解けない約束を - デプ/ウル

「眠れないときは言え」 
 不眠が続いていることを明かした時、ローガンから言われたのはたったそれだけだった。思い当たる理由を尋ねるでも、眠れない時間をどうやり過ごすかを提案してくるでもなく、たったそれだけを約束させられた。約束といっていいのか判断に迷うほど、一方的で横柄な言いつけを、やはり眠れないベッドのなかで液晶画面を見つめながら反芻した。
 ──眠れない
 ───Ok
 メッセージを送って間もなくテキストの横に既読の印が出て、たった一言だけが返ってきた。
 オーケーって何? 何がオーケー? 素っ気なさすぎる一言にも困惑したし、こんな時間にも向こうが起きていることにも驚いたし、とにかく画面の中に映し出される情報全部に戸惑った。もしかして寝ないで待ってくれていたとか? いやまさかそんなはずはないよな。それに眠れないっていうやつから連絡がきて、オーケーってどういうことだよ。何かこれから話が続くのかもと画面の端っこに『入力中』の文字が出ることを待ったが、一向にその気配もなく、もしかしたら一言だけ投げてもう寝たのかもしれない。薄情なやつ。
 結局その一言がどんなふうに送られたのかを考えながら一晩を過ごし、いつの間にか眠っていた。長くはない時間でも、意識が落ちて浮き上がる間に、体の奥底に沈んでいたものがどこか俺ではないところへ流れていったような気がした。

 また眠れない日があって、同じようにメッセージを送った。やっぱり返ってくる返事は二文字でできた一言だけ。今度は適当な単語を続けて打ち込むと、すぐに返事があった。
 ──ユーグレナ
 ───そいつは感染症の名前じゃないぞ
 ───一応教えておいてやる
「ッハハ、」
 思わず飛び出した笑いに、液晶が曇る。久しぶりに笑った気がした。そして届いた返事に、驚くほど安心する自分がいた。そのあともくだらない冗談を続けて、気がつけば朝を迎えていた。眠れなかった一晩に、こんなにも後悔がないことは初めてだった。
 それからも何度か夜中のメッセージは続いた。その間に顔を合わせるタイミングももちろんあったけど、それを話題に上げることはお互いにしなかった。どことなく気恥ずかしさもあった。酔っ払い同士の箸にも棒にも掛からない会話を、素面で再現しても何も面白くないのと同じように、目の覚めた昼間の俺たちは夜中のテキスト上の俺たちとは別の会話を楽しんだ。時には罵り合いや、ひどい声量でまくし立てて激しめのボディーランゲージを含むこともある対話の一方で、画面上のやりとりはひどくゆるやかで、酒に酔うよりも穏やかに暗闇に酔うことができた。
 どうしてあんな約束させたのか、なんで連絡するときはいつも起きててくれるのか、理由があるなら知りたかった。同時に、その時間に生まれるものに理由を付けられるのが怖くて、何も聞きたくなかった。もしかしたら、理由なんてないのかもしれない。ただの適当な思いつきで、今のところは付き合ってやれているくらいのことなのかも。そう思うと、いつの間にかすっかり救われて、メッセージを続けたさに眠たい目をこすって夜更かししていることなんか、絶対に知られるわけにはいかなかった。
 いつかローガンが飽きて、あるいは付き合うことにくたびれて、返事をしてこなくなったとき。その想像が今は何より俺の目を冴えさせた。いつか来る瞬間を考えて、今日も眠れないことを液晶に打ち込み、ローガンからの返事を怯えながら期待する。
 ───Ok
 今はただ、これがすべてだ。

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