Brand new day - 天/トラ

「ひゃーッ寒い! 待って待って、トランクスくん」
「なんだよ、早くしないと陽がのぼっちまうよ」
「だって寒くって堪えられないよ。やっぱりもうちょっとあったかい上着にしてくればよかったかなあ」
「だから言っただろ、こっちの地方の冬は寒いって!」
「トランクスくんが競争するって言ったんじゃんか」
「それは着いてからの話だろ! ばかなやつだなあ」
 ひゅーんと宙高く、風の道を横切る二つの影が夜闇にもよく響く声で小競り合いを降らす。
 元旦を迎えた地球の夜、地上のあちらでは人々がお祭り騒ぎで新年を祝い、こちらではすでに寝静まって粛々と新たな朝を迎えようと支度をしている。日付変更線を超え、今日から昨日へと空を駆けていた悟天とトランクスはふと肌身をつく冷え込みに勢いを止めた。
 雲も間近な上空で、はたはたとなびくフードを首元に手繰り寄せて悟天はぶるりと身を震わせる。それを見たトランクスははあっと一度大きく白い息を吐き、それまで自分がかぶっていた毛糸編みのつば付き帽をひょいと悟天へ投げ渡した。
「わ、いいの?」
「高地兎の帽子だからあったかいよ。ないよりマシだろ」
「トランクスくんが寒くなっちゃわない?」
「お前より着込んでるからへいきさ」
 言ってから、はっくしょいと星も一歩引くくしゃみが空を突く。ず、と鼻をすする音を指で押しとどめながら、トランクスはにんまりと笑う悟天を振り切り飛び出した。
「待ってよー」
「うるさい! 早く来いよ!」
 帽子をかぶり、トランクスが垂らしていた帽子の編み紐をどうするか一瞬迷って、顎下で適当に括ると悟天もまた宙を駆けだす。
 目指す先ではだんだんと地に白い部分が増え、遠く向こうに見える山肌はすっかり雪に覆われている。寒々しい枯れ木の森のあいまにポツポツと、小さな篝火が見え始めてようやく二人は冷気にこわばらせた顔を緩めた。
 濃紺の闇に忍び入る明日の陽の気配が、高く高く天へとのびる塔の影を表していた。



「よう来たな、子どもたち」
 毛むくじゃらの耳が左右へ揺れて、ぜえはあと荒い息を聞き分ける。カリン塔のてっぺん、四つ穴の入り口のうち二つにそれぞれうなだれた悟天とトランクスは、顔を上げるか手を上げるかで塔の主・カリンへと応えてみせた。
「ハァッ、かり、ん様っ おはよう、オェッ」
「どっち、?! どっちが先に着いた……?!」
 問われ、仙猫はむにゃりと笑ったような丸い口を咀嚼した。伴って、まばらに生えたひげが指をひらくように空をかく。
「タッチの差で、トランクスじゃな」
「っっっしゃーーーーーーー!!」
「えーーーーーっまたかあーーーー」
 カリンはすべてを見ていた。聖地カリンの地よりそびえる塔のふもとから、四肢を使って駆けあがってくる二人の少年の競争を。実際、もう少し前の刻、新年のあいさつを交わした二人の少年が思い立って実家を飛び出し聖地へとやってくる道中をも見守っていた。地元の村で顔なじみから歓待されて腹いっぱいにスープをいただき、「ようい、ドン!」の合図からしゃかしゃかと塔の側面を器用に走りときに飛び上がり、あっという間に塔をのぼりつめる二人の審判として、イカサマに飛ぶ瞬間がないかも、ずうっと見ていた。
「おれが3分02秒だから、悟天は04秒くらいかな」
「あとちょっとで2分台もめざせるね」
「来年もやるか」
「やろうやろう」
 むにゃり、また丸い口が丸くたわみ、三角のけむくじゃらの耳が二人の会話を聞いて少し後ろに傾く。すると、やいやいと塔の攻略法に熱を入れて言いあう二人と見守る一匹の上から、眠たげなくしゃくしゃ声のクレームが飛び込んできた。
「おいっうるせえぞ いま何時だと思ってんだ」
「あっヤジロベーの声だ」悟天が編み紐を解き、汗のかいた額をぬぐう。
「ヤジロベーさまと呼べ! チェッ、いつまで経っても生意気なやつらだ」
 のっそり、眠気まなこをこすりながら降りてきたヤジロベーは珍しい客の顔を見比べるとばりばりと無精ひげをかいた。悪たれ口をかきながら、久しぶりの顔を見てその成長に少し感心したようにも頷いている。カリンが水瓶からコップへと水を注ぎトランクスへ与える間に、ヤジロベーは声にも出して感慨深そうに悟天の顔を見た。
「ほんっとーにお前んとこは親子で顔そっくりだな。前から似てる似てると思ってたが、こうまで似てると気持ちが悪ぃや」
「失礼だなあ。ヤジロベー…さんだって、会った時から顔変わんないっておとうさん言ってたよ」
「俺は若さを保ちつづけてんだ」
「ヤジロベーくさいよ、最近風呂入った?」
「うるせえッ! だいたい何をしにきたんだ」
 のみさしを悟天へと手渡したトランクスが、会話を引き継いで「あっ」と声を上げた。状況を捉えきれないヤジロベーをそのまま置き去ってさっと上階へ駆けあがり、地上を一望できる欄干から身を乗り出して地平を見つめる。悟天もさっさと水を飲みほすと「ありがとうカリン様」と焦ったようにコップを返し階段を駆けた。
「よかった! 間に合った」
「なあ、なんなんだよ」ヤジロベーがのったり、慣れきっているはずの空気の薄さにも疲れたように息をついた。眠いところを起こされて不満がつのっているのだろう、はしゃぐ子どもたちを追いながら、カリンが代わりに答えてやる。
「初日の出を見に来たようじゃ」
「初日の出ぇ? もうそんな日になったのか。どうりで最近寒いと思ったぜ」
「お前はもう少し日々の移ろいに目を向けるべきだな」
「なんでえ、カリン様だってもらいもんのストーブ気に入って寝っぱなしじゃねえか」
 シッ、と爪の立った指で静止したカリンは、ちらと細い目の端で屏風や風呂桶の裏に隠したカプセルコーポ製のガスストーブを確認した。無邪気に夜明けを待ち望む子らには聞こえていないようで、ストーブも覗かないかぎりは見つかりはしないだろう位置にある。ほ、と白いふかふかの胸をなでおろし、しっぽの先でヤジロベーの腹を突いて言外に「言うなよ」と釘をさした。
「……気取っちゃって」
「うるさい、ワシだって頼れる仙猫様でいたい気持ちはあるんじゃ」

