その激情、逃避不可
「はっ──?」
真横に居た男が吹っ飛んで行く。遅れて突風が髪を掻き混ぜて服をはためかせた。それはあっという間の出来事で、間抜けな声をひとつ上げることしか出来なかったが、男が居た場所にソレが現れ、ローは咄嗟に能力を展開させた。
「抗菌武っ……!」
しかし、それも強力な攻撃力の前では盾としては力不足であった。殺しきれなかった激突を受けた体は後方へと勢い良く飛んでいく。風を切って飛んでいく体は受ける風圧だけで散り散りにバラけてしまいそうだ。歯を食いしばっても受けた痛みは逃しきれず、喉元まで迫り上がる血液を吐き出した所で背が大岩にぶち当たり、骨が嫌な音を立てた。瞬間的に武装色の覇気を纏わなければ骨の何本かはイッていたかもしれない。いや、背骨が折れて一発アウトだったか。嘲笑うように浮かべた笑みは誰に向けたものか、それとも自嘲か。さてどちらか、なんて思うのと同じくして、自分の体を巨大な影が覆う。
「デケェ癖に速いンだよッ!」
何メートルとぶっ飛ばされ、岩に叩きつけられ、もっと言えばそれよりも前からこの化け物じみた生き物を相手にしていたものだから、いい加減頭にくる。人の二倍か三倍か、それ程の大きさを保ちながらも俊敏性ほ野生動物以上。瞬く間まも無くとはその通り、光の速さと見まごうばかりの素早さにはローも、そして数奇な事に共にこの化け物と戦うことになった男も災難というしかない。
(あいつは……)
と、気遣う間も与えてはくれない。化け物の腕がゆっくりと持ち上げられるのが目に入る。
「嫌味なヤツ」
その気になればさっさと、それこそこちらが一言と話す間も無くの腕を振り下ろし粉々のぺしゃんこに出来るくせに。
ああ、そうか。
かろうじて口とわかる部分がニタリとした笑みを作った。思考する頭があるのかないのかわからんが理性は絶対にないだろうと思われるこの化け物、しかしどうやら加虐心はあるらしい。反吐が出る。そんな悪態を口に溜まった血と一緒に唾を吐き出してやった。お気に召さなかったらしい。唸り声を上げた化け物がいよいよのその腕を振り下ろそうとしたのが分かる。筋肉が盛り上がり太い血管が浮き上がる、力が入り微動する腕が高く上げられるのを、余裕に見つめて、笑ってやった。
「背中がガラ空きだぜ?」
迫り来る鬼神に、化け物はほんの僅かに気付くのが遅れた。
殺意を漲らせ化け物に負けず劣らず筋肉を膨れ上がらせた隻眼の男が刀をひとつ手にして、眼光鋭く睨みながら勢いよく、振り下ろす。轟く爆音がただの人間が刀を振るっただけとは思えぬ程の破壊力を伴ってローの耳を襲う。男の姿を見て攻撃を仕掛けるのをわかった瞬間、その身を屈めなければ背後の粉々に砕け散った岩諸共、木っ端微塵となっていただろう。衝撃波に体がまた、吹き飛ぶ。それだけで済んだのは戦闘経験値を積んできた故だ。
「っくそが!おれも殺す気か?!」
「避けたじゃねぇか」
いけしゃあしゃあと、刀を肩に担ぐ男を睨む。舌打ちひとつ零れたが許されよう。
「あれは?」
「避けた、ほら」
顎をしゃくって示す先にはなるほど確かに化け物は健在でいらっしゃる。
ギリギリの所で避けたのか、憎々しい思いもすれどその化け物の腕が一本欠けているのに気付いて嘲笑う。ざまぁみろ。へへっと笑うが、状況としては最悪でしかない。まだ、腕一本。元気に怒りに怒り狂って咆哮を上げる化け物に対して、こちらはそろそろ疲弊してきている。
