たとえ終末でも/悪犬(2022.11.22)
機嫌の良いハミングが鼓膜を震わす。
隣に座る相棒の声はやわらかく、以前の記憶の中よりもずいぶん高い。血のついた武器を手入れするには不釣り合いだったけれど、この時間が冬弥は好きだった。だから、手に持っていたメンテナンス途中の銃を置いて聞き入る。がちゃがちゃと金属の擦れ合う伴奏とともに、薄暗い路地におんがくが響いた。
「……なんだよ、やめんの?」
しばらく目を閉じて動きを止めていたら、不満気に問い掛けられる。甘えるように肩に頭を預けられ、ふわふわした猫っ毛がかすかに首に触れるのがくすぐったい。
「彰人が歌っているのを邪魔したくないんだ」
「いいだろ、別に。オレだってお前がそうやって弄ってる間に歌うのが好きなんだから」
「そうなのか?」
「ん。だからさ、」
身体を起こした彰人が息を吸い込む。開いた距離を惜しく感じる間もなく、曖昧なハミングは確かな音程と言葉を持ったうたになった。ならば、そこに声を重ねるのは当然で必然で、いちばん自然なことだ。遠く離れたって覚えている。ステージの上、ぎらついたライトと押し寄せる熱気、負けないように張り上げたそれを。
イメージの共有はとうに済んでいるから、これ以上ない程、もはや半身かのようにやりたいことがわかる。ふたりでメロディとコーラスを分け合って、混じり合っていくのが楽しい、いとしい。そうしていれば、もうひとつの相棒の方は放っておかれるもので、気付けば手元を放り出してすっかり熱中してしまっていた。
あまり音量を上げられはしないけれど、最高のテンションで歌い切ってみれば、横から満足そうな視線。以前の生で成し遂げた夢を、自分達で作り上げた伝説を、忘れるはずがない。そのときとまったく変わらない、けれど性別が違うぶん頬はすこし丸くて、精悍さに欠ける。それでも確かに冬弥の相棒の彰人だった。
「楽しいな」
「ん。昔と全然違わねえ」
「当たり前だろう。俺と、お前がいて、こうして歌える。それ以外に何かあるか?」
「ふは、そーだな」
伸びてきた腕が冬弥の頭を抱え込んで、ぐいと抱き締められる。相棒曰く指通りがいい、さらさらの髪が背中で揺れた。遠慮なく近付く体温が心地良くて、ぐいぐいと身を寄せれば、しょうがねえなとばかりに吐かれるため息だって嫌じゃない。
「白石と小豆沢も、こんな気持ちだったのだろうか」
「あ?」
ここにはいない友人の名を出す。なにかとあればすぐに勢いよくハグをして、距離感の近かったふたり。彰人とは、以前はこれほどべたべたくっつくこともなかったはずだが、こうしているのはどうしてか幸福だった。
「さあな。……杏に見られたくねぇ」
手を叩いて面白がる様を想像してか、心底嫌そうに眉を顰めるのがおかしくてくすくす笑う。腹いせにいっそう力を込められるのだって抱擁の一部でしかない。
「ふたりにも会えたらいいんだが」
「こんなクソみてぇな世界、来ることねぇよ」
懐かしくなって言う。彰人はよりいっそう険しい表情になって反駁した。確かに、冬弥たちだって今世は女性としてこの世界に生まれてはいるが、彼女らにこの殺伐とした現実を見せるのは忍びない。
「それもそうだ」
「ゲームみてぇ」
慣れたつもりでも思うよな、彰人の呟きに首肯する。
「想像もしなかった」
「しててたまるか」
確かに。ずっとあの街で歌っていられる未来だけを想像していた。実際そうなりはした、予想外の続きがあっただけで。焦がれた熱狂はもうここにはないけれど、歌うことはやめなかった。やめられなかったというべきだろうか。
「ああやって歌えることも平和の証だったんだな」
「ま、そういうことだ」
背中に回した指先で、癖付いたオレンジに触れる。荒廃しかけた世界では身綺麗にするのも簡単ではないけれど、お互いのためなら構わなかった。伸ばしてくれと請うた冬弥に、彰人は交換条件として冬弥自身にもそう願って、日々欠かさず櫛を通してくれる。
「な、とぉーや」
つむじのあたりで、ふいに声が甘く解けた。ああ、胸が詰まる。逆らえなくて、真っ直ぐその瞳に囚われてしまう。
「はやくかえろうぜ」
ささいなふれあいだけでは足りないと訴えかけられている。それが嬉しい。
「……ああ」
額に落とされるキスの合図に腕を離した。家についたらまず、汚れた服を洗わなくては。
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