更新3
震える携帯に目が覚めてしまったという現実から逃避すべく私はとりあえず布団を頭から被った。
うう……足先が寒い。
そういえば、そろそろこたつ出す必要があるなあ、て思ってたんやった。
そやけど、携帯がこの時間に震える、ちゅうことはまあ十中八九いつものアレやろな。親ならきっと電話が掛かって来るはずやし。
今日はなんやろ、て思ってたら、『43と思って読んだら……43と違いました……。』
いやはや、朝から何を言ってはるんでしょうねえ、この人。
あの一日二十四時間の二十時間くらいずっとシーソー師匠と小草若ちゃんのことしか考えてないようなあのスポ馬さんに限って、まさか今更23に転んだり、師匠とシノブくんに浮気したりはせえへんやろ、他カプは読み専やて言うてたし……。
まさかな……。
わたし、今日は冷蔵庫の中に低温殺菌の美味しい牛乳があるし、チャイ用のスパイスあるし、久しぶりにミルクティーとかええかなと思ってるんですわ。
お湯沸かそう、て思ってるんですけど……ちょっと、ちょっとだけ。
あ、ほんとや。
……ていうかスポ馬さん、色々耐性がある大人だと自認出来る方だけスクロールしてください、て何ですか?
耐性って、何の耐性やろ……?
***
庭と玄関の掃除をざっと終わらせて、縁側も拭いた。台所と座敷の掃き掃除も終わった。
後は二階の部屋に風を通して、布団を干す必要だけやな。
そう思って階段を見上げたタイミングで、このうちのただ飯食らいがトントンと足音をさせて下りて来た。
「シーソー兄さん、腹減ったわ。オレにもきつねうどん奢ってくれへん?」
「……なんで僕がお前に奢る必要がある?」
「こないだ秘蔵のテープ貸したったやん♪」
「……人聞きが悪い。」
「おやおや、シーソー兄さん、昼間っから何考えてんですか?」
何が兄さんじゃ、このボケカス、ときっぱり撥ねつけてしまうわけにもいかないのがそもそもの問題やった。
師匠はともかく、その辺をおかみさんがふらふらしてる可能性がある家の中では、この表六玉に怒鳴り返すどころかチクチクと嫌みを言うのも難しい。
「聞かへんなら今すぐ返してくれてもええんやで♡ オヤジの『算段の平兵衛』、レアやから寝床に持ってって磯七さんに話を持ち掛けたら、こっちの言い値で売れるかもしれへんし?」
ほれほれ、と仁志はこちらに向かって手を出した。
お前は取立屋か。
あのテープは返すつもりはない、と僕が言ったところで、仁志はふたりの兄弟子を丸め込んでなんとか取り戻そうとするだろう。賭けますか、と言えば雁首揃えて乗って来るちょろい兄弟子はまあいいとして、僕の弟ぶりたがるこの男が厄介やった。
浪人生から脱したばかりの師匠のぼんくら息子は、僕と違って、兄弟子たちに愛されている。賢くもない、落語も出来ない、それでも。
へっぽこであればあるほどいいというのは、一体どういう理屈なのか。僕にはさっぱり分からないが、ともかく、僕と仁志の意見が対立した場合、こちらの味方はいないと考えた方がいい。
「……僕にそんな金あるように見えるか?」
「寿司とか鰻奢ってくれて言うてる訳とちゃうやろ。内弟子修行中は女に奢らせる訳にはいかへんて言うても、煙草買う金はあるみたいやん。なあ、兄さん。」
二年半前に出来たばかりの『自称・弟』は声を低めた。
まあ、こないだまで「シノブちゃ~~~~ん♡」と言いながら腹立たしい顔で寄って来ていたことを考えたら、師匠の考えた芸名の方がなんぼかマシというところだった。
