shut your mouth and open your eyes - ネP

 日頃から、背に定規をあてたような、と形容するのが相応しいほどピッコロの佇まいは凛として揺るがない。生来の気質はもちろん、常より武道家としての心構えがあってこそ、その芯の通った姿勢を貫いていられるのだろう。腕を組みしゃんとした背筋は毅然とした気配を滲ませて、ともすれば高圧的にも感じられようが、ピッコロを一端でも知るものはそうは思わない。とくに聡い子どもたちはその剛直なまでの姿勢に潜む穏やかさをすぐ見抜くようで、大抵ピッコロが身を屈めているときは、かわいい子どもたちに群がられて遊びに付き合ってやっているときだ。
 そんなピッコロの傍らで、ネイルはこれまでずっとそのうつくしい芯の強さに魅了されてきた。互いに子どもの時分から共に過ごす片割れのような存在で、ネイルはピッコロをいちばんよく知る一人だと自負すらしている。多少、保護者への反抗でひねくれ粗野な振る舞いをしていた時期もあったが、それでもネイルは、ピッコロのなかに精錬された意志があるからこその憤懣と理解していた。
「……白湯をいれてこようか、ピッコロ」
「いらない」
 だからこそ、こうして革張りのソファの上、膝をくずしてだらしなく己へ寄りかかるピッコロを、ネイルは扱いきれないでいた。
「ひざ掛けは? 少し冷えてきただろう」
「必要ない、さして寒さも感じていないしな」
 何も不機嫌ということであったり、体調が悪いということでもない。ただ折に触れ、ピッコロは人目をはばかりながら、ネイルと二人きりであるときこうして緩みきった雰囲気でくつろぐことをした。
 いつからだっただろう。肩に寄り添ういとしい重さを受け止めながらネイルは記憶をさかのぼる。ランドセルを背負っていたころにはまだそんなこともなかった。制服を着始めて、ピッコロは目に見えて成長著しくみるみる力をつけたのだった。それから家に帰らずネイルの部屋に入り浸るようになって……ああそうだ、その頃だ。負けず嫌いの愚直さが一周回ってよじれて、負け知らずのピッコロの経歴にはじめて土がついた後から。
「……何かついていたか?」
「いや」
 手持無沙汰に膝に置かれていたネイルの手を取り、ピッコロはなにやら熱心に指先を眺め始める。それに意識を引き戻したネイルは、ふたたび胸中で頷いた。そうだ、あの頃からピッコロは何か、おそらく自分でも説明のつかない何かを持て余し始めたようだった。怒りやいら立ちとも、退屈とも違う何かを。
 矯めつ眇めつ、ピッコロはネイルの爪先の長さ、指のふしの荒れをみとめ、ひとつずつ丁寧に撫でていく。むっつりと口を噤み、物をいうこともなくただひとつひとつを確認するように触れていくだけの営み。いじらしくささやかな一挙一動に、むずむずと腹の底がくすぐられる心地がする。
 不意に、ネイルの肩へ頭を寄せたピッコロの視線がちらと上目にネイルを伺った。くすぐりに笑いをこらえているのがバレてしまったかと口端で笑いかけると、求められていた反応とは違ったらしい。音を立てるように寄せられた眉間のしわが、ネイルを厳しく責める。
「つまらんやつだ」
 呟くと、ピッコロはネイルの指をひとつ取り、ひょいと口に納めた。
「ッぴ、ピッコロ?! なにを」
「だまってろ」
 突然のことに一瞬身を固め、腕を引こうとしたネイルをピッコロの手が阻んだ。混乱するネイルが目の前の状況を理解するより早く、第二指の関節に立てられた平たい痛みが神経をびりびりと震わせる。「っあ、」ぞわりと粟立つ肌が、ネイルの委縮をさらに固くした。つかの間できた隙間は、しかしネイルを逃がすことなく今度は鋭い犬歯で捕らえて離さない。
「ピ、ッコロ 待て、やめろ」
「うるさい」
 空いた片手で、引きはがすなりなんなりすればいい。それはネイルにもわかっていることだったが、浅く荒れる息の漏れる口をふさいでおく手が必要だった。
 痛覚を分かつ硬質な圧に怖気が首筋を這いあがる。だがそれ以上に、指先に触れる濡れた体温にネイルの平静は千々に乱れ、呼吸としゃべりにあわせてくねるそれに気をやらないようにするので精一杯だった。掴まれた手首から熱が湧き、噛みしめられた関節から電流が走り、弄られた指先から興奮が全身を襲う。
「だめだ、っそれ以上は」
「それ以上は?」
 は、と吐き出されたピッコロの息の熱さを、指先が受け取る。合わせた視線から、欲熱の灯る気配を感じてネイルはおずおずと返した。
「その気に、なってしまう」
「なってもらわなければ困る」
「…………なに?」
「まったくわからないのか? 俺のこの渇きが……お前は俺のものなのに」
 ──その瞬間、ドッ、と弾ける心臓の音をネイルは聞いた。耳の裏に駆ける拍動が超加速して、全身が心臓になってしまったのではないかというほど強く脈打ち始める。
 道理の通らない物言いが含んだ、まるで幼子のような傍若無人さ。それがこれまでネイルが持て余してきたピッコロのすべてを、背に背を預けるあの頃のピッコロが抱えだした”何か”を知らしめた。
 血潮にうずまく喜びに、張り裂けてしまわないよう胸に手を置いてネイルは数回深く呼吸をする。その間も、ピッコロはネイルの指先をおもちゃにしていた。
「不甲斐ない……これからは、お前のため精進するよ」
 しばらくしてようやく口を開けたネイルの言葉に、ピッコロは満足したらしい。ふんと鼻を鳴らして顎を上げる様は魔王さながらで、しかしたとえネイルが随身の立場であるならば、ひざまずいてそのつま先に口づけることもいとわなかっただろう。それはさすがに気味悪がられてしまうかと、ネイルはピッコロと同じようにその手を取り、指先ひとつひとつに恭しく唇を寄せた。
 精錬された武道家であり、凛々しく端厳とした佇まいを崩さぬ旧知の友。利他と寛容の優しき友が、今は己の膝に頭を預け、ためらいなく欲気をさらし自分を求めてくれている。こんなにも胸をつく悦が他にあるだろうか。
「せいぜい励めよ。お前は俺を高めるために在るんだ」
「……それは誘い文句だな?」
「ふ、その調子だ。及第点はくれてやる」
 首にまわされた腕が、ネイルを性急に引き寄せ息を交わえる。触れ合う唇でピッコロが笑っているのを感じて、ネイルもまた笑みをほころばせた。
 耳の柔くかたい軟骨に歯をあてると、あ、とピッコロの喉から甘い溜息が漏れる。たまらずこぼれてしまったらしいその音を恥じてか、次いで口を開くと低く呻くような声がネイルを呼び止めた。
「次に勘働きが悪いことがあるようだったら、先にひとりで始めてやるからな」
「お前は……ほんとうにかわいいね、ピッコロ」
「バカ」




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