ここが地獄の一丁目(マフィアパロ)

「わ、悪かったって! 許してくれよ天城さん……!」
 足元に這いつくばり必死の形相で懇願する中年男に一瞥をくれてから、「天城」と呼ばれた派手な男は気怠そうに頭を掻いた。
「ん〜そうだよなァ〜。てめェを消したからっててめェのヘマが帳消しになるわけでもあるまいし。むしろ殺す労力が勿体ねェっつうか」
「そ、そう来なくっちゃなあ! 次はちゃんとやるから……うひい⁉」
 ガン! 天城が長い脚で蹴倒した椅子が床にぶつかって大きな音を立てた。身を竦ませた男は言葉を引っ込めて彼を見上げ、そして自らの死を悟った。ああもう駄目だ、ボスの逆鱗に触れてしまった。
「『次は』っつったなァ……あァ?」
「……ひゃい……」
「長くウチに属してるからって慢心してンじゃねェの? 先代の側近だか何だか知らねェが、今の頭は俺っちだぜ。つうかてめェにゃウンザリなンだよ俺っちはよォ……なァ、オイ。言わなきゃわかんねーか?」
 天城はしゃがみ込むと男の髪を乱雑に掴み上げた。恐怖にガタガタと震えるそいつへにっこりと微笑み、わざとらしい猫撫で声で甘く甘く囁く。
「俺ら黒社会の人間に『次』なんざねェンだよ、使えねェクズはとっとと死にな♡」
 男は別室へ引き摺られていった。ややあって数発の銃声と断末魔が聞こえ、すぐにしんと静かになる。部屋にいる天城以外の男達は顔を見合わせて不安げな面持ちでいるが、当人はと言うと早々に興味を無くしたようで、呑気に大欠伸を晒していた。そうして何も言わずすたすたと部屋の出口へと向かう。「天城さん、どちらへ……?」と背中に掛けられた声に振り返りもせず、指先に引っ掛けた車のキーを掲げて言った。
「野暮なこと聞くンじゃねェよ、オンナのとこに決まってンだろ」
 バタンと音を立てて扉が閉まり足音が遠ざかるまで、誰一人として言葉を発する者はなかった。