金の掛からない国立大学を二度受けて二度落ちた後で三流の私大の一年生をやってるこのうちの長男であり徒然亭の末っ子を自任している男は、この先のプータローが確実である、自分の将来を分かった上で、新しく入って来た金のない内弟子にまでたかろうというのである。おかみさんと師匠の血が入ってて、この性根か。
まあ、僕かて、人のことは言えへんけどな。
「大体、兄さんが弟子入りしたからオレの小遣い減らされてしもたやん。」
「師匠かおかみさんに言うたらええやろ。」と言うと、ふ、と仁志は笑って、そういうのは九つの年に卒業したんや、と言った。
――家族が大事なのは分かるけど、お前はもう二十歳になるんや。なあ、仁志。師匠も言うてはるやろ。いつでも、お前の好きにしたらええ、家を出てってもしたいことがあるなら、そないせえて。
いつかに草々兄さんが口にした言葉に、傷ついた顔をした子どもがまだそこにいるような気がして。
兄弟子と同じ立場ではないにせよ、僕の口からは、似たようなことは言えそうにはなかった。
家族なんか、そないな大事なもんとちゃう。
それは、僕にとっての家族が、あの女一人きりやっただけのことで。
そもそも、僕が仁志の立場やったら、あのふたりと、暑苦しい兄弟子の見守る場所を離れて、どこかへ行けるやろうか。
「あ、こないだのレポートありがとうな、教授から評判良かったで。……あんな、バイト代出たら奢るわ。」
そらそうやろな。
僕の出た大学は国公立で、仁志の大学より三十は偏差値が高い。煙草を吸ってたことを黙ってるから手伝うてくれ、と言われた人文系のレポートは、数年ぶりに原稿用紙三枚を埋めた僕の力作やった。
後は、三流大学の教員に、なりすましの代筆が見破られないかを気にするだけだ。
「あ、バイト言うたら、夕方からの送迎も頼むわ♪」
「人に送り迎えさせんと通えんバイトなんか、とっとと止めてまえ。」
「そない言わんと、なあ~。たまには可愛い弟に融通利かせたってもええやろ?」
「誰が可愛い弟やねん。」
「えっ、オレ、可愛いことないか?」
「そもそも、バイト先の飲み会で深酔いしてヘッドロック掛けて来るような弟なんかいらんわ。」
「……あれから飲んでへんで。四草兄さんが飲むな、て言うなら、ずっと大人しぃにしてるし。」
こんな風に、全身で、オレを構うてくれ、と言うてる仁志を見るのは、妙な気持ちやった。
師匠やおかみさん、草々兄さんにこないしたら、可愛がられることは分かっていて、僕のところにやって来る。可愛い、とまでは思わへんけど、可哀想なヤツやと思う。
自分が恵まれてることに気付いてないヤツは、皆敵やと思ってた頃もあったはずや、それでも、こいつにはすっかり情が移ってしもた。
「しおらしい真似したかて、僕には通じへんぞ。……ずっと言うてるやろ、ほんまに僕の弟になりたいなら、とっとと師匠に弟子入りせえて。」
そこまで言うと、言い負かされた顔をした仁志の方からぐう、と腹が鳴る音がした。
腹が減ってるというのは、どうやらほんまやったらしい。
「冷蔵庫の残りもんではあかんのか……?」
「今日はうどん食いたいし。うどんなら、四草の作ったのでもええで?」
オイコラ、兄さんとちゃうんかい。
***
おーーーーーーーーーーい。
ていうか、小草若ちゃん???
え??? ちょっと待ってくれますか???
いくら落語家になってもタレントとして売れへんとか、一緒に切磋琢磨するはずの草々兄さんに水をあけられてるとか、四草兄さんにどころか若狭姉さんにも後れを取って底抜けに新しい話が覚えられへんていっても、弟に転生って……それはないんと違う???
しかも、ほとんどプータローですけど???