こんな時になぜ愛刀である鬼哭を優秀なる航海士に預けっぱなしにしてしまったのか。悔やんでも仕方ない。それにまだマシだろうと自分を慰めた。なんせ隣にやって来て立ち上がるのに手を貸してくれたこの隻眼の剣士に関して言えば、この化け物とはまた別の敵に刀を二本奪われたままなのだ。三刀流が一刀流。随分と戦力が落ちてしまっている。
欠けた戦力でこの化け物とどう戦うか。思考を巡らせて居ると再び化け物が矢の如く突進してきて堪らず己の能力を展開しゾロと共に化け物の後方にあった何某かと入れ替わり回避する。その時にようやく、頭が回った。
間抜けな事にやっと作戦が思いつく。己にはこの化け物ですら追いつけない移動方法があるではないか。そして、己の代わりに振るう刀を持つ男も居るのだ。ならば。
「ゾロ屋、ひとつ聞きたい」
「あん?」
一刀流は苦手なんだよとボヤいていたゾロが眉を跳ねさせ睨む。
「こんな時にか」
「こんな時だからだ。お前、おれの事をどれだけ信頼出来る」
言葉の意図が分からぬ。だが見極めようとする眼差しでもってゾロはローを見た。トラファルガー・ロー、一海賊の船長であり、少々頭に熱が昇りやすいが思慮深い一面も持つ。明確に指示を与え、実行する事に長けたそんな男がなにかを思いついたらしい事を理解する。
「言っている意味がわからねぇが、力くらいは信頼してる」
その答えに、ローは満足した。
化け物は突然消えた二人を探すようにきょろきょろとしている。それから目を離さないままに、ローは続ける。
「ならば今だけおれの力を百パー信頼しろ。お前はただ、目の前に現れるアレに向かって刀を振るえ」
指示された言葉と、ローの能力考えれば、ゾロは成程と頷き、歯を剥いて笑う。
「そういう事かよ。だが、信頼して五十パーだ」
「ああ?んだと?」
「もう五十パーは、おれ自身の力よ」
五十パーしか、と思って。それでは駄目だと声を荒げようとした時に、自信しかない男の声が耳に入る。刀がひと振りだけとなり、三刀流の名も今この瞬間においては薄れてしまっていても、今までの経験値は決して衰えることは無い。
「まぁ本当は百パー」
「ならおれへの信頼も百パーにしろ」
「ならおれ自身の力は百二十」
「百五十」
「二百」
上等。
ならばこちらも二百パーセントの力を、信頼を、勝ち取って見せようでは無いか。
化け物が振り返り二人を見つける。途端に再び耳障りな咆哮。ローは、片手を胸まで持ち上げて、能力を展開する。青い膜が広範囲に広がった。
「来るぞ」
ゾロの声が合図となったように化け物が突進してくる。すぐさまローは砕けた岩の欠片と自分達を入れ替えて回避。そのまま間を置くこともなく化け物が腕を空振りさせたその瞬間に傍の石ころとゾロを入れ替える。あっという間の出来後であるにもかかわらず戸惑うことなくゾロは、刀を化け物へと振り下ろした。
瞬間的にすぐに避けた化け物。そう見えた時にはまたゾロと石ころを入れ替える。次の瞬間には化け物はゾロが居たところに腕を振り下ろし、地面にその拳をめり込ませた。地鳴りが響き大きな亀裂が走ってローが居た所までひび割れる。化け物らしく、化け物じみた破壊力。巻き込まれる前に瞬間移動しながらゾロを化け物の側へと移動させる。
振るう刀、風を切る。今度は化け物の胴体を切りつけた。強靭な体に切り傷。しかし倒れずに振るわれる腕がゾロを狙う。すぐに回避の為離れた場所へと移動させる。続けて己も移動し化け物がゾロへ向けた目を己に向けさせる。戸惑う化け物。先程向けられた笑みを真似してにたりと笑ってやった。そして今度はローも化け物の前から消える。化け物の背後に移ったゾロが、刀を振り下ろした。
今度の傷は、深い。
