想定外ペアルック

 少し前の自分なら鏡の前に立ってウンウンと唸るなんて有り得なかった。服なんて適当で構わないとばかりにいつも似たり寄ったりなものであるので、友人たちにはよくクローゼットには同じものしか無さそうだと言われている。実に的確だ。まさに似たようなものしかない。それで今まで過ごしてきたので、そしてなんの問題も無かったのだけれど、今になってほんの少しだけ後悔している。もう少し洒落っ気と言えば良いのか、ファッションセンスとやらを培っておけばよかった。
 どういう因果か、恋愛の恋の字も知らぬまま学生生活を送り社会人となった自分にここ最近恋人が出来てしまった。しかも年上、しかも、同性の、男。恋愛の愛の字もよく分からぬと言うのに恋愛関係という二文字が世間的アブノーマルと共にやって来たのだから驚いたし戸惑いも覚えたが、どうやらお互いにお互いしか有り得んと思ってしまったようで、男同士だのなんだのはすぐに些末な事としてゴミ箱へとシュートを決め込んだ。勢いと言うやつ、まぁ時と場合によっては必要な衝動である。しかしその衝動、少しは遠慮を持ってやって来て欲しかったと鏡の中の己が恥を覚えながら怒鳴り散らす。せめてこう、デートというものが何かを考えてから、と。
 初デート。学生ならばウキウキワクワクと少しの期待があるだろう。社会人ともなればこなれてきてそんなドキドキもあまり覚えないのかもしれない。だが、ここにひとり、社会人になっても学生ばりにウキウキワクワクドキドキとしてしまっているものがいる。恋愛の二文字を全く知らなかった男だ。
 全くもって、全然、恋人などいなかった訳で、当然デートという言葉もどこぞの国にある横文字程度の認識しかなかったというのに、いきなり、これは慣れ親しんだ言葉のはずですよ、という顔をしてやって来た。いや、いやもちろん、デートが何なのかは知っている。恋人同士が、または恋人になるかもしれない者同士が仲睦まじく出掛けたり一緒に過ごしたりする事だ。そういう意味ではとっくにデートをしている事になるのかもしれん。仕事終わりとかに待ち合わせたりだが。
 だがその時は大体スーツを着ていたりするので、しかも向かう先なんぞは居酒屋だったりするので、なにか特別に考えることなど無かったのだ。だけど、今日は違う。
 お互いに重なった休日。約束をして、約束の場所に向かい、居酒屋ではなくて滅多に行かぬような所へと、二人で出かける。初めての試みだった。だからこそゾロは鏡の中で悩み怒鳴っている。もうちょっと、ファッションセンス的な、あれそれを培っておけばよかった、と。

「だぁあ!もういい!」

 悩んだところで服は無い。用意しとけばよかった、それこそデートに誘われた時にでも買いに行けばよかったのだと後悔した所でもう、遅い。そもそもその買いに行くことすらデートを楽しみにしている自分を自覚しそうだったから行けなかったのだ。素直になれない性格だとは自覚しているが、そんなところでも少し後悔しそうになる。
 だが悔やんだところで今はその時間すら惜しい、もう待ち合わせの時間も迫っているのだ。ゾロは今手に持っている黒いパーカーと先に履いていたジーンズ姿で行くことを決めた。もう、あとはどうにでもなれ、とばかりに勢いよく家を飛び出す。
 待ち合わせ場所はゾロの最寄り駅だった。デートに行く予定のところからも相手の家からも少し遠いと言うのに、何故かそこを指定してきたのだ。ただ、お前が住むところを見てみたい、などと言われて、何故という疑問は一瞬にして閉じ籠ってしまった。何だってそんなことを思うのか、恋愛感情と初対面したばかりのゾロは一切理解出来なかったが、そう言われ、ただ頷くことしか出来なかった。
 そんな行き慣れた場所にはすぐにたどり着く、とは言ってもやはり服を悩んでいたせいだろう。ほんの少しだけだけ遅れてしまって、だから、当然のように相手の男は待ち合わせ場所である駅前の時計台のところに居た。その姿を見てグッとゾロは息を飲む。

「……マジかよ」

 恋人であるという欲目を差し引いても、その男は外見が酷く整っていた。顔の造形のみならずそのスタイルも、何故ただのサラリーマンで居られるのかわからないほどに完璧な黄金比を叩き出しているのだ。ゾロがあまり興味関心を抱かなかった服に時間を掛けたのは男がそんな完璧な存在だったからだ。男の私服姿を見るのは初めてであるがきっとなんでも似合ってしまうだろう。そんな男の隣に自分のようなどこか目つきの悪くカタギには見えにくい男が恋人面を晒すのだからせめて格好くらいは良くしておきい、と。
 そして実際に男の私服姿はよく似合っていた。長い足をより良く見せるスキニージーンズはどこかセンシティブで道行く女性達に眼差しをかっさらっている。見るな減る、と初めまして初恋に続いて初めましての嫉妬心がぼんやりとした顔を晒してきたが今はその顔と向き合っている場合ではなかった。あまりにも想定外の事に絶句していたからだ。
 男の服は、よく、似合っていた。スキニージーンズを履いて、しかし反対に上半身はふっくらとした黒いパーカー。そう、ゾロと全く同じ格好だったのだ。違うのは頭に被っている斑模様の帽子くらいで、傍から見ればただのアクセント。そしてまた別の傍から見れば、ゾロが並べばまるで、ペアルック。マジかよ、と言葉を吐き出してしまうのも無理らしからぬ事である。
 男はスマホを眺めていたが、ふと顔を上げた。それからゾロの視線に気付いたとでも言うようにして真っ直ぐに視線を向けてきた。その眼差しを向ける目が僅かにゆるりと緩んだところで、ゾロの足が半歩下がる。
 遅れてきてしまった手前、早く駆け寄らねばならぬ。すまぬと謝罪を口に乗せねばならぬ。わかっているのだが。同じ格好をした自分があの男の元へ行くというのは初デートである気恥ずかしさとはまた別の恥ずかしさが湧いてきてしまう。ワタワタと脳内でさっさと行けという己と、ペアルックとはやるねぇと囃し立てる己。うるせぇ喧しいと怒鳴り散らしたい所だがそんな事をすれば不審者である。気恥ずかしさに負けてなかなか一歩が踏み出せないままつい俯いてしまった。こんな所で時間なんぞ掛けては居られないはずだ、向こうはとっくに待っているのだから、いつからかはわからないが、わざわざ遠くから来てくれているので、早く顔を合わせねばならない。
 どうにか、そう、決意して、覚悟を決めたところでふっと、俯き睨みつけていた足元に、影。