気が付いたら、磯七さん(て誰??)が三日天下の三番弟子に収まっとるし、仁志くんは師匠宅の二階にお住いの大学生からまたまた就職浪人になってるし、そうなったらもう草若師匠も常打ち小屋のために無理に色々走り回ることもなく、おかみさんはいつまでも元気でふたりでデートに行ってるし、その間にお留守の草若宅で血迷った四草兄さんに初めてのチューを奪われてるし……???
え?
いくらなんでも、そんなんを大学生まで守ってたってことある…?
中学の時にお付き合いしてた人おるし、そこで色々経験したって、言うてたよね?
色々が何かは特に書いてなかったけど……いや、あれが全部草々兄さんに対抗した背伸びの騙りやったてことは、今の草若ちゃんちの底抜けにアイスで埋まってる冷凍庫の写真見たら、まあ……全くないとは言えへんような気もしますけど……そうは言っても……。
***
「今日、ふたりともいてへんのか?」
久しぶりというほどではないが、師匠とおかみさんは不在やった。
「オヤジとおかんがふたりして出てってしもたからな。ええ年してデートて何やねん。」
「……それはそれで仲良くてええてことやろ。」と言うと、単に出掛けてくるて言うたらええやん、と仁志は拗ねた顔をした。なるほど、僕と付き合うてることは親には言われへんからお前も黙っとけて、そない言うてたくせに、ただのデートはしたいわけか。
昔はこないして顔を出す回数も頻繁やなかったからこそ、おかみさんへの羊羹とか、師匠への殻付きの落花生とか手土産を毎回持って来てたけど、最近はこないして理無い仲――実際はそういうほどの進展もないが――になってしもて、仁志からの呼び出しがあれば応じる度に、こっそり顔を出す回数が増えた。
キャリアの短い落語家が、他の生業もあるのに頻繁に師匠の家まで来て、中から稽古の声もせえへんのに、引きこもりのドラ息子と何してるねんて話になったら困るわけや。
まあ、理屈としてはそれで合うてるけど、ここまで行くと、こっちはほとんど間男の気分や。
仁志の我儘ぶりは今でも筋金入りで、大学を卒業したこのところは、前よりずっと、酷くなっていた。
自分が、我儘を言える立場にあることを、逆に言えば、僕が自分の我儘を利いてくれる存在かどうかを確かめたいのだ。
どっか行くか、てこっちからつついたら逆に藪蛇になりそうやな、と。こっちの気持ちまで薄暗い方に引きずられてしまう。
「喜代美はどこ行った?」
新入りの弟子の名を告げた途端、仁志の顔に動揺が生まれるのが見えた。
「あいつ、今日は草々兄さんと一緒に草原兄さんとこやて。掃除と洗濯の仕込みなら、一日くらいは緑ちゃんとこで預かって貰ってもええんと違うか、て。オヤジも適当過ぎるわ。」
「そうか。」
この家に転がり込んで来た若い女が、師匠の弟子になりたいと言って来たのはつい先ごろのことだった。
仁志が運転免許の合宿に行ってる短い間の話で、同年代の人間とは言え、大学在学中の若い男女に揉まれている間に、師匠と相手の親の間ですっかり話が付いてしまっていた。輝かしい五番弟子の誕生となるかどうかは、この先を観ないと分からへんけど、今更素人へ稽古つけるんがしんどいという師匠の横で、おかみさんは、妙にこの新入りを気に入っていて、個人的にも応援しているようやった。
女の子の弟子なんて今時でええやないの、喜代美ちゃんかわええしなあ、ずっと内弟子でおってくれたらええのになあ、とにこにこ盛り上がっているところに、水を差せようはずもない。一昨年の緊急入院のことを案じていた草原兄さんと草々兄さんは、どこかほっとした顔つきで、おかみさんを見守ることにしたようだった。
面白くないのは、その一粒種の息子である仁志だ。