悲鳴を上げて暴れる化け物が確認もせずに腕を振り向きざまに振るったがその時にはゾロと大きく砕けた岩と入れ替えていた。化け物と同じ程の大きさの岩は無惨にも砕け、飛散する。そのうちのひとつ、上空高くまで上がった欠片とゾロを入れ替えた。上段の構えで刀を持つゾロは落下速度を力に変えて、振り下ろす。
刀が、化け物の体を真っ向切りにした。
ぐらつく身体は、二つに分かれ、どさりどさりと、左右に倒れ、びくりびくりと痙攣する。大量の血が溢れ出し周囲に死臭を撒き散らした。
「っはぁ、はぁ……!」
能力の行使は体力を著しく消耗させる。流石の化け物も、体が二つに切り離されては動くことも叶わなかろう。それこそ、鼓動のひとつ、もう動きはしない。立ち上がってきたらいよいよ化け物どころの話では無い。
荒く息を繰り返し、化け物を見る。どうやら本当に絶命したらしく、起き上がる事もないと判断したところでローは大きく息を吐いて、気づく。化け物の前に刀を携えたままで立つゾロが身動きひとつしない事を。
「ゾロ屋……?」
どこか怪我を。そうしないよう気をつけていたが、それでも何度も何度も移動を繰り返させた。どこか不調を与えてしまったのかと思い、焦り声を掛けると弾かれたようにゾロが身動ぎ、ローの元へと走り寄る。
「ゾロっ……!」
胸倉を捕まれ、引き寄せられる。突然の行動に声を上げる事も出来ないまま、ゾロの唇が己のものと重なった。
それこそ突然であるが、間を置くことなく侵入してきた舌先が乱暴に口内を荒らしてきたもので反射的にその舌を絡めとる。生暖かく柔らかい男の舌を、絡めて、吸って、幾度も唇を重ねながら抱き寄せた。まるでそれは興奮という言葉を体現させたかのような荒々しさで、ようやく唇が離れた時にはお互いに息を荒くさせていた。
「はっ、はぁっ、なんだ、ゾロ屋……お前、戦いの中で興奮する変態だったか?」
「ンなつもりはなかった。だが、どうしてだろうな……ははっ!やべぇ……」
首に腕が回されて、耳元に唇が寄せられる。
「すげぇ、きもちよかった」
「っぐ……!」
「視界が変わる度に、おれが思う場所にいて、刀を振るいたい位置にいて、避ける必要もなく、ただ刀を、振って……あんなの、初めてだ」
「ゾロ、屋……!」
「は、ァ……トラ男……」
再び、唇が重なる。頭を掴み、尻を掴み、掻き抱いて、熱くなり始める下半身を擦り合わせる。死臭が広がる場所に淫靡な空気が混じり始めた。息遣いに混じって淫らな水音が辺りに広まりはじめ、このままでも、と思った時、ゾロの方から離れてしまう。
「おいっ」
もっと、と。ローが顔を寄せた時、ゾロもまた興奮を隠し切れない顔をしたまま、それでも残念そうに笑って首を横に振った。
「ベポが近付いてきてるぞ。鬼哭の気配がする……それに鬼徹の気配も。向こうも終わったみたいだ」
「チッ!」
別の離れたところで戦闘をしていた仲間もまた勝利を手にしたのは喜ばしいが、タイミングの悪さに思わず舌打ちすればゾロは宥めるようにして、子供のようなキスをひとつ送ってきた。
「トラ男、今夜」
「当たり前だ」
「激しいのが良い」
「逃げたくなる程に攻めてやるよ」
「ああ、そりゃ……楽しみだ」
うっとりと笑うゾロ。そして、気配が近づいてくるのを感じながら、ローは舌舐りする。
ローもまた、戦闘において抱いた強い高揚感を、ゾロはきっと気付いちゃいない。自分の興奮のいっぱいいっぱいだろうから、だがローは忘れない。
この男を思う様に動かしたその高揚感を、ローは一生、忘れない。
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