眩さは眸のなか

「……それで、これは何の意味があるんだ?」
 まあまあ、と丹恒のその疑問には答えず、彼女自身もいつも身支度で髪を結っているからか、霊砂は慣れた手付きで長い髪を手に取り、くるくると頭の後ろで髪を纏めていく。
 丹鼎司には元々別の用事で来たはずなのだが、至急来てくれと呼びつけてきた当の本人は未だ姿を見せず、かわりに現れた司鼎は何故か別室に丹恒を連れ出した。
 そちらの姿ではなく変化を解いていただけますか、ではこちらに着替えて、着替え終わったらこちらへ、と何故か順に案内され、鏡の前に座って既に十数分。このパターンには覚えがあるな、とあれよあれよという間にセットされていく自らの髪を丹恒は鏡越しに見つめていた。黙り込んだまま悶々と考えていたところで、「他に疑問はないのですか?」と霊砂は今更のように訊ねてくる。
「普通は、急に別室に案内され、身支度をされ始めると何事かと訝しがるものだと思うのですが」
「……生憎こういったイレギュラーには慣れているんだ」
「あら。それは幸いでしたね」
 果たしてそれは幸いと言えるのか、と疑問に思っていたところで、彼女は傍らに置いてあった一本の簪を手に取った。彼女が普段身に着けている物とは違う意匠だ。あしらわれた翡翠が美しい。彼女はその簪をまとめた丹恒の髪にすっと差し込むと、やっと一度手を放した。
「自分の髪を結うのとはまた勝手が違いますね。少しきつく纏めましたが、痛くはないですか?」
「それは別に……」
「では続けますね」
 まだ続くのか、と半ば呆れそうになりながらも、丹恒は結局、その後もされるがままに髪を整えられ、適当に身に着けた服を直され、最後にこれですね、と真新しい眼鏡まで渡され、では、と空の手に薄い図鑑を数冊手渡された。それは羅浮の書店によく置いてあるような子供向けの生物図鑑で、羅浮内で確認出来る動植物が簡単にまとめられているものだった。ただの着せ替え人形役だと思い込んでいたので、丹恒は思わず思いがけなく出て来たものに面食らう。
「……これは?」
「まあまあ。行けば分かりますから」
 着替えさせられた理由も、髪を整えられた理由も、そして渡された図鑑の意味も分からないままに、ではこちらへ、と霊砂に案内され、丹恒は疑問符を山ほど浮かべながら医館の中を進む。そのうち、渡り廊下に出ると、中庭の片隅に小さな影が集まっているのが目に入った。
 医館の建物の影になったその場所に、椅子とテーブルが数個運び込まれていた。円形のテーブルには子どもたちが三、四人腰掛けていて、彼らはそれぞれ、テーブルの上に置かれたお菓子などを片手に、白露の話に耳を傾けていた。周囲にはボールや水鉄砲など、彼らが直前まで遊んでいた形跡も残っている。時折医館の中を歩いていると、どこかから子供たちのはしゃぐ声が聞こえてきたのは丹恒も知っていた。あれは彼等のものだったのだろう。
「長期入院の子どもたちは、外で普通の教育が受けられませんから、簡単なことであれば医館で教えています。あとは……脱鱗後の世話役が決まらなかったり、世話役が医館で寝泊まりしている者ですと、多忙でさほど目をかけられないことも多く……。ですから、入院中の子供たちと同様、簡単な教育は医館で一緒に受けることがあるんです。彼らは入院中の子どもたちの遊び相手になってくれますし、ここで過ごすことに慣れているので、体調に変化があればすぐに医士を呼んでくれますから」
 数名は入院着を身に着けているが、数名は普通のよくある羅浮の普段着。彼等の服が異なるのはそれが理由のようだ。そういうことか、と丹恒は無言のまま頷いた。どうやら彼等は丁度、その授業を受けているらしい。あの小さな、見慣れた姿の少女から。
