手強き相手
気分が沈むという事を、自分の人生の中で感じたことはそう多くはなく、だからこそ嫌に体が重いだとか心が晴れないだとか、何も無いというのに苛立ちを感じてしまうとどう対処したら良いのかわからなくなってしまう。黄色い潜水艦に厄介になって数日と経過した頃にそのような気分になってしまって、酒を貰ったり昼寝をしてみたりとしたのだけども、一向によくならず、どうしたものかと不快感を訴える胸元を抱えながらゴツゴツとブーツを鳴らして通路を歩いた。なんだろうなこの気持ち、酷く不快だ。体全体にモヤが纏わり着いているような感覚、いや重石でも背中二乗せられている感覚か。トレーニングの負荷ならばなんとも感じないのに、この背負う不快なものは全く体を鍛えるのに役立たない。気分が悪くなるだけだ。
なんだってんだと不快感のままに悪態を着いていると、たまたま通りかかったペンギン頭にギョッとした顔で見られた。なんかご機嫌斜め?なんて聞かれて、その通りだよと舌打ち混じりに答えてしまう。今は不和を呼び込む時期では無いというのにその様な態度をとってしまって、自制心が効いていない事を意味しているのだと気づいて、余計に不愉快になった。まだまだ、修行が足らないのだ。イライラとして目付きが剣呑になるのを止められないおれに対して、ペンギン頭は少し考えてから、ああ、と頷いた。それから独り言のように今日で五日になるのかなんて呟くので、なにがと、聞いてしまった。
「潜水してからだよ」
「あ?それが?」
「ロロノア達って普段海上だろ?おれたちはもう慣れたんだけどお前らって全然耐性ついてないから仕方ないよなって思って」
「だから、何が」
「太陽さ」
人は日光を浴びることでストレスの軽減、リラックス効果、睡眠の質の改善なんかを行うのだと言う。セロト、なんとかってのが分泌されるんだとか。潜水するとその太陽が届かなくて浴びることが出来ず、人によっては酷いストレスを抱えるという。ただでさえ今は悩み事や心配も多いだろうから余計に不調が体に出やすくなっているのかもとか言われて、その言葉が余計に苛立たせた。おれが、なにを、心配すると?悩み?んなもんあるわけないだろうが。ワノ国だって寧ろ楽しみなくらいであるし、コックのことだって、ルフィが向かっているのだ、何を心配なんてするか。そんな不満が顔に出たのだろう。ペンギンは一般論だと笑って言った。
「確かゴッドも不調っぽかったよ。そうだなぁ、そろそろ島が近くに見えるはずだから、キャプテンに言っておくよ」
「なにをだよ」
「船あげてもらうように。ね?それで改善されたら御の字、駄目だったらまた別の方法を考えるよ」
なんでもないようにそんなことを言って、もし本当におれのこの不調が太陽を浴びていないからだとして、そうして貰えるならば有難い。だがなぜそんなことをしてくれるのか疑問に思う。潜水艦で航海するその意味や理由なんぞおれにはわからないが、何かしらの意図を持っているのは確かなはずだ。たかが居候が不調を訴えているだけだというのに、その意図を無視してまで船を浮上させるなど、こいつらにはメリットなどあるはずかない。ほっときゃいいだろうと思ってそのまま伝えると呆れたような顔をされた。一応おれら医療関係者でもあるんだよね、なんて海賊らしからぬ言葉が返ってきて、え?と思う。それはトラ男だけじゃなかったのかと。
確かにずば抜けて知識も技術も持っているのはキャプテンだと笑って、でも自分達だって同じくらいとは言わないけれど医療の心得はあるのだと、そしてプライドも。
「体調が悪い、て奴を放っては置けないよ。特に今のロロノア達は同盟だろ?仲間ほどでは無いけど、多少は気にかけるさ」
「……ふぅん」
最悪見ず知らずの人間に対してはそこまで気にはかけないと言外に伝えられて、まぁそこは海賊らしい思考回路だと思う。メリット云々で覚えてしまっていた警戒心をほんの少しだけ引っ込めた。
「太陽浴びて、日光浴して、それで改善されたら教えて。今後の航海の仕方とか練り直すから」
「おう。わかった」
そんなやり取りをして、翌日には船は海上へと顔を見せることとなった。明日には島に着くから、という事でこのまま海上での航海となるらしく六日ぶりのお天道様にウソップ達や侍達も各々思うように太陽を浴びていた。どうやらハートのクルーの中にも太陽を恋しく思っていたやつらがいるようで、その筆頭とばかりにシロクマの、ベポだったかが甲板に出て早々にお昼寝を決め込んでいる。その腹に背中を預けるようにして座って浅い眠りに入っているのはトラ男だった。何だかんだでアイツも太陽の下が良かったのかもしれないなと少し笑い、潮の香りが混ざる風を受けながら、欄干に腕を乗せて青い海を見た。
トラ男を見て、シロクマを見て、仲間達を見て。そして少しだけ笑ったなと、キラキラ輝く水面を見ながら思い返す。それだけの余裕があるということに些か驚いた。どうやらちょっと太陽を見て日光を浴びたら、現金なことに自分の体調はあっさりと良くなったらしい。このまま鍛錬でもしたい気分だと思っていたところで、ペンギンが近付いてきた。
「よっ、どう?体調はよくなった?」
「おう。有難いことに、どうやら……ニトロ?が分泌されたんだろ。かなりマシになったぜ、ありがとうな」
「ニトロじゃなくてセロトニンな。やっぱ人には太陽が必要ってことかァ。わかりきっちゃいたけど被検た……実体験を聞くのは違うなぁ」
「被検体つったな」
「そこはスルーで宜しく」
