Infiltrate into the....
「‥‥ッチ、これで今月は2件目か」
1人になった部屋で舌打ちをし、手に持った新聞を投げ捨てる男がいた。
新聞には【○○区にてまたしても家族失踪】と大きく見出しが躍っており、その下に失踪した家族の名前が記載されている。
「何だってこんなモン、見せらんなきゃなんねぇんだ。こっちだって忙しいってのによォ」
苛立たしげに頭を掻きむしり、独りごちる。
この失踪事件、記事が報じるには警察の懸命な捜査も虚しく、相当に難航しているらしい。
暗中模索──事実、難航している、としか言えない。
事件について、この男はそう断じることの出来る人物であった。
彼の名は橋上 靖之。
この事件の捜査を担当する刑事の一人である。
「忙しいんだったら忙しそうにしろ、聞き込みだってまだ終わってねぇんだ。後その新聞拾っとけ」
「へーへー、すみませんね」
先程まで部下達と話していた内容を思い出してまた苛立つ。
橋上は所謂キャリア組であり、刑事課に配属されてから既に十数年が経過している。
その経験から彼はこう思っていた。
この事件に関して警察はお手上げだ、と。
やれるものなら、いっその事「妖怪変化のせいです」と叫んでやりたい気分だ。
そんなことをすれば、自分は間違いなく左遷どころか社会の笑い者にされるだろうが。
「ったく……」
橋上は投げ捨てた新聞を拾い上げてデスクの上に置く。
それからデスクの脇に置いてある灰皿を手に取り、胸ポケットからタバコを取り出し火を付けた。
ふぅっと煙を吐き出し、気持ちを落ち着ける。置いたばかりの新聞を端へ寄せ、改めてデスクの上に広げられた資料を見るも、一向に頭に入って来ない。
(クソッタレ!)
「こういう頭使うのは苦手だってのによ」
乱暴にタバコを灰皿に押し付けながら悪態をつき、椅子にもたれかかって天井を見上げた。
「マジで変わらねぇな、お前刑事何年目だ?」
先程、橋上に注意した声が再びする。天井を見上げる橋上の視界の端からニュッと腕が伸びてきた。
橋上が視線を向けるとそこには上司である男の姿があった。
橋上と同じくキャリア組のこの男は名を小鳥遊 仁と言う。
「3年目の新米ですよ、先輩サマ」
「それの5周目ぐらいか?万年新米」
「んだと、コラ!」
橋上は音を立てて立ち上がると、そのまま拳を振りかぶる。しかし、それをヒョイと軽くかわすと、小鳥遊は「おー怖」と言いつつ自分の席へと戻っていく。
「お前なぁ、いい加減そういうところ直せよ。だからガキも女も、昇進も寄らねぇんだ」
「そのとーりでござんすわね」
(余計なお世話だ!!)
心の中で中指を立てながら、棒読みで同意する。今、オフィスにはこの二人しかいない。
だからこそ叩きあえる軽口でもあるのだが。
「それより、どうなんだ?今回は」
「全然ダメです。目撃情報はほぼゼロ、前とは家族構成も人間関係も目立った共通点はナシで問題もナシ、家族の様子も全員、直前の日まで変わった点もナシ。正直お手上げですよ、お・手・上・げ」
「そうかい。まぁ、だろうな」
小鳥遊は自分の机の上で頬杖を突きながら興味なさげに言う。
「ケッ、他人の苦労だと思いやがって」
橋上は吐き捨てるように言い、椅子に再び座るとギシリと背もたれが鳴る。
「でもな、一応俺らも仕事だ。諦める訳にもいかねぇんだよ」
「‥‥知ってますよ、そんくらい」
「なら、とっとと聞き込み行ってこい。ダンゴムシより脳ミソ小せぇんだから足で情報稼いでこい」
「誰がだ!」
「お前がだ、ほら行け」
しっしっと追い払うような仕草をする小鳥遊を見て、橋上は益々顔を顰める。
「ったく、クソ上司め。行けばいーんでしょう、行けば」
椅子にかけた、ヨレヨレにくたびれたコートをひっ掴む。
そのままドカドカと大股でオフィスを後にしようとする橋上の背に、小鳥遊は声をかけた。
「ああ。後、もっぺん現場見とけ。資料と照らし合わせぐらいお前にもできるだろ」
「へーへー、人使いの荒いこった」
最初から言え、とばかりにテキトーな返事をしつつ、デスクの資料をむんずと掴み、ややボロの鞄に突っ込む。
「じゃ、行ってきますよ。警部補殿」
「おー、とっとと行ってこい」
ひらひらと手を振っているであろう小鳥遊を一睨みし、橋上は扉を叩きつけるように閉めた。
「クソ‥‥どうしろってんだ」
橋上は警察署を出たところ誰へともなく悪態をつく。
無理もない、今追っている事件のそれらしいものと言えば「失踪したとされる日の前夜ほどに、何かが争うような音が聞こえた」程度のものだ。しかし、彼らの自宅には争った形跡はなく、かといって何も無いかと言えば違う。出血量の大きい血痕も残されていたことから事件性は高いと判断されたものの、具体的に何が起こった迄を確信できる証拠は見つかっていない。捜査員の中には幽霊だの怪物だの、オカルティックな噂まで流れている。
