頷いている。
「元気だしな」
 レオナは思わず牙を剥いた。
「本気で言ってんのか、てめぇ」
「本気だよ。それにレオナは覚えてないかも知れないけど、俺はレオナに借りがあるからな」
 と、トレイは頬を掻いた。
「マレウスのユニーク魔法で夢を見ただろ。あの夢の中で、お前は俺がリドルの母親にされたことを笑わなかったし、軽んじもしなかった。うんざりするのは当然だって言ってくれた。今まで誰も言ってくれなかったことだった」
 そう言って、眉を下げてトレイは笑う。
「まあ、その後、お前に巻き込まれてリドルの首輪を付けられたのにはまいったが、首をはねられたことで、今は昔ほどリドルのことが怖くなくなってることに気付かされた。それ以前に一度だけ首をはねられた時には、そうもいかなかったのにな。お前が腹の立つ人間で、俺なんかに怒りをぶつけられても、何も思わない人間で良かった」
 そして「なあ、レオナ」とトレイは言った。
 真っ直ぐにレオナを見つめていた。
「家族が犠牲になるのは怖いだろ?」
 トレイの家にリドルの母親が怒鳴り込んだ時、幼かった弟や妹も一緒にいた。
 そして今回狙われたのは、レオナの幼い甥っ子だ。
 レオナはトレイの言葉に息を飲んだ。
「……勝手なことを言うなよ」
 そして言いようもない怒りが込み上がるのを感じた。
「俺のことをお前が勝手に決めつけるな」
 夢の中で、レオナはファレナとチェカが『死んだ』世界を生きていた。
 彼らがいない世界で王となった。
 そこで何を感じ、何を思ったのかは、レオナだけのものだ。
「お前が、俺の『家族』だからチェカを助けたというなら、お門違いだ」
 レオナは牙を剥いた。地を這うような唸り声が喉から響いた。
 トレイはジッとレオナを見つめていた。恐怖の感情は見えなかった。
 黄色の瞳がレオナを射抜く。
 そこに写った己の姿を見て。
 レオナは、トレイも同じかと気が付いた。
 ──夢の中で、怯えたトレイに首輪を付けたのはレオナだった。
「……お前も、ナイトレイブンカレッジの生徒だったな」
 そう分かってしまえば気が抜けた。
 闇の鏡に選ばれた者。それに足る精神性を持った者。
 であれば、トレイが虎視眈々と、レオナに首輪を付けられた『借りを返す』機会を伺っていたのは納得できる。
 これでトレイがレオナのせいで首をはねられたのと同じように、レオナはトレイがしたことを忘れられない。
 トレイは僅かに笑ってみせた。
「レオナが納得するならそれが正解で良いさ」
「よく言うな」
 イデアがこの男を、腹に一物抱えてそうだと警戒していたのを思い出す。
 否、レオナとて、この男を警戒していなければ、寮対抗マジフト大会の際にリドルと一緒に狙うわけがない。
 ニコニコと笑い始めたトレイに、レオナはひとつ舌打ちをした。トレイはそれに対して「まあ、本当に『借り』は返してくれなくていいんだぞ」と言った。
「それで俺が納得すると思ってんのか?」
 絶対に返してやる。とレオナは吐き捨てた。不機嫌さを露わにした言葉に、やはり笑ったまま「それなら、お前の借りにしておいてくれ」とトレイは言った。
 この時二人は、まさかこの貸し借りが死ぬまで続く縁に繋がるとは、全く思っていなかった。
「いつか返してくれれば、それで良いよ」







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