チョコレート


ある昼下がり。
クエイド財団のとあるナースステーションでは、看護師たちが三人で休憩を取っていた。
「そういえば、最近見ないわねえ、ワクイナッツたち。」とジャネットは言った。
「まあそうでしょ、ジョー先生に、勤めて半年も経たないうちに熱愛中のパートナーが発覚しちゃあね。」
サリーはそう言って三人の前にある膿盆――普段使わないスペアで、勿論消毒済みだ。――に入れたファットウィッチべーカリーのチョコレートを取った。今日は定時に上がってやるわよ、と気炎を上げてはいるけれど、それが叶えられた日はほとんどない。
「普段アジア系が好みってわけじゃなくても、狙ってた子は多かったわね。」とゾーイが笑っている。彼女ほど含み笑いが上品な女はそうはいない、とジャネットは思う。
「朝倉ジュニアのお気に入りって分かった途端にね。」とサリーは芝居がかった仕草で肩を竦める。
財団のトップ、朝倉雄吾の子である朝倉省吾は、クエイドに入った時から、独身主義で特定のパートナーを作らないことで知られている。二親がいないパートナーから婚約にこぎつけるまでに十年の歳月を待たされた経験のあるジャネットは、彼が水頭症だった過去を公言していることと独身主義であるところの根は同じところにあるのだろうと思っているけれど、それも興味本位の推測でしかない。職場では軽々しく口にはしないと決めている。どんなに恵まれた人であっても、皆心のうちに何かを抱えているものだ。
だから、相手のことも見ずに条件だけで判断しているような身勝手さには辟易するが、彼女たちの気持ちは、分からないでもない。パーティーや親戚づきあいの好きな父母を持たない若い医者というのは、ご立派な医者一家から出て来たわけではない看護師たちにとっては格好の結婚対象なのだ。ジャネットは、我欲に満ちた希望などはさっさと打ち砕かれるべきだと思っているので、実際勝手に願望を抱いて勝手に意気消沈している女たちを横目で見ていると、人生は良く出来たものだと思ってしまう。
まあ、結婚したい相手を生まれ育った国から連れて来るっていうのは、良くあることだしね。
「あの人たち、昨日も廊下でハグしてたって?」とサリーが言った。
「……時々してるわよね、ここでも。」と私。
「ジョー先生、気を抜くとやっちゃうのよね。子猫が親猫に甘えてるみたいに見える。」とゾーイ。
職場恋愛っていうのに目くじら立てる馬鹿もいるけど、まあ微笑ましいわよね、とサリーは言った。ジャネットの見立てでは、彼女はアセクシャルじゃないかと思っているけれど、恋愛願望は別にあるらしい。
「そういえば、ハグが終わってお腹に一発食らってたとこは見たって。小児科のスーが。」いつも、どこに情報網が潜んでいるだろうと思うゾーイの言葉に、「それって、ジョー先生の顔は守ったってことじゃない?」とサリーが返す。
ジョー先生がパートナーにぞっこんなのは見て分かるが、あの暴れたがりなTETSU先生だって、ジョー先生といるときは、妙にシャイに見える。
「案外それが真実かもね。」
ふふ、と三人で笑い合う。
今、クエイド財団の中でも一際賑わっているのが、そのスーのいる小児科だった。くだんのジョー先生のパートナーが、普段は阿鼻叫喚の地獄絵図のような小児科を、スーツの女性達が集うサロンに変えたのだ。
まあ、そうだろう、ジョー先生のパートナーの杖の音が響くだけで、しんと静まり返る廊下。
――おめぇら、残らずまとめて今日オレが取り上げるハンナのためのモビールにしてやろうか? 誰から先に吊るされてえんだ?
彼の出勤初日。友達同士でふざけながら、廊下を前も見ずに走っていた通院中の妊婦にぶつかった子どもたちに言い放った怒鳴り声は、脳外のフロアまで聞こえたという話だ。
出勤初日のフルスイング。彼に本気で凄まれて、泣き出した子もいたらしい。それが噂になった。
これまで、自らの腹から出て来た子ども達を大人しくさせるために何万言に及ぶ言葉を費やして来た女性達と一部の熱心なパパが、悪い子にはドクターTETSUに注射をしてもらう、と一言言うだけで足りてしまう。その時間を自分のネイルやお洒落に当てられるようになりました、と言って、産婦人科で働くジョー先生のパートナーの元には、感謝の花束とチョコレートが絶えない。
そういうわけで、巡り巡って、我らがジョー先生から、こんな美味しいものが手に入るようになったというわけだ。
ときどき、人のいない診察室でパートナーから餌付けされている最中のボスを目撃することも、彼本人からはちょっとばかり耳障りな惚気が耳に入るときもあるが、そこはそれ。
「全く平和ねえ。」とサリーは早くも三つ目のチョコレートに手を伸ばしている。
「今のところはね。」と私が言うと、ゾーイは、それを言わないの、という風にして笑っている。



powered by 小説執筆ツール「notes」

1884 回読まれています