「そうだ、明けましておめでとうございます」
「ああ、明けましておめでとう。改めて二人とも大きくなったな」
「へへーん、もう11才だぜ」
「たったの11ぽっちじゃねえか」
「なんだよ! お年玉くれよヤジロベー!」
「俺が金子持ってると思ってんのか」
「……それもそうだ」
 ゆるく弓引く地平の彼方から、じわりじわりと日が昇りはじめる。昨日と変わらず、そして明日も変わらず上る太陽は、しかし新たな一年を迎え入れる人々の心でもっていっそう神々しく、澄みきった光を地球へ降りかける。眩い来光は夜の静謐な空気へ朝を沁みわたらせ、雲と霧に輪郭を溶かしながら姿をあらわした。
「どうせなら神殿まで行けばよかったじゃねえか」
 保存用の燻製にした魚をむしり食いながら、ヤジロベーが言う。芳しい燻したにおいといい、情緒にも欠ける物言いといい、そもそも毛皮に羽織のその全身が元旦を祝う出で立ちには程遠いと思ったカリンだったが、同じく燻製魚を食らう二人は気にした様子もない。もぐり、むしゃりと仙猫の塔に焼き魚の咀嚼音が響く。
「神殿まで行っちゃうとさ、日の出感がないんだよ」
「地球の半分くらい見えちゃうしねぇ」
「……確かに、あの地では地平線もほとんど半円じゃな」
 ふうん、と気の抜けた相槌を鼻でかえし、ヤジロベーはバリバリと骨を噛んだ。
 まもなく、地の縁を名残惜しそうにしながら離れた陽は真円を空に浮かべ、夜空も白々と新年の一日を迎え入れはじめた。ざわざわと土地が目覚め、星の声なき声が塔の下からも立ち上ってくる。
 ヤジロベーに次ぎ二人も魚を胃に納めると、今度は競うこともなく浮かび上がり塔の欄干を乗り越えた。
「またね、カリン様」
「ヤジロベーさんも良いお年を」
「ふ、元気でな」
「次は土産持って来いよ」
 すうっと飛び上がり、二人はまた何か楽し気にしゃべりながら神殿へと向かっていく。カリンはそれを見送り、さてとヤジロベーへと手を差し出した。
「なんだよう」
「ワシにもあるじゃろ、燻製」
「……魚くらい好きに食ぇやあいいのに」



