そのとき、大典太は許嫁との結婚が控えていた。家の事業のために必要だった。
「釣りに行くぞ」
恋人の声は渚によく響いた。月の明るい夜で、寂れた港町の外れである。海は凪いで、波が堤防に打ち寄せる音が悲しく響いていた。声は岬の岩に砕けて、余韻を残した。
 木製の古びたボートを海に浮かべて二人で乗り込んだ。
 恋人は沖合いに漕ぎ出ると釣りを始めた。リールが低い音をさせて回り、釣り糸が海に消えていく。じーーという音が途切れなく続いていた。ランタンが青白く輝いて、恋人の鈍色の瞳を青紫に染めていた。
「その糸長くないか?」
リールはまだ回っていた。
「千メートルある」
恋人は事もなげに言った。
「海の底につくんじゃないか」
「そうだな」
「底には何があるんだ」
リールは回っている。
「骨が積み重なっているんだ」
「骨か」
「ああ。海流に脱色されて、透き通るように真っ白なんだ」
透明な紺色の闇の中で、白い骨が埋もれている様を想像した。
「骨だけか」
「骨だけだ」
「寂しいな」
「なら手向けてやってくれ」
船べりにもたれかかって、海を見つめた。月の光が白い帯になって、海面でゆらゆらと揺れていた。ぽろりと涙が両目から一粒ずつ零れ落ちた。頰を伝い、小さく跳ねて海に落ちた。そして涙は真珠になって、千メートルの水底に沈んでいった。

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