にこにこ
「……尊徳師匠は……×。尊建兄さんには悪いけど、小草若兄さんが殴ったて正直に話してしもたんにこんなお願い出来へん……。柳宝師匠も……△。毎回お願いしてるもんなあ。漢五郎師匠は引退で×、小助師匠……はトリお願いしてええんやろか……△。うーん、私、もしかしてあのままテレビの仕事を続けてた方が、今こういうご縁があって良かったんと違うやろか。」
あ、しまった。
もうこれで上方落語の主だった師匠方のリストが終わってしもた……。
草若兄さんの寿限無を聞きたいというリクエストが最近多くなってきてて、とうとう重い腰を上げざるを得なくなった。
そもそも、落語家が高座で掛ける話と言うのは、その場の雰囲気でどうしたものかと考えて、手持ちの札の中からその日に掛ける話をえいやっと選ぶ、いわばババ抜きみたいなもの、ていうか。頭を抱えていても仕方がないていうか……柳宝師匠に相談したらええんかな。
草々兄さん、上方笑百科の出番で知り合うた師匠方には、連絡渋ってるもんな…もしかして、連絡渋ってるわけやのうて、未だに連絡先交換してへんのと違うやろか…。ありそう……。
事務室のモニターには、高座の様子が映ってる。草若兄さんの今日の高座、ほんとに受けてるなあ。
最近あんまり『底抜けに~!』て言ってないけど、ここぞというときに使ってるから。お客さんもやっぱり待ってましたとばかりに喜びはるんよね。
っと、今もうこのくだりやったら、もう十一時半になる前に終わってしまうかもしれへん。いつもよりは枕が短かったなあ……なんやパンツの柄のくだりの途中で切り上げてしもて。話してる途中で、この間の四草兄さんのジッパー下がってた話とか思い出してしもたんやろか……。まあ最近お客さんも若い人増えてるし、セクハラっぽい話に敏感やもんな。
おっと、このままぼんやりしてたらお昼過ぎてしまうかも。
ぼんやりしてんと、何かお腹に入れて、お客さんのお見送りに行かなあかん……!
冷蔵庫からいつものタッパー出して、今日はお茶入れんでいいように、コーヒー牛乳かあ。うーん、美味しい!
小さいおにぎりとかサンドイッチってほんま、便利やなあ。しかも、これくらい小さぁなとしてくれたら、化粧が口紅の塗り直しくらいで済むのが嬉しいし。ツナと卵とプチトマトはいつでも家計の優等生ていうか…湯剥きして皮取ってあるのもありがたいし…。
同じサンドイッチでも、小草々くんが作るのと一味違うんよね。
バターとか、高い材料使てないはずやのに、何でやろ。
なんや、今日は冷たいコーヒー牛乳やけど、昔、師匠に入れてもろたあったかいお茶思い出すなあ。
あ、……お客さん落ち着いたら私もオチコに言うばかりやなくて、歯磨きしっかりせんと……。
よし、ごちそうさま!
鏡見て、チェック。化粧落ちてへんかな、帯曲がってへんやろか……うーん、まあこのくらいならええか。
あ、お釣りの釣銭、そろそろ少ないなって来てるな、切れてへんよな。
明日の昼席まで持ちそうになかったらとりあえず今両替に行くにしても、今日は平日やし、物販の前に百円玉不足してます、て書いといてもええかな……あの張り紙も、いつものお客さんでも嫌がる人おるけど背に腹は代えられない、ていうか。
あ、ちょっと早いけど月末の支払いの振り込み伝票書いてしもて、かぼす信金さんのいつもの人に来てもろて、ついでに両替もお願いしよかな……通帳の判子の出し入れはお弟子さんのおらんときにするとして、それがええかも。
なんや県外からのお客さんとか、観光客の人の方が物販の売れ行きええし、地元のお客さんには行き渡った気ぃがしてるし、来月からもう五十円のも止めて、全部百円単位に切り上げたり、五百円に寄せたりしたらあかんかな……。
これは、後で緑姉さんに相談しよ。
あーー。草々兄さん、張り切って『茶の湯』の稽古に行くのは気持ち分かるけど、やることぎょうさんあるし、今日は昼までうちにおって欲しかったな~!
「喜代美ちゃ~ん、お疲れさん! 今日のオレのはてなの茶碗どうやった~?」
ニコニコ ノ アニデシ ガ アラワレタ!
▶挨拶する
▶お茶を出す
▶邪険にする
……三番目以外の選択肢ないかも。
「……草若兄さんて、腹立つけど可愛いですよね、私四草兄さんの気持ちが分かったていうか……。」
「ええっ……何? オレなんかした?」
「いいええ……何もないです。あっ……!」
気がついたら高座の緞帳が下がってたて、もう何年目~!?
他に物販手伝ってくれる人がたまたまおらん日に、たまたま考え過ぎてて忘れるて最悪や……はよ行かんと。
「あっ、はないやろ。」
可愛い兄弟子の晴れ舞台やねんで、と満面の笑顔。
ええですねえ、ほんま、って兄さんのにこにこ顔にジト目になってまう私てなんなんやろ。
「そうかて、トリ終わったんやから、私もう物販のとこにおらなあかんでぇ。」
金庫がここなんです、と手提げの付いたいつもの小銭を入れる鍵付きのケースを出した。
あっ、と草若兄さんに言われて頷く。
「そら底抜けに急がなあかんな。オレが持ってったろか?」
「兄さんにそこまでしてもらえません。」
「喜代美ちゃんがこういうときに気を付けなならんのは、日暮亭のおかみさんが廊下でこけることやで。オレならまあ裾バタバタさせて走っても、『あれ、また四代目草若かいな、いつまで経っても落ち着きあらへんなあ。』で済むんやから、兄弟子を便利に使ったったらええんや。」
ほな、鍵貸してえな、て言われたのが四草兄さんやとこれちょっと疑ってしまうけど、草若兄さんやからなあ。
「……それなら、お願いします。」と金庫と鍵を渡した。
「任されたで~! 計算の方はいつものデカい電卓に頑張って貰うし、ほなちょっと行って来るわ! 喜代美ちゃんは、他の仕事するなり、休むなりしたらええわ。」と言われて、草若兄さんは、バサバサとほんまに裾を蹴立てるような音をさせて行ってしまった。
そういえば、草若兄さんて、凄く足長いんですよね…歩幅がわたしの倍なら、あっという間にロビーまで…て、時計ほとんど十二時になってる~!
「……草若兄さんと話してる時間に移動してたら、物販始められてたんと違うやろか?」
ま、ええか。
今日はちょっと甘えさせてもらおう。
powered by 小説執筆ツール「notes」
20 回読まれています