夏の感情

ANA619便は16時間のフライトを終え、快晴の羽田空港に降り立った。
現地気温36℃。東京の気温は連日35°を当たり前のように超え、東京だけでなく、関東一円で猛暑日が続いている。僕は、二番目の師から告げられた「きっとお前の知らない暑さだろう」という言葉の意味を容赦ない日差しと湿度の中で実感した。乾いたLAの空気とはまるで違う、むせかえるような湿度が体を包む。ただそこに立っているだけで汗がにじむようなあり様だった。

空港からは、タクシーで東京駅を目指した。電車でもよかったが、長時間のフライトで体が凝り固まっていたし、その体で大きな荷物もって公共交通機関で移動するのは避けたい気持ちが勝った。
乗り場に行けば、タクシーはすぐにつかまった。空港から首都高速に乗る。平日の昼ということもあって混雑は見られなかった。車はスピードにのって滑らかに湾岸線を進む。まぶしい陽光が湾岸を照らしていた。雲一つない青い空が広がっていて、間違いなく8月の空だった。

過ぎていく車窓を眺めていると、ゆっくりとまぶたを閉じそうになる。時差の影響で眠気が襲ってくる。その眠りの誘いに抗えず、結局、東京駅に着く直前まで眠っていた。

運転手が、「お客さん、ぐっすり寝てたんで着くまで起きないかと思ってましたよ」と述べるのを聞きながら、支払いを済まして車外に出た。トランクに入れたキャリーケースを受け取っても、どこか頭の片隅がぼんやりしていた。とりあえず新幹線の時間を調べようとして、スマホを取り出して画面のスリープを解除しようとした瞬間、非通知の着信で画面が明るくなった。出るか迷う前に、ロックを解除しようとしていた指がそのまま応答ボタンをタップしていて、しまったと思ったときにはすでに通話がつながっていた。

「おまえよくこんな暑い時に来ようなんて思ったよなあ」

相手は、まさかこの人から、という人物だった。驚きと混乱から数秒、何も返せない。
どうにか「え、あなたどうして」とやっと声を出した時には、電話をかけてきた相手は話を終えようとしていた。
「虎ノ門のオークラの桃花林だ。来たかったら来い。お前の好きなように。来るんなら受付には予約した真田です、とでも言っておけ。2時だ。」

そこで通話を切られた。

そのあとは、自分でも呆れるくらい素早く行動していた。眠気は瞬時に吹っ飛んだし、地図アプリで告げられたホテルまでの経路を数秒のうちに調べていた。

荷物を適当なロッカーに押し込み、地下鉄に乗った。ホテルの最寄り駅で地下鉄を降りて、徒歩でホテルへ向かう途中で、容赦ない暑さにタクシーにすればよかった後悔したが、そんなことは電話受けた東京駅ではまるで頭に浮かんでいなかった。空港では冷静に動いていた頭は、どうやらあの人からの電話を受けた後から上手く働いていないようだった。長時間フライトの疲れも、消えたかのような自分の行動に、単純なものだと思った。

しばらく歩いた道の先に、ホテルのエントランスが見えたときは、ほっとした。歩いていたのはたかが数分だったが、すでに汗がにじんでいた。車寄せには高級車やタクシーが途切れることなくやってきている。それを横目に見ながら、エントランスへ進み、ドアマンが開けた扉からロビーへ足を踏み入れた。
高い天井の下に明るく広々した空間が広がっている。一歩進むごとに、よく効いた空調が汗を冷やしていった。午後の陽光がガラスの向こうできらめいている。
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