 天城はとある廃ビルの前に車を停めた。建築途中で計画倒れして以来放り出されたままのこの建物は、あちこちの骨組みが剥き出しになっており崩落の危険もあるとして、近付く者はまずいない。ましてやこんな場所に人が棲み着いているだなんて、誰も想像すらしないだろう。
「おうHiMERUっち〜、いる?」
「――いません」
「……。Knock knock、HiMERUさんは御在宅ですかァ」
「どうぞ」
「……なんなんだよこの茶番は」
 廃ビルだ。そもそもドアなんて無い。それでも「人の家を訪問するのにノックも出来ないような人間は迎え入れてやらないのです」などとこの男が宣うので、天城は仕方なく茶番劇に付き合ってやっているのだった。
 「HiMERU」と呼ばれた男は薄暗がりの中にあってもすぐにそうとわかる、目を見張るような美貌の持ち主であった。晴天を溶かし込んだ色をした絹糸のような髪がさらさらと揺れる。女性と見まごう程に華奢な首や肩、きゅっと締まった腰にすらりと伸びた手足は彼の儚げな美しさを強調していた。長い睫毛に縁取られた黄金の輝きを纏った目と目が合えば、百戦錬磨の遊び人であろうと一瞬のうちに心を奪われてしまうだろう。そんなどの角度から見ても完璧な麗人と相対して天城は、挑発するように片眉を吊り上げた。
「ウチのモンが世話ンなったみてェだなァ」
「――なんだ、そんなことですか」
 何でもないことのように言い放ち背を向けたHiMERUは、沸かしていた湯をティーポットに注ぎ始める。カップは二脚用意されているから、天城が訪れることは織り込み済みだったというわけだ。天城は彼の背に覆い被さって抱き締めると耳元に唇を寄せた。
「つれねェ反応。俺っちのこと待ってた癖に」
「それは当たり。……では今度は、HiMERUが考えていることを推理してご覧なさい」
「当てたら何かくれんの?」
「欲張り屋さん。それはHiMERUの機嫌次第なのですよ」
 振り返ったHiMERUは天城の唇を人差し指で軽く押さえて婉麗な微笑みを浮かべた。どこぞの娼婦よりも遥かに蠱惑的で、幼気な少女よりもずっと目が離せない。要するに天城はこの魔性の魅力を持った男に夢中なのであった。野良猫のようにするりと腕の中から抜け出てしまったのを惜しく思いながらも、先の問への回答として、ひとつの仮説を口にした。
「おめェは今機嫌が良い。何故ならウチが他国に密輸して売り捌くつもりだった薬を無事強奪し、高値で取引することに成功したからだ」
「……」
「あいつらを襲ったのはおめェンとこのモンだろ? 随分ボコボコにしてくれたみてェだけどよォ……奪るだけでイイだろうが、何も殺す気でやんなくたって。俺っちに恨みでもあんのか?」
「とんでもない。感謝していますよ、あなたがリークしてくれたお陰でうちが総取りできたので。ボコボコにしたのは……ほら、本気でやらないと不審ではないですか、敵同士なのですから」
「……敵同士ねェ。そりゃそーだ」
 天城は部屋の中央に鎮座している大きな革張りのソファにどすんと腰掛けた。この建物は外観こそ廃れた雑居ビルだが、HiMERUがひっそりと暮らすこの部屋だけは綺麗に内装が整えられ、彼に見合った質の良い調度品で上品に纏められている。昼間でも室内が暗いのは明るい場所だと落ち着かないと言う彼の趣味らしい。別嬪をお天道様に披露しないのは勿体ないと以前話したことがあるが、その時は軽くあしらわれた。
 目の前に湯気を立てるカップが運ばれてくる。巨大マフィアの長たるHiMERUが手ずから淹れた茶だ、有難くいただこうと天城は軽く冷ましたあと口をつけた。彼の黄金色がじっとこちらを見ている。
「……何」
「いえ。疑いもせず飲もうとするので可笑しくて」
「ハッ、おめェになら毒殺でも何でもされてやるよ」
 そう言って豊かな香りを放つ熱い茶をずずと啜った。茶葉の良し悪しになど興味はないが、彼が淹れたものだと言うだけでとびきり旨い気がしてしまうから恋は盲目。毎朝俺のために茶を淹れてくれと頼み込んだらどんな表情を見せてくれるのだろう。想像を膨らませて口元をだらしなく緩ませていたら「ともあれ、」と隣に座った彼が静かに言葉を紡いだ。
「今回の一件でそちらとうちの稼ぎはほぼ足並みが揃いました。難儀なものですね、大規模な抗争は確かに避けたいものですけれど……我々はぐれ者が勝手気ままに振る舞えず、均衡を崩さぬよう常に気を張って生きていなければならないとは」
「表面上は宿敵だなんだって言い触らしてるせいか、末端の小競り合いは絶えねェけどなァ。お頭同士がベッドで懇ろにしてるなんざ口が裂けても言えねェや」