 呼びつけた本人が出てこなかった理由はどうやらこれらしい。彼女の専門と言えば医術だろうが、子供に教えるには早すぎないか、と丹恒はじっとここからでは碌に聞こえてこない授業の内容を頭の中で考える。霊砂が口を開いた。
「今年は色々と時期が重なったようで、あの子達全員をいつもの部屋に入れてしまうと、少し窮屈なんです。それで、狭い部屋に何時間も集中力のない子供たちを集めて籠っているよりはいいと、天気が良ければああやって外で授業をしているんですよ。医館だけでは専門が偏りますから、時々外部から教師の方を呼んだりもしています。都合が付けば、ですが。龍女様も、ああやって時々は協力してくださっていて、子供たちに授業を」
「……で、今は何を教えてるんだ」
「そうですねえ、私も気になっていたところです。龍女様のお話は面白い、とよく子供たちが言うものですから。病院からの脱出方法ですかね?」
 それは教えてもいいことなのか、と尋ねかけたところで、白露の視線が不意にこちらへ向いた。彼女は少し驚いたような表情で丹恒の姿を目に入れ、はっとして、もうそんな時間か、と一度時計を見る。彼女は何故かそれまで立っていた場所から丹恒の元へ駆けよってきて、強引にその手を取った。まだ理解が追いつかないまま、丹恒は子供たちの前に引っ張り出される。
「ほれ、皆挨拶じゃ!」
 白露の声で、こんにちはー、と次々と高い声が上がった。よし、と白露は子供たちを見まわし、ではわしの授業はここまで、と子供たちに話しだす。
「この後は、前々から言っておった通り、生き物のことならなんでも知っておる――……た、丹恒大先生からの特別授業じゃ! 見ての通~りぬしらがめっっっっっ……たにお目にかかれぬ地位にいる偉大~な先生じゃからの。皆、ちゃーんと話を聞くのじゃぞ!」
「は?」
 はーい、と丹恒の疑問は子供たちの声にかき消される。白露はちょいちょい、と丹恒に少し屈むように手を招いた。
「――急に呼び立てて悪かったのう! ぬしがたまたま生物学に精通しておって助かった。では、……わしらであやつの解毒薬はこの間に用意しておく。その間、子供たちの事は任せたぞ。丹恒」
「……おい、まて、白露」
 言いたいことだけを言って、白露はさっと内緒話を先にやめてしまった。何も聞いていない、と突然のことに呆気にとられながらも、丹恒は子供たちからの視線を受け、瞬時に状況を理解する。
 ――都合が付けば、ですが。
 そして、先ほど霊砂から耳にしたばかりの話を思い出した。つまり、今日予定していた外部の教師は、何かしらの理由があって来られなくなってしまったんだろう。教材として用意された図鑑は、一度丹恒も目にしたことがあるものだ。簡単な説明や子供たちが興味を持ちそうな生態くらいは把握している。それらを軽く教えるくらいであれば問題ないだろうが、それならそうと言ってくれれば驚かずに済んだものを。
 一度混乱した頭を深く息を吐いて落ち着かせる。まず各テーブルに一、二冊教材の図鑑を配ったところで、ふと、どこかで見た覚えのある顔立ちの少年が、ぽかんとしたままこちらをじっと見つめているのに丹恒は気付いた。先ほど白露が言っていた「解毒薬」という言葉に、今更目の前の状況が繋がる。お前、と喉まで出かかった言葉を飲み込んで、丹恒はひとまず、子供たちの視線に急かされ、図鑑の表紙を捲ることにした。

        *

 子どもの集中力というのはさほど長くは続かない。
 図鑑から目を離し、そのあたりに転がった遊具に気を取られ始めた子供が数人で始めたところで、先ほど白露と共に丹恒に子供たちをまかせ、医館のどこかに消えていった霊砂が漸く戻ってきた。丹恒の話が切りの良い所で終わると、それを見計らって、「さあ皆さん、今日の授業はここまで。先生にお礼を言ってくださいね」と軽く手を叩いて子供たちの意識を切り替えていく。
