愛しさの形をしている
「おかしくねェか」
納得がいかないという感情をこれでもかと乗せたくぐもった声が聞こえたので、ローは飲みかけていた水を止めて目だけで声の主を見遣った。声の主は枕に顔を埋めて、うつ伏せにした肢体を脱力させていた。力を抜いていてもなお盛り上がった筋肉は美しく、掛けるもの一枚もない裸体がベッドの上に投げ出されている。
ローは口の中に留めていた水を飲んでから、機嫌が悪いらしいゾロへと何がだ、と聞いた。ゾロは黙っている。臍を曲げて黙るタイプではないので、どう答えるべきかを悩んでいるのだろう。悩んでいるのならば答えが出るまで放っておけばいい。ローは水を飲み切ったコップを宿の机の上に置いて、ゾロの長い脚が沈むベッドの端へと腰を下ろした。
上から眺めるゾロの脚は、自分が知る誰よりも体毛が薄い。足首近くには刀傷が一本ずつ走っており、どう贔屓目に見ても雑な処置で縫い合わされた痕がある。麦わらの一味の船医は外科を専門にしていないが腕は悪くない。その船医がこんな雑な処置をするとも思えないから、おそらくこれは船医が仲間になる前に負った傷なのだろう。ゾロの身体には、こういう恐ろしく雑な処置で修復された傷が無数にある。海賊として医者として恋人として敵船の船長として、思うこと言ってやりたいことがその立場の数だけ出てくるので、一つひとつを数え上げて何かを思うのは随分前に止めた。
「…の、に…、」
「なんだ? 聞こえねェ」
切って捨てるように言うと、ゾロは枕に向かって一発大きなため息を吐いた。そして伏せていた顔を上げ、顎を枕の上に置き直してから大きな声でハキハキと言い直した。
「なんでケツの穴にチンコを入れて気持ちがいいんだ?」
「……………」
恥じらいのかけらもない物言いだった。思わず筋肉で盛り上がった臀部を凝視する。
「おかしくねェか。ケツの穴だぞ。おかしいよな? おかしいのはおれか? それともお前が医者だからか?」
「おれが医者だとなんなんだ」
「知るか。おれは医者じゃねェ」
ゾロは極々真面目な声で続けると、跳ねるようにして身体を起こした。そしてベッドの真ん中で胡座をかいた。萎えた性器が折った脚の間に収まるのをローは感心したように眺める。今更何を見て見られて恥ずかしいものがあるという間柄ではないにせよ、この清々しいまでの開けっ広げ。まぁかく思う自分も裸なのだが。
「で、この話はゾロ屋のケツの穴におれのチンコを挿れられると気持ちいいから困ってるっていう相談か?」
「別に困っちゃいねぇ。気持ちが悪いよりはいい方が断然いい」
「ふぅん。困ってないならいいじゃねェか」
「おれもずっとそう思ってたんだが、こういうのは駄目だ、おれは一度気になると気が散るタチだ」
腕を組んでふんぞり返ったゾロが断言する。そんな繊細な性分だったか? と思わないでもなかったが、本人が自分はそういうタチだと言うのだからそうなのだろう。戦闘中のゾロを思い返してみれば、確かにものを深く考える男ではあった。あの集中力で性行為の最中に、『なぜおれのケツの穴にトラ男のチンコが出たり入ったりしていると気持ちがいいのか!?』などという壮大な命題を熟考され始めたら、勃つものも勃たなくなるし出るものも素直に出なくなる気がする。
ローは静かに言った。
「わかった」
「何を」
「人体の構造について説明してやる」
何ならバラして見せてやってもいいと思ったぐらいだったが、ゾロは眉間の皺をますます深くして首を振った。そういうのは性に合わねェからいらない、と言う。座学が嫌なら実地しかないが、この明け透けな雰囲気の中「じゃあ実地しかねェな。今からもう一回どうだ」と口にできるほど恥知らずでもない。数秒考えてローが口にしたのは、その折衷案だった。
「じゃあ今度説明してやる。説明を聞いて理解しながら出し入れしたら、より集中もできるってもんだ、一石二鳥だろう」
「それを一石二鳥と言うかは知らねェが、………まぁそれでやってみるか」
言いながら途中で考えてみたものの、現状これ以上の案も浮かばなかったのだろう。とはいえ、抱えていた問題が当面先送りになったことで気が済んだらしい。こういうゾロの無駄のない思考回路は好ましかった。
ゾロは組んでいた腕を解いてのびをした。そのまま犬歯まで見えるほど大きなあくびをしているのを眺めながら、ローは声音を変えた。
「ところでゾロ屋」
「ん? 風呂か? 入るぞ」
「いい心がけだが今はその話じゃない。なぁ。おれのチンコをゾロ屋のケツの穴に入れたらお前は気がおかしくなるほど気持ちがいいんだな」
「そこまで言った覚えはねェぞ」
「そこまで言った覚えはなくても、近いことを言ったつもりはあるんだな」
持ってまわった物言いをあえてしてやると、ゾロはてめェ、という顔をした。そこらの海賊や海兵ならそのツラを見ただけで逃げ出しそうな凶悪さだったが、恋仲の相手ともなると愛しくていけない。ローは、はっ、と短く笑った。
「そういうのは最中に言えよ!」
「バカか! 言うわけねェだろ!」
最中のゾロは、いつまで経っても『が行』で唸ることしかしない。たまに獣を抱いているような気になるが、別にそれで構わなかった。なんでもよかった。可笑しくて愛しくて、そのまま真横に倒れた。腹を抱えて笑っていると、背中を蹴られた。
バカにしやがって、と憤然とした声が飛んできたので、バカにしてんじゃねェ、と反論する。そこを勘違いされては困る。
「喜んでんだ」
「じゃあ喜ぶな」
「それはおれの勝手にさせてもらおう」
目尻に浮かんだ涙を指の腹で拭って頭上を見上げると、反転した世界で胡座をかいたゾロが憮然とした顔でこちらを見下ろしていた。腹の上に置いていた腕をゾロへと伸ばす。物騒な文字の入った指で膝をつつくと、数秒の間があってからゾロがそれを握った。
「なぁ。いいことを教えてやろうか」
「……なんだよ」
「てめぇが気持ちいいのは、おれのお前への愛だ」
瞬間で片目が丸くなる。本気か? と告げてくるその目をまっすぐに見つめてから続けた。
「そしておれのことが気持ちいいのは、お前のおれへの愛だ」
男同士の体の何たるかを知らない、座学を嫌がるゾロにはわからないだろう。だが、分かれよと思った。理屈じゃないところで分かれ。そこに生物学的な意味はなくとも、愛でしかない行為をしている。あい…、と難しい顔で考え始めたゾロを、ローはずっと見ていた。
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