橋上自身、そういった話は馬鹿馬鹿しく思っている。いや、思いたいという方が正しい。この男の中で、この手の話は絶対に否定することが出来ないからである。
理由は簡単だ。目の前にあるものを頭ごなしに信じるほど馬鹿でなければ、全く信じられないほど愚かではないからだ。
「‥‥」
顔を上げると、署の前の通りを歩く子連れの家族に目が移る。途切れ途切れに聞こえる会話によれば、今日の夕飯の話をしている。全く変哲のない、微笑ましい光景だ。
──夫と見られる男の額に、立派な角が生えていなければの話だが。
よく見ると、子供の方にも小さなそれが生えている。逆に妻の方には一切そういったものは見られない。
橋上が目にする、日常の光景のひとつであった。他にも雑踏の中には、背中に何かの翼が生えていたり、そもそもヒトの姿をしていなかったりと様々なモノがいる。
なんとも突飛な話だ。周囲の者がそれらを気にしている様子は一切ないものの、世間においてはその類のモノは与太話、御伽噺に過ぎないのだ。
とはいえ、橋上にとっては信じる、信じないという問題以前の事だ。生まれた時、おそらく物心ついた時からこれは見えていた。誰にも相談出来ずにここまで生きてきたが、幸いなことなのか、超常現象には今のところ出くわしていない。
ただ、今回の事件について、感覚的に「これは手に負えない」と思わせるほどには不自然な点が多いのは確かだ。態々現場へ単独で行って資料と照らし合わせなければならないのも、そういった理由がある。
「マジでそうだったら、報告書にどう書けってんだ」
時刻は夕方に差し掛かろうとしていた。署の駐車場で車に乗り込もうとしている彼に、秋の乾いた風がそよいだ。
愛車である白のセダンの運転席に乗り込み、エンジンをかける。ギアを入れ、アクセルを踏み込むと車はゆっくりと動き出す。
橋上はハンドルを握りしめ、深くため息をつく。
(意味の無い聞き込みよりは、現場に行くか)
橋上は車を運転しながら、事件のあった場所を思い出す。
そこは郊外の住宅街であった。署からも結構な距離があったはずだ。
(さて、どっちだったかな)
しばらく走っていると、大きな交差点に出た。
信号待ちをしながら、橋上は横を見る。
すると、そこにはコンビニがあった。外装がかなり綺麗なことから、最近建てられたことが分かる。
(そうだ。ここを確か‥‥)
確かこの先の曲がり角を曲がれば、すぐに住宅地に入るはず。
信号が青になったと同時に、車は駆動音を伴って走り出した。
────
時間は同日、昼頃に遡る。
とある住宅街の中、一台の黒いワゴンが停まっている。平日ということもあり、周囲には1人の通行人もいない。
「オイ、これ以上ここに張ってる意味あるのか?」
後部座席に座っている男が声をあげる。見た目からして20代半ばといったところだろうか。眉間にシワを寄せながら煙草を吸っている。
「サツもすっかり見張りまで立てちゃってるしさァ。もしガキが戻ってきたところでアレ、どーすんのよ?」
続けて助手席にいるもうひとりの男に話しかける。こちらは30歳前後のように見える。同様に苛立っているようで、振り向くこともなければ返事をすることもなかった。
「どうするも何も、"アレ"を使えばいいっつってんだろ?いい加減話は聞くようにしろ」
見かねた運転手が面倒くさそうな声で返す。
「あのなぁ!あんな──」
大声で文句を付けようとする男を手振りで制止する運転手。その片手には着信音のなるスマホが握られている。すぐに男が黙ると、スマホを耳に当てて電話に出る。
「あぁ、俺だ。何?‥‥分かった」
男はそれだけ言うと、短い通話を終える。
「お前らに朗報だ」
「なんだよ」
「ガキが見つかったらしいぞ」
その言葉を聞いた瞬間、車内の雰囲気が変わる。先程までの空気とはうってかわり、張り詰めたような緊張感のあるものだ。
「どこだ!?」
「落ち着け」
身を乗り出して叫ぶ男に、冷静に言葉を返す運転手。そして更に続けた。
「それより、もっと準備がいる。だから一旦戻るぞ」
「あ?"アレ"じゃダメなのかよ」
怪訝な顔を見せる男。それに対して運転手も眉間に皺を寄せていた。
「‥‥ああ、どうやら"妖"がそこに棲み着いてやがるらしい」
「オェーッ、最悪だな。じゃあとっとと戻ろうぜ」
そう言うや否や、運転手は車を発進させる。
「マジでな。まぁでも、手加減はしなくていいって事だよな」
「‥‥あっ、そうか‥‥へへ、ぶっ殺してもサツに怒られねぇなんて最高だな」
凡そ尋常の会話ではないそれはやがて、他愛のない物へと変わっていく。そうして、黒いワゴンは住宅街から消えていった。
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