「おはよう、ゾロ屋」
「……はよ、トラ男」

 目が合って、それでも近づかないのだから男の方からやって来るのは当然の事だろう。顔を上げてみた先にいる男が心配そうな顔をしながら首を傾げてくる。首元が狭いそれはやはり、着ている服は自分と似ているものだ。

「どうかしたか?体調が……」
「いや違う。遅れて悪かったな」
「それは構わないのだが」

 様子がおかしいと、眉尻が下がって困り顔。体調が悪いのではないかと心配されている。このまま黙りを決め込んでいては今日は辞めようかとすれ言われそうな雰囲気に、グッと一度奥歯を噛み締める。先程決めた覚悟をもう一度呼び起こしてなんとか男の顔を見た。

「本当に、体調が悪いわけじゃねぇよ」

 ほっと、男が息を吐く。それから、ならばどうしたのかと言う顔をした。なんか忘れ物でもしたのか?とか。そんな事を考えているのかもしれない。違うので、そうだとも嘘は付けなかった。

「ただ、あーっと……」
「ただ?」
「……服、かぶっちまった、なぁ、と」

 口にすればそれだけのこと。男は言われて今気づきましたとばかりに自分の格好を見て、そしてゾロの格好を見て。くすりと笑った。

「くっふふ、ペアルックか、いいな」
「き、着替えてくる!」

 ああやはり。傍目からどころか当人ですらそう思うのだから、やはりこれはペアルックに相当するのだろう、思っていたことをそのまま言われてとうとうどうしようも無いほどに羞恥が熱を持って顔にまでせり上がり、つい踵を返したところで手首を掴まれた。

「なんでだよ、いいじねぇか。見せつけてやろうぜ」
「馬鹿か?!」

 ふり返りばたいそう整っている顔がニヤニヤと綻び瞳が楽しそうに揺れている。誰にどう見せつけるというのか。もう随分と見せつけてしまっている。ここは駅前の時計台の傍であるので己たち以外にも待ち合わせ場所として利用する人は多く居る。男二人が同じ格好をしてなにやら話し込んでいる姿なんぞはまぁまぁ注目の的となっていた。特に若い女は男をちらちらと見ている。
 馬鹿か、馬鹿なのか。そうつい言ってしまったが気分を害したようでもない男はやはりニヤニヤとした顔のまま頷いた。

「かもしれん。浮かれてんだ。初めてのデートで図らずともペアルックなんてな。ははっ!そんなの馬鹿らしいと思っていたのに、なるほど、存外悪いものじゃない」

 言葉通り、男はニヤニヤと。いや、その笑みは徐々になりを潜めて、多分自分と同じ、どこか気恥ずかしそうなものへと変わる。気恥しいが、嬉しい。そんな笑みだった。

「……服、悩んだんだよ」
「へえ?」
「だがおれは衣装持ち?ってやつじゃねぇから」
「なるほどな、おれとのデートで少ねぇ服の中一生懸命悩んでくれたって訳か。んでかぶった。すげぇな」

 言葉にすると尚のこと気恥ずかしい。それと同時に知られた心の内側がこそばゆくなる。思わず唸ればまた楽しげな笑い声が聞こえてきた。

「なら、そうだな。ついでと言ってはなんだが服も見に行くか。今度はその選んだ服、着てきてくれ」
「トラ男……」

 口に出した呼び名。トラ男とはこの男と出会うきっかけになった友人がそう呼んでいたのをそのまま呼ばせてもらっているだけだ。男は名前で呼んで欲しいと言っていたがどうしても、呼べなかった。だが、今は、なんとなく、そう、呼んでもいいと思った。呼びたいと。

「ロー、その、手間をかけさせる」
「手間じゃねというかだなっ、ちっ……今呼ぶなよ」
「ぁあ?!人が折角……!」
「もっと浮かれちまうだろ。格好つけさせろ」

 真っ赤な顔で言う男に、そうかこいつ浮かれんのかと、楽しくなる。なんだ、自分だけでは無いのか。

「ふ、はは!そうか、なら今日はずっと呼んでやる」
「ゾロ屋、お前なぁ……はぁ、いい。そうしてくれ、その代わり知らないからな」
「?」
「恋人と一緒に居て浮かれた男は、皆馬鹿になる。男になる」
「元から男だろお前」
「よし、わからせる。だがまずは、行こうか」
「?おう!」
「それと」

 掴まれたままだった手を引かれ、駅へと向かいながらローは言った。

「服を贈る意味もちゃぁんと、調べとけよ」
「は?」

 訳の分からない言葉を口にしたローは、やはり楽しそうで、ただ首を傾げるしか無かった。
 電車の中、言われた通りにスマホで服を贈る、という単語で検索を掛けたゾロがその日一日気まずい思いをしたのは言うまでもない。

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