苦労



「そういえば、まーくんは新しいスーツ買わへんでええの?」
「緑が新しいブラウス着てるとこ見る方が楽しいわ。それに、まあオレは着物の方が落ち着くさかいな。」
「カルチャーセンターの椅子は着物やと落ち着かんから、そのうちスーツ買うかて、こないだは言うてたやない。」
「そうやったか?」
「そうよぉ。」
ころころ笑いながらも、緑の目には、私はまーくんのほんまに考えてること分かってるからね、という優しい気持ちが見える。
まあそういう会話を緑としてたから、今度のあのクリーニング騒動でパッと思い出したていうか。まあクリーニングていうよりは洗濯で縮んだおかみさんのスーツ騒動ていうか……。
夫婦の会話も奥さんもほんま大事にしとかんとあかんな。
それにしても草々のヤツ……。


内弟子修行中の木曽山が四草の口車に乗って、草々のあのストライプのスーツを洗濯して縮ませてしもてから、もう数日が経った。
草々は、丈の足りんスーツがとうとうつんつるてんになったことにすっかり意気消沈して、落語をする気も起きへんようだった。
聞いた話では、どんぶりに盛った米を残すわ、鴨居に頭をぶつけるわで、木曽山に稽古を付ける気にもならへんみたいで、昼間も、いつもの広間で足を延ばして大の字になっているらしい。お茶を出しても『ああ』、好物のオムライスを作っても『ああ』、しまいには、稽古を見てくれと言っても『後で』。
一種の師匠ストライキである。
そそのかした主犯の四草に当たるならともかく、何にもしてへんどころか、かいがいしく世話焼いて来る弟子に怒鳴るて、ほんまに罰当たりなやっちゃ。
一人になりたいなら一人になりたいで、どこか適当なとこに出掛けて行けばええのに、家に引きこもりとは……。
まあ、落語しか好きなもんがないのはあかん、て師匠が言うてたのはこういうこともあるんやろうな。
そもかく、草々の様子を気に病んだ弟子は、いつもみたいにおかみさんの草若師匠のテープを流しても全く効かんのです、と近所の公衆電話から、緑経由でオレに泣きついて来た。
どうやら、アイツが稽古場に行かずにずっと広間を占領しているから、電話を掛けようにも掛けられなかったらしい。
「いきなり草々くんのスーツ買いに行きたいていうから、びっくりしたわ。」
「そういえば師匠になった祝いとか、寝床でどさくさ紛れに乾杯したほかは、何にもやってへんかったからな。若狭も、暫くはやりくりキツいやろうし……。」
あかん、おかみさんのスーツが、としょげた顔でいつもの小草若みたいに床に転がっていた草々の姿を思い出した。
思い出を大事にするのは、未練たらしいのと表裏一体や。
師匠は、俺らが現役の間は、あんなだらしない姿を弟子に見せることは……まあ全くなかったとは言わへんけどな……。ステテコ履いてその辺ウロウロしたりとか……そういうのは、今はええか。
「あいつもそろそろ師匠になったていう自覚持ってもらわなあかんからな、こういうのも、筆頭弟子の勤めや。」
「まーくんカッコええ~~~!」
そうかて、オレの使ってる金は緑が新しいブラウス一枚、スカート一枚買わずに貯められた金やで。
そんでも稼ぎの少ないオレをこうして持ち上げてくれて、ほんまに出来た嫁はんや。

それにしても四草のヤツ、草々が師匠とおかみさんの思い出をいきなり失くした後に出来る心の傷をどないするかとか、草々のとこを引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、全く考えてへん顔してたからな。まあ、若狭も内弟子修行中から四草にアイスキャンディーやら冷やしうどんやら奢らされてたみたいやけど、とうとう木曽山を賭けの対象にするて……あんな兄弟子持って、ほんまに苦労やで。
小草若は仏壇の払いがあるし、あいつからスーツ代徴収して、うまい事半額でも巻き上げられたらレストラン、手持ちが千円程度やったら、家の近くの洋食屋で済ませたらええわな。

「草々にこれ渡したら、たまにはどっか外に食べに行くか?」
「うん♡」
今日はたまたまやけど、この先の草太の学費のことも考えていかんとなあ。
草々と違て、オレの高座の仕事はこの先もそれほど増えることはないやろから、もっとカルチャーセンターの仕事が増やせるように、明日からまた、なんや工夫してやってかんとな。

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