 子どもたちは霊砂の言葉を聞き、ありがとーございましたー、と少し拙い言葉遣いで声を上げた後、これで勉強からは解放だ、とばかりに数人がすぐにさっと立ち上がって、周囲に散らばった玩具を手に取り遊び始めた。数人はまだテーブルに残って図鑑を見ており、そして、じっとこちらを見続けていた少年もまた、その場に残っていた。
 子供たちの手前、先ほど彼に気付いた時に、どういうことかと追求するのは諦めたが、大体の想像は付く。先に何かを知っていたであろう霊砂に、「で、どういうことなんだ」と丹恒は尋ねた。見てお分かりの通りですよ、と霊砂は静かに答える。
「子供の姿では何かと不便でしょう。今の彼にはお迎えが必要かと思いまして」
 二人の視線の先には、見知った面影の残る――少年がいた。大体、普段の二分の一程度まで縮んだ、文字通りの少年だ。先ほどまで周囲にいた子供たちより少し背が高いが、混ざっていてもさほど違和感がないくらいの。羅浮に来てからいの一番に外に出て、依頼の後、急に連絡が付かなくなったと思えば、と丹恒は一度深く息を吐く。
「……どうしてああなったのか経緯は知っているのか」
「いえ。こちらに助けを求めにいらっしゃった時には、すでに《ああ》でしたので。――今日は御覧の通り、子供たちに授業をする日だったのですが、元々予定していた学者先生が一人都合がつかなくなり、別の授業をするかどうか、丁度話し合っていたところだったんです。それで、彼を見た後、龍女様がふと思い出したようにあなたを呼べばよいのだとご提案を」
 全部解決出来て助かりました、と霊砂はほっとしたようにそう零し、では、と手にした小瓶を丹恒に差し出してくる。中には数粒の黒い丹薬が入っていた。
「採血結果から察するに、恐らく一時的な中毒症状と、それに伴う細胞組織の過剰防衛が原因だと推測されます。口にした食事の食べ合わせが悪かったのでしょう。年に数回、同じ症状で一時的に若返ってしまう患者がいますので、同じように中毒症状を緩和する丹薬を急ぎ処方してしました。解毒の関係で、副作用として数日寝込むことになるかと思いますから、列車に戻られてから服用なさったほうがいいかと」
「……恩に着る」
「いえ。むしろ急な授業代としては少し足りませんよ。そう薬価の高い丹薬でもないので。……ですので、かわりと言っては何ですが、どうぞ、今身に着けていらっしゃるものもこのままお持ちください。もともと龍女様が邸宅の押し入れで持て余していたものだそうですから」
「そうなのか? ……まあ、そういうことならもらっていく。……ところで、何故ただの子供向けの授業で俺が着飾る必要が?」
 いつも通りでも問題はなかっただろう、と丹恒は霊砂に尋ねる。彼女はあら、今になってですか? と少しだけ笑った。
「実は……当初お呼びしていた先生というのがかなり有名な方でして。龍女様が子供たちのハードルを上げ過ぎていたんです。子供たちが楽しみにしていたというのは本当ですよ。それをがっかりさせるのも忍びないでしょう? 普段の格好よりはそちらの方が威厳があって《先生》らしいと思いますし」
「……確かにそう言われると傍から見れば《らしい》だろうが、……少し動き辛いな」
 一度着替えてから列車に戻った方がよさそうだ。まあ、これで用事も無事終えた、と丹恒は漸く、じっとこちらを見つめ続けていたその視線に応えた。少年は――穹は、丹恒が視線を向けると、一瞬びくりと跳ねて、それからぶわ、っと急に顔色を変えた。熱でも出たのか顔が真っ赤だった。容体でも急変したのか、と慌てて穹に駆け寄る。う、あ、わ、と目を白黒とさせ、ぱくぱくと口を魚のように開けると、穹は何故か近寄った丹恒から逃げるように椅子の上で後退し――そのまま後ろへぐらりと傾いた。
「……!? 穹!?」
