【裏話】カヤの設定について
第1話の元ネタに関する裏話に引き続き第2回目の裏話コーナーです。引用元紹介も含めれば3回目でしょうか?
「たぶん自分以外からすればどうでもいいんだろうな~」と思いつつ、ついこだわりたくなるポイントってありません? 好きなキャラを書いているときなんかはなおさらです。誰にも見えない位置にホクロを描き込んでいる絵師みたいな感じです。
というわけで、『オシリスのユメ』でも、読者からはまず気づかれないだろうなと思いつつ、それでもなお外さなかったちょっとしたこだわりをカヤに仕込んであります。もちろんカヤ以外にも(勝手に)こだわっているところはあるのですが、今回はカヤの裏話です。
さて、皆さんは「カヤの魅力って何だろう」と聞かれたら、どう答えますか?
答えはいろいろあると思います。ただ、私なりに一つだけ挙げるとしたら、「あれだけ“超人”に憧れているのに、実はその“超人”をきちんと理解できていなかったところ」が最高にかわいいポイントだと思っています。
ここでいう「超人」は、ざっくり言えば「凡人とは違う、桁外れに優れた支配者/指導者」くらいのイメージで大丈夫です。カヤ本人は、そのイメージに酔っているし、そこを目指しているつもりでもいる。しかし、「じゃあ、その超人像って具体的にどういうものなの?」と突き詰めていくと、彼女自身も実はよくわかっていない。そのズレが、原作カヤの面白さ・危うさにつながっていると思っています。
新人先生としてブルアカ界隈に入門してからというもの、自分で二次創作を書くとしたらそのズレを大事にしたいとずっと考えていました。なので本作のカヤには、「わざと矛盾する思想を抱え込ませる」ことを狙って、少しだけ思想面に“ねじれ”を入れています。
第8話でカヤが名前を挙げる哲学者として、プラトンとニーチェが出てきます。
哲学に少し触れたことのある方ならピンとくると思うのですが、この二人を素朴に並べるのは、かなりのちぐはぐさを含んでいます。
まずプラトンは、「この世界のどこかに、“善”や“正義”のような完璧で普遍的な“かたち(イデア)”が存在している」と考えた人です。私たちが現実で見たり感じたりしている善や正義は、その“本物”の影にすぎず、人間は知性を使ってその本物の善・正義に近づこうと努力すべきだ、と主張しました。ざっくり言えば、「どんな時代や場所でも変わらない“正しさ”があるはずだ、それを目指そう」という立場です。
一方でニーチェは、その「どこかにあるはずの、絶対的で立派な価値」という発想そのものを徹底的に疑った人です。彼から見ると、そうした“絶対の善”や“唯一の正義”は、人間を縛りつけ、現実の生き生きとした「生」を押しつぶすものに見えました。
だからニーチェは、「神は死んだ」という有名な言葉で、そうした“絶対の価値”の権威を壊しにかかります。そして、「他人から与えられた善悪の基準ではなく、自分自身で価値を作り出すような人間」、その理想像として“超人(Übermensch)”という言葉を使いました。ここでの“超人”は、プラトン的な「普遍的な善・正義」を信じてそれに従う人間ではなく、むしろそういったものを批判して乗り越えていく存在です。
つまりざっくり言うと、
プラトン:絶対的な善・正義はどこかにある。それを目指そう。
ニーチェ:そんな絶対の善・正義なんて疑え。自分で価値を作れ。
という感じです。
なので、この二人をどちらもそのまま尊敬するというのは、理屈の上ではほぼ無理筋です。プラトン的なものを持ち上げれば持ち上げるほど、ニーチェからすれば批判すべき対象になっていくし、その逆もまた然りだからです。
では、なぜそんな二人をカヤにくっつけたのか。
私の中のカヤのイメージは思想家というより政治家、もう少し言い換えると「無学ではないが、ものすごく体系的に勉強しているタイプでもない」というイメージです。哲学者の名前やそれらしい雰囲気くらいは知っていそうですが、“筋道立てて一通り勉強した”というより、“使えそうなところだけ直感で拾ってきそう”、みたいな印象があります。
さらに、カヤってちょっとマキャベリズムにも憧れていそうじゃないですか? 「目的のためなら冷酷な手段もやむなし」「大義のために感情を切り捨てられる自分でありたい」みたいな、ちょっと目を離すと“カッコいいと思っている政治思想”を、いいとこ取りで引っ張ってきそうなキャラだと思っています。
そういう人が、「使えそうだ」と思った思想だけを都合よくつまみ食いしていったらどうなるか。たぶん、本人としては一本筋が通っているつもりでも、外から見ると「矛盾してない?」という状態になるだろうな、と想像しました。
そこで本作では、「プラトン的な普遍的正義への憧れ」と、「ニーチェ的な“超人”への憧れ」が、カヤの中で何の整理もされないまま同居している、という形にしています。本人は「どちらも『強い統治者』の話」として一緒くたにしていますが、本来思想としては水と油のはずで、そのねじれこそが本作カヤの背景にあるものです。
まあ17歳なんて周囲の影響受けまくる年頃だろうし、カヤにはさも「一貫してますけど?」みたいな顔して思想ブレブレであってほしい。思想は矛盾