 きゃはは、と天城は大口を開けて笑った。隣の肩を抱けば繊細な指が持ち上げた白磁の陶器が擦れて音を立てた。そこからカップとソーサーを取り上げるとテーブルへそっと置き、ぐっと体重を掛けて彼をソファへと押し倒す。
「つーわけでェ、おめェの考えてることを見事当ててやった俺っちには褒美があって然るべき。抱かせてくれンだろ?」
「嫌だと言っても抱くでしょう。いいですよ、そのつもりで待っていましたし」
 呆れを含んだ声音、だがその響きは甘い。すすと彼の指先が天城の首筋を這い、襟足を掬って弄ぶ。釦を外して肌蹴させた鎖骨の少し下、肉の薄いところに赤い鬱血痕を認めた天城は、どろりと澱んだものが腹の底に溜まる感覚を覚えた。
 HiMERUには天城以外にも肌を合わせる相手がいることを知っている。その場面に遭遇したことはないものの、こうして彼を抱こうとする時、情事の名残を目にしてしまうことは度々あった。その度に顔も知らぬ男への憎悪が湧き上がり蟠る。HiMERUは大層賢しく合理的な質だ。益があると判断すれば懐へ引き入れる、金も払うし、抱かせもするだろう。自分もそのうちのひとりに過ぎないのだと、天城はとうに知っている。
「そうだよなァ、メルメルはァ〜、俺っちだけのモンになってはくれねェンだよな〜?」
「あッん、あ、まぎ……? は、ああ、そこぉ……」
 律動を緩めぬままにぽろりと愚痴を零せば、彼はしっかりと天城の言葉に反応した。抱かれている間も乱れる振りをして頭の隅は冷えているのだろうか。こんな風に甘い声で誘惑したり、名を呼んだりするのだろうか。俺の知らぬ男の名を。自分達は身体を重ねても接吻はしない関係を貫いてきたが、誰かにはその唇に触れることを許しているのかもしれない。そう思ったら衝動的に動いてしまっていた。彼の身体をふたつに折り畳むように上から圧し掛かって、持ち上げた膝が彼自身の胸に着くくらいまで上体を近付ける。角度が変わり深くなった結合にHiMERUが苦しげに呻いた。
「んう……ッぐ、うあ、ァ」
「はっ……イイねェ、そういう声も出せるンじゃねーか」
 いつだって媚びるような高い声で鳴くのが天城には気に食わなかった。男を興奮させるためだけの声。それを聞く度、こいつの心に触れることは叶わないのだと思わされてきた。けれど今日は違う。半ば暴力じみた刺激によって押し出される嬌声は決して艶っぽくはないけれど、天城の自尊心を満たすには十分だった。欲求に突き動かされるままに口唇にキス。拒まれるかと思ったが意外にも受け入れられたそれに天城の方が面食らってしまう。HiMERUの舌先がちろちろと唇を擽るので口を開けて迎えてやると、薄い舌が確かめるように歯列をなぞり、口蓋を舐って一頻り感触を堪能した後、舌に吸い付いてきた。普段よりも欲情している様子の彼に、天城はぞくぞくと快感に打ち震えた。
「ん、ふ、ッ、ひぅ、あまぎ、また大きくっ」
「ァ、おまえもッ、締め付けすげェぞ……奥犯されてヨがってんの……?」
「あっあっ、あ、あん、やだ、だめ、やだやだぁ……!」
 HiMERUがつま先をぎゅっと丸めて宙を蹴った。拒むような言葉を繰り返しながら、しかし中の媚肉は激しく蠢いて天城を離さない。達する間際HiMERUの喉笛に噛み付くと締め付けがにわかに強くなり、すぐ様襲ってきた快楽の奔流に天城は呑み込まれていった。
「はあ、は、ああ……すっご、ヨかった……」
 滴る汗もそのままに乱れた呼吸を整えていると、徐々にはっきりしてきた思考の中、僅かな違和感を覚えた。口内に残る鉄錆の味。見ればつい先程牙を立てたHiMERUの白い喉には噛み跡が残り、加減が出来ないあまり一部皮膚を裂いてしまったのか、そこからは一筋血が流れていた。重たげな瞼の下から覗いた虚ろな黄金色と視線が絡む。彼は唇を少しばかり動かして何事かを囁いた。それからゆるりと瞳を閉じて、眠りに落ちてしまった。
「……いや、何。何言ってンのおまえ」
 天城の脳味噌は一瞬にして冷えてしまった。代わりに冷や汗がどっと吹き出しこめかみを伝う。疲労からすっかり深く眠ってしまったHiMERUには、問いをいくら投げ掛けても届かない。

 ――そのまま喉を食い破ってくれていたら、俺はあなたのものになったのに。

 残された言葉の意図を図りかねて天城は顔を覆った。これまで何に代えても守ってきた黒社会の均衡が、音を立てて瓦解する予感がしていた。

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