 ガシャン! ゴン! と続けて鈍い音が響く。丹恒が伸ばした手は、傾いていく彼を支える前に空振り、彼が椅子からずり落ちたその拍子に、頭をテーブルの縁に強打するのを止められなかった。どさ、っと頭を打ってすぐ、穹は庭に崩れ落ちる。はっとして、丹恒はすぐに彼に駆け寄った。
「穹、大丈夫か」
 打ち所が悪かったのか、いつもより随分小さくなった穹は、丹恒が抱え上げると、どこかぼう、っと、焦点の合わない朦朧とした眸でこちらを見上げてくる。強く頭を打ったようだが、幸い外傷はないようだ。立てるか、と促したが、彼は直後、「……め、……がね」とだけ呟いて、ぱたりと気を失ってしまった。
 何が起こったのか、丹恒自身も状況に追い付けない。困惑したままいつもより随分軽い身体を抱えていると、「どうやら脳震盪のようなのですぐ起きると思います」と追いついた霊砂が静かに言った。「……せっかくですので、動き辛いとはいえ、それまで着替えは待った方がいいかと思います。さすがに可哀想ですし」
「……? せっかく……?」
「あら。あれだけ熱心に見られていて、何もお気づきでなかったのですか?」
「何にだ?」
「……、それはご本人に聞いた方がよろしいかと。――帰る前に強くぶつけた箇所を冷やした方がいいでしょう。氷嚢を用意してきますから、暫くここでまっていてください」
 龍女様も呼んできます、とそう言って、霊砂はすぐに踵を返していく。丹恒は仕方がなく、穹を抱えたままその場に留まる他なかった。
 子どもたちの声に混ざって、ざあざあと中庭の木々が風に微かに揺れる。抱えたままでいた体が、不意にぴく、っと小さく動いた。見下ろすと、ゆっくりとその瞼がもう一度開く。穹はぼうっとしたまま丹恒を見上げ、「なんだ、夢か……」と呟いてまたその瞼を閉じた。寝るな、帰るぞ、と丹恒が促して漸く、もう一度薄く眸を見開く。そして静かに両手でその視界を覆った。
「フフ、フフフ……。これが夢じゃないとかあるんだ……?」
「何がだ」
「俺の蒼龍ちゃんが急に着飾って目の前に現れたので……? あまりの眩さに今まだ大混乱してるんだよ碌に丹恒先生の授業頭に入ってこなかったぞ見惚れてて。全部言っちゃった。言わせるなよ……」
「お前が勝手に言ったんだが……。小一時間くらいは見ていただろう。もう見慣れたんじゃないのか」
「ぜんっっっぜん!? 今も眩しい!」
「そうか。お前に聞きたいことは山ほどあるんだが、……ひとまず着替えて帰るぞ」
「エ!? 着替えんの!? ま、まって……あと一時間くらい見続けたら慣れる気がする、それまで待ってくれるか? まず目に焼き付けるから。その後三時間ほど撮影タイムでいい?」
「日が暮れる」
「勝手に暮れさせとけばオーケー」
 それから、穹はゆっくりと視界を覆っていた手のひらを降ろす。まだどこかそわそわと落ち着きない様子でちらとこちらを見ては視線を逸らしていたが、ふと、何かに気付いたようにどこかを見つめだした。むう、と何故かその口元をきゅっと結ぶ。それから、先ほどとは打って変わって、急に丹恒に向けて手を伸ばしてくる。そのまま首元にぎゅう、と抱き付かれた。
「……とりあえずここは離れよう。この初恋泥棒め。俺のだけで満足しとけよな」
「は?」
「いいから早く」
 はーやーく、と穹はなおも丹恒を急かしてくる。騒いでいたからか、いつの間にか子供たちの視線がこちらに集中していた。先ほど穹が盛大にテーブルに頭をぶつけた所を数人の子どもたちはしっかりと見ていた。彼等に余計な心配をかけるわけにもいかないだろう。
 仕方がなく、穹を抱えたまま丹恒は中庭から移動することにする。その背中越しに、彼が中庭で図鑑を捲っていた幼い少女たちにべ、っとまるで本当の子供のように舌を出していたことなど、丹恒は何一つ知る由もなかった。

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