長く君臨してきた末っ子の座は新入りに奪われて、しかも相手が一回りも年下の女。その上、福井の実家では仁志と似たような立場にあるフーテンの叔父と長く暮らしていたらしく、このヒョロヒョロノッポを馬鹿にするでもなく、それなりに懐いてもいるのである。
流石の仁志でも、そんな相手に八つ当たりをするのは大人げないという理性は残しているようだった。
その代わり、僕に対しては、ヘッドロックの回数は増えるわ、酒を飲みたいと言い出して僕の部屋に酒瓶を持ち込むわで、偉い騒ぎだ。
「そういえば、和田喜代美て名前、どっかで聞いたことないか?」
「それな、最近流行りのニュースキャスターに同じ名前の子がいてたやろ。あの子も福井の出で、ついでに幼馴染やて言うてたで。同姓同名なんやと。」
……あいつのことを知ったばかりの頃は、振る舞って貰ろた若狭鰈のことしか覚えてへんとか言うてたくせに。それなりに世間話をしてもいるらしい。
「悔しいか?」
「何がや?」と言いながらも、こちらの言いたいことを感じている様子で、仁志は口を尖らせた。
「師匠があのレベルの頭の弟子取ったことやないか。……あれでええのなら、自分かて、落語家になれたかも、て思ってるんとちゃうか?」
「思ってへんわ。」と仁志はそっぽを向いた。
合宿から戻って来た仁志は、自分にそっくりな後ろ向きの、しかも可愛い女の子が、なけなしのエネルギーを振り絞って、私を弟子にしてくださいと師匠に迫っているのを見て、完全に自信を失ってしまったみたいやった。
なんでかって?
自分がずっと、師匠の弟子になりたかったからや。
ずっとずっと、オレは落語家になりたかった。
酔っぱらったふりで零した言葉が、仁志のただひとつの真実やった。
喜代美が、僕みたいな年上で出来た人間やったら、それでもなんとか、心の中での折り合いは付けられたやろう。
かつての自分が選ばなかった道を選んだ人間の眩しさを目の当たりにして、悔しい思いをしてるやろうに、僕に対して、しみったれた八つ当たりして、それだけで腹が収まるはずもない。
……ほんまに、お前はしょうもない嘘つきや。
それでも、このあほで可愛いその嘘つきが、僕には大事なんや。
「なあ、大人のデートでもするか?」
「……なんやねん、それ。」
アホか、成人して何年経ったと思てんねん、と仁志は言葉を吐き出した。
「まあ、お前が怖いていうなら、オレも無理強いはせえへんけどな。」と言うと、仁志は眉を上げた。
そんな顔を見ても、餌に引っかかったと思うだけで、師匠と、おかみさんに済まないという気持ちは、ちっとも湧いて来ない。
「……部屋に来い。お前が知りたいことを何でも教えたる。」と言うと、仁志は真っ赤になって俯いた。
イエスか、ノーか。
「僕がええと言うたら、返事は決まってる、と言うてたやろ。」
勢いづいたついでに指先で唇に触れると「お前がしたいて言うなら……行ってやらんでもないけど。」と目元を赤くしたままで仁志は言った。
やっとお許しが出たらしい。
僕から離れられへん、とお前から言うてくれたら。
こっちはもう、一生離さへん覚悟くらい出来てんのやで。
***
パラレルバッチコーーーーーーイ!!!
続き今すぐ読みたいんですけど……ここまでしかスクロールないんかーーーい!!
いやいやいやいや………そういえばスポ馬さんて元々は清純派(口だけ)の人やった……。
そらまあ、池の話読んだ後やと、読む方はただれたエロとかちょっとは期待してまいますけど?
まあ、こちとら、長年出される料理何でもおいしく食べられるように鍛えられてますんで……!
あっ、気が付いたら薬缶のお湯湧かすの忘れてた。
足先から寒いけど心は暖かいていうか……。
いや、やっぱ寒いか……冷えるなあ、秋って。
しゃあないから今からでもコーヒー淹れて、後でロクさんの方にあんま曖昧な言い回し止めてください、てメール送っとこ……。
powered by 小説執筆ツール「notes」
19 回読まれています