帽子で目元が隠れているため唯一見える口元だけで笑みを確認する。ニマニマとしながら横に並んで同じように水面を眺め始める。白いツナギが青い空と海によく映えていて、なんなら海上に居る方がコイツらはよく似合いそうだなんて思って、そういや何でこいつらは海の中なんてところを進むのだろうかと、改めてその意図に疑問を抱いた。潜水艦という存在はさすがに知っているが髑髏を掲げて相手に死を与える意味を持たせる事こそある種海賊の醍醐味みたいなものなのに、その髑髏を海の中に沈めるなんて、意味がわからない。
「なぁ、ペンギン」
「なぁに?」
「なんで潜水艦なんて選んだんだ?悪いって意味じゃねぇが、あまり見ねぇし、おれや、ウソップたちみてぇな、こういう事も起きるだろ?」
「んー?それはねぇ」
なんだろうか、耳を傾けるおれへと顔を向けて、ペンギンは笑みを作りながら首を傾げた。
「おれ達の故郷の話になるけど、本当に、知りたい?」
「ああ?」
どう?なんて聞かれて、少し考えたがおれの答えはあっさりとしたものだった。
「別に」
わざわざ前置きをするくらいだから、多分あまり知られたくないことなのだろう。自分たちのルーツに関わることをいちいち、たかだか一海賊に話す必要だってないわけで、そしておれも、それでも知りたいとは思わなかった。話してもいいと思ったら話しただろうし。そうじゃないという事ならおれだって深入りしない。
「ふ、ふふ。そーか。聞きたいって言われたらどうしようかと思ったよ」
「教えてくれんのかよ?」
「そーだなぁ、ロロノアがロロノアの事を教えてくれるってなら、話したかも」
「それは、どういう意味でだ?」
おれの事を、というのは随分と意味の無い情報を得ようとするものだ。最弱の海だなんて言われている東の海の話か?聞いて面白いことなんてあるのだろうか。おれの話なんて特にだ。そう話上手でもないおれが話せば尚更特に楽しくもないだろう。だというのにペンギンはニマニマと笑みを作りながらおれを見る。なんも話しちゃいないというのに勝手にひとりで楽しそうだ。
「どういう意味、か。おれが、ロロノアの事を知りたいってだけ、かな」
「益々訳分からねぇ。おれのこと知ってどうする?」
「そりゃぁ……」
弱みでも握りたいのか。そんなつもりだってなら何ともみみっちぃ。少しだけこのペンギンという男に落胆を抱きそうになった時に、離れたところからそのペンギンを呼ぶ声が聞こえてきた。気づけばいつの間にかベポから体を離したローが立っていて、近づいてくる。
「なにしてんだ」
「お話ッスよ、キャプテン」
「ペンギン」
ペンギンとは反対の隣に立って、キャスケット帽子の下から随分と鋭い眼差しを向けてくる。目つきの良い奴だと思ったことはないし、むしろ逆になんともまぁこの世を憎んでそうな顔してんなと思っていたくらいだ。それもドレスローザを出る頃にはマシになったような気がしたのに今はまた剣呑である。どろりとした暗い影こそ落としてはいないが、人にいい気分を与えないような目つきはおれではなく仲間であるはずのペンギンへと、向けられていた。そしてそんな目を向けられたペンギンと言えばと言えば欄干に頬杖をついて首を傾げている。楽しげな口元がよりニンマリと笑った。
「おれが、先に、動きました」
「ペンギン!」
「獲るべき椅子は必ず奪うんでしょ?おれだってその精神で生きてますから。だから、言いっこなしです」
おれにはわからない話をして、ペンギンはさっと身を翻した。また何かあったら言ってね、なんて言葉を残して仲間の元に向かうその後ろ姿を見ていると残ったトラ男が大きなため息を着いて俯く気配を感じる。体調が良くなったおれとは反対にどうやらトラ男の奴は随分とお疲れのようだ。
「トラ男?どうしたよ?」
「………」
心配したのに向けられたのは少しだけ力の弱まった、それでも睨むような目だ。なんだってんだ。
「……セトロニンが足りてないのか?」
「セロトニンだ。それよりもゾロ屋、ペンギンと何を話していたんだ」
「なにって、大した話じゃねぇよ。この船の事聞いたりとか、まぁはぐらかされたけどな。後はおれの話をとか?」
ああでもこれもおれが口にする前にトラ男のやつが来たから結局は話せていない。だから本当にたいして話はしていないということになる。ありのままそのように伝えたというのにまたしてもトラ男はため息をついて顔を俯かせてしまった。青い海が広がり太陽を反射して、その太陽がある空は雲ひとつない晴天であるというのに、トラ男のまわりだけ曇天が立ち込めているようで正直鬱陶しいと感じる。なにやらぽつりぽつりと呟いて居るのも鬱陶しさに拍車をかけていた。ペンギンは駄目だろとか、ペンギンがとか、ペンギンは、などなど。ペンギンがどうかしたというのだろうか。あっちは何が楽しいのか始終ニマニマとしていたから問題が起きていたとは思えないが。
「お前、様子おかしいぞ。本当にどうした」
「……ちょっとな、下手したら四皇よりもずっと厄介なもんと戦う必要が出来ちまったかもしれねぇと気付いただけだ」
「ああ?なんだと?そりゃどこの誰だよ?」
四皇以上、なんともそそられる言葉だろうか。トラ男の様子のおかしさもペンギンと話した事なんかも頭の片隅にポンっと投げ捨てて詰め寄れば、やはりトラ男はおれを睨むようにして見て、首をがくりと落とす。
「……はぁぁぁ……」
「なんっなんだよさっきから!!」
「お前のせいだこのやろう覚えとけ」
「ああ?!」
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