寝床



「あいつ、ほんまにいつになったら戻ってくるんや?」
「僕に聞かれても……。」と四草が他人事のように言った。
お前が知らへんかったら誰が知ってるねん、と言おうとして、目の前の元末っ子が小草若のマネージャーでも嫁はんでもないことを思い出した。


気が付いたら年が明けていた。
年明けの寝床で、新年会というよりは、近況報告会になった。小草若が家出……というより前に実家に戻らずに四草と暮らしてたっちゅうその前提だけでもややこしい話で、流れによっては込み入ったことも突っ込んで言い合うことになりそうな気配を感じていたこともあって、緑と草太も連れて来ない大人だけの新年会や。

「仕事に穴開けたりとか、そういう話とちゃうでしょう。」と自分も長いこと行き先を告げずに行方知らずになってた男が言った。
酔っ払いの放言は見苦しいで。
「草々、お前今更何言ってんねん……おらんようになってもう半月やぞ。」
そもそも、お前と言う前例があってのこととちゃうか、と言うてええのか悪いのか……、と思っていたら、四草が似たようなことを考えているような顔をして草々の方――いや、草々と若狭の方か――を睨んでいた。
まさか、家庭持ってる妹弟子を捕まえて、お前が探しに行かんかい、とか考えてんのか?
落語家の人脈もそれ以外の人脈も少ないお前の方が、若狭よりずっーと仕事入ってへんやろうが。
四草の無遠慮な視線に気づいたのか、「一週間経った頃に烏山さんに聞いてみたんですけど、年明けたらもう一個も仕事が入ってへんかったみたいで。」と若狭が困ったような顔で言った。
「ええ!? 小草若、あいつ……、来年の仕事、入ってへんかったんか?」と言うと、若狭と草々が頷く。
なるほどなあ……それもあっての逃避行か。
「そうみたいです。まあ、それが稽古場にも顔を出さずにいた理由にはなりませんけど。」と実情が分かってた様子で四草が付け加えた。
「仕事がないとは、まさかなあ……。」
あれだけ一世を風靡しといて、いっぺん坂を転げ落ちると、世間は冷たいもんや。
そやからこそ、あいつも一念発起して「はてなの茶碗」みたいな大作でどーんと派手に周りを驚かせたろ、と思ってたんやろうけど、そもそも、若狭が一通りは出来るまんじゅうこわいですらロクに稽古出来てへんような男に、どんだけのことが出来るんや、という気持ちがこっちにあったのも確かっちゅうか。
せやから、寝床寄席に向けて稽古せえ、稽古せえ、っちゅうて、こいつも口を酸っぱくして言ってたんやろうけど。
オレにも理由があって、四草にも理由がある。逃げた責任があるのは、小草若自身の問題や……ちゅうのを、改めて、口にするのもなんや違う気がするな。
そんでもなあ。
師匠があいつの父親や、っちゅう事実が、それだけがあいつが落語家やってた理由やったんやろうか……。
その事実を認めるのは、オレかて苦しい。


「お咲さん、今日のお通し、これなんですか?」
ほんまに美味しい、と若狭が目を輝かせてるのを見て、隣の草々がホッとした顔をした。
「チリコンカン言うんやて。」
「こんなん家で作っても夕飯には食べんぞ。」
「草々くん、飲み屋を舐めたらあかんで~! このチリコンカン、寝床の熊五郎の秘密のレシピ。門外不出や!」食べたいならここに一か月通って貰おか、と熊五郎さんが奥から顔を覗かせた。
「若狭、お前落語家から料理人に転身するか?」ここまでずっと浮かない顔をしていた四草が、浮かない顔のままで合いの手を入れると、若狭が首をぶるぶると振った。
「わ、私、落語家以外務まりません!」
「あんた、そんなに驚かしたりな。若狭ちゃん、この料理、幾つか香辛料がいるからうちで作るのは面倒やと思うわ。」とお咲さんが言った。
「あ、そうですね。この辛いの、トウガラシの辛さと違いますもんね。」
「その代わり、突き出しのおかわりならあるで~♪」と熊五郎さんが言った。この突き出しが夜に評判やったら昼のランチに定番にしよ、っちゅう心づもりでもあるんかいな。
「今年も寝床は年中やってるから、気に入った料理、どんどん食べてってね。」とお咲さんが落ち込んでる若狭に笑い掛けてる。


――路上がうちらの寝床になろうとも、落語会はここでやるで。

そういうことを、言われたこともあったなあ。
こないしてまた四人でくよくよ悩んでても、助けてくれる人がおるやないか。


あいつにも誰ぞ、手を伸ばしてくれる人がおったらええんやけどな。

「熱燗が沁みるなあ……。」
「草原兄さん、まだ昼ですよ?」と草々が言った。
「まあお前も飲め。」
「もう~、草原兄さん!」
不出来な弟のことなんか、飲んで忘れてしまお。

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