「悟天さん! トランクスさん!」
「デンデ!」
 明けましておめでとう、今年もよろしくと矢継ぎ早に三人の口から挨拶が続き、わはは、と喜色の入り混じった笑いが天空の神殿に色を添える。
「ああ、二人に会えてうれしい。一番に会いに来てくれましたね」
 デンデは神殿の奥へと二人を招いたが、二人はまだ暑いからと神殿の縁へと腰かけ、デンデもそれに並んだ。裾を払い膝を立てて座り込んだデンデを、悟天とトランクスは両脇から合掌して拝みだす。突然に柏手を打たれ、じり、と尻込みするデンデに構わず二人は口々に「学校のテストがかんたんになりますように」だとか「新しいジェットバイク買ってもらえますように」など好き勝手に願いを並べ立てていく。
「えっ、えっ なんですか?」
「トランクスくんがね、初詣に行くんなら直接デンデに会いに行った方が早いって言ったんだ」
「実際そうだろ、初詣だって神様にお願い事しにいくんだから。一番乗りで会いに来る方が叶いそうじゃん」
「ええと」どこから話を返せばいいのか、デンデは困惑しきり肩を竦めた。
 今現在、神殿下方で魚を食むカリンがそうであったように、デンデも神としての役割を抱えて以来地球に住まう彼らに頼られることには少なからず喜びを感じてきた。できることなら彼らの願いをすっかり叶えてあげたいところだが、地球は広い宇宙の一介の星、そこにおわす神も全能の存在ではない。できることといえば悟天には勉学の助けをしてやったり、トランクスの母へ欲しいものをこっそり伝達するくらいなのだ。遅い成長期でようやく伸び始めたばかりの手指を、デンデは隠すようにそっと組んだ。
 そんな幼い神の後ろへ、音もなくすっと立つ気配があった。まろやかなフォルムの手で運ばれてきた盆の上には、あたたかなお茶が用意されている。甘く鼻腔をくすぐる香りにつられて振り向いた悟天は、その姿を見とめて飛び上がった。
「初詣、お願い事するときじゃない。感謝と、平穏の祈願」
「ポポさん!」「ポポさんだー!」
「あけおめ」
 甘い香りの正体はジンジャーティーで、カリン塔タイムアタックをこなした後のふたりには少し熱くまた苦いようにも感じられたが、ポポが「オトナの味」と一言言い添えると揃っておとなしく口をつけた。じんわりとしょうがのにおいが薫るティーカップの中では、溶かしこまれたはちみつが琥珀の色のなか透明な流れを描いている。
 神殿の下方から吹き込む風はゆるやかで、右足には冬の気配と、左足には夏の気配、そして東からは朝の空気と西にはまだ夜の空気が残っているようだった。デンデもポポから受け取ったカップからひとくち飲み下し、隣でおとなへと勇んで歩み出そうとする地球人の友たちを微笑んで見遣った。その視線に気づいた悟天が、幼さを残した黒目でじっとデンデを見返した。
「デンデに会いたかったのも本当だよ?」
「ふふふ、ありがとうございます」
 地上よりも、そしてカリン塔よりも近くのぼる太陽はその日差しを神殿へ惜しみなく降らせる。真夏のような照りに反して不思議と熱気はなく、ときどきたなびく、雲になりかけた白い霞を眺めながら三人はぽかぽかと日光を浴びた。くあ、と悟天が大きく口を開けてあくびをこぼす。
「ポポさん初日の出見た?」
「ポポ、地球の日の出たくさん見てきた。今日は見てない」
「そっかあ」

「そういえば、ピッコロさんは?」
 ふと、思い出したようにトランクスが口を開いた。苦味のある甘さにはじめは渋っていたジンジャーティーも、今はすっかり飲み干し真白いカップはからになっていた。
「───呼んだか」
 先ほどのポポと同様に、音も気配もなく現れたピッコロはその巨躯の作る影で三人を覆った。「うわぁ?!」と声を上げる悟天とトランクスに対し、デンデは「お掃除ご苦労様です」と穏やかに返す。驚いた勢いで帽子を落としかけた悟天は慌てて神殿の下まで飛び降り、また取り落としてしまわないようにと頭にかぶせた。トランクスの手から零れ落ちたティーカップはピッコロの指先で宙に留められて、ポポがどこからともなく取り出した棒でそれをたぐり寄せて回収された。
「い、いたならもっと早く出て来てよ、ピッコロさん」
「気づいていなかったのか」
 素っ頓狂な声を上げてしまったことに頬を染めるトランクスへ、ピッコロから本を受け取って立ち上がったデンデが「神殿内のお掃除をしてくださっていたんです」とわけを話した。慌てふためく二人を前に、ピッコロはいつもと変わらず高い位置で腕を組み、訝し気に眉根を寄せている。「気配に鈍くなったんじゃないのか? 修行はしているのか」と詰め寄られた悟天は学校が、だとか勉強が、だとか言い訳を並べてみるが、先の神への”願い事”を聞いていたとすればそれが方便にもならない虚言だと丸わかりである。ふん、と鼻を鳴らすピッコロは当然、その聡い耳ですべてを聞いていた。
「お前たちも優れた素質を持っているんだ、きちんと腰を据えて励んでみればいい。ちゃんと力はつくはずだろう」
「ああ……久しぶりだけど、すごくピッコロさんだ」
「本当、デンデよりよっぽど正月ぽいや、ピッコロさん。明けましておめでとう」
「な、なんだ、正月っぽいとは」
「なんだろ。親戚に会った感?」
「俺はお前らの親戚じゃない」
「うーん、今年もピッコロさんはピッコロさんだね」
「む……」
 幼い二人のペースにみるみる巻き込まれ口を噤むピッコロを、その背後でデンデとポポがこっそりと顔を見合わせて笑った。
 陽はすでに、神殿の上へと差しかかってきていた。

「お前ら、寝不足か」
 デンデに代わり、宮の入り口でピッコロを挟んで座っていた悟天とトランクスが代わる代わるにあくびをこぼす。とめどなく左右から流れ続けるラジオのような会話をじっと聞いていたピッコロがそれを見止めて問えば、うぅんとすでに半分眠りかけたような口で悟天が唸る。「そうかも」
「デンデ、ちょっと神殿で寝てもいい?」
「構いませんよ」
 植栽を整えるデンデが答えるや否や、トランクスはごろりとその場に背を倒した。それを見た悟天も、えいやと腕を枕にして寝ころぶ。もぞり、もぞりと何度か身をよじった二人は半身をピッコロの作る影へと逃がし、ついでにいつ何時も白くはためくマントを膝上にすこし引いてもみせた。一瞬後ろへと身を引かれたピッコロは影を保ちながら大きなため息をひとつ。
「こら、邪魔だぞ」
 ピッコロの知覚では、すでに下界で集う親しんだ気配が神殿を目指す様子をとらえていた。遅からずここへは顔なじみたちが集まり、人も増えてくるだろう。先を見越して子どもらをどかそうとしたピッコロはしかし、もう寝入りの深い息を繰りかえす彼らを起こすのは得策でもないとも悟った。眠たいところを無理に起きているように促しても、まだまだ小さい彼らには難しい要求であろうと。
 またひとつ、今度は小さく息を吐いたピッコロは立ち上がると、ダウンジャケットの背中を掴み肩へと担ぎ上げ、フードつきのジャンパーを腰から持ち上げて小脇に抱えた。バランスを整えようと軽くかかとで弾めば、ぐぇ、とみぞおちを潰された声が上がる。
「ピッコロさん……もっと、やさしく〜……」
「こわれものですよ~……………」
「わがままを言うな、まったく揃いもそろって無精になりやがって……」
 ぶしょう、と音を真似るトランクスに果たしてピッコロの独り言はただしく伝わっただろうか。デンデは神殿の扉を開き、ピッコロに道を作って待ったがピッコロはそこをくぐる前に足をとめ、小さなデンデの頭を見下ろした。高い位置にあるピッコロの視線を、デンデはきちんと正面から受け止める。
「デンデ」
「はい」
 南の空気が迷いこんだのだろうか。やさしい春のおとずれを思わせる風が、二人の間でやわらかにたわみ、宮を通り抜けていく。
「こいつらも言いたいことを言っただけだ。お前はそれを聞いてやっただけで、じゅうぶん務めを果たしている」
「そうでしょうか…………そうです、ね。先代がそう仰るなら」
 いたずらっぽく笑い、デンデはひとつ頷く。小山型に小さくつぼまっていたピッコロの口が、デンデの一言でぐんにゃりと歪み、食いしばった犬歯をのぞかせた。それを見て思わず噴き出した幼い神は、はっと寝入る二人に気づいて「すみません」と口を両手で抑える。思わずといった様子に、ピッコロも溜飲を下げて宮中へ歩を進めた。
「………悟飯たちもこっちに向かってるらしい」
「本当ですね、おもてなしの準備をしなくちゃ。ポポさん、一緒にお茶をいれましょう」
 宮の入り口からそう遠くない一室、ピッコロの耳にはポポの茶葉を手にする音も鮮明なそこで、ピッコロは悟天とトランクスをそれぞれ一人がけのソファへと下した。二人目掛けて指をかざしてやればパッと現れたブランケットがそれぞれの体躯へとひらひら、ふわりふわりと舞い落ちてかかる。
「ピッコロさーん、デンデー! 明けましておめでとうございますー」
 安穏とした声が昼を背負い、神殿へと降り立ったらしい。続々と訪れる神の社を知る者たちを歓迎するデンデの声がより一層弾みだす。ピッコロの足元へも、廊下を通してふわりとあたたかい冬の空気が舞い込む。
「…………ああ、おめでとう」
 新たな一年が始まった。またひとつ年を経た地球の誕生を祝い、ピッコロは光の束を片手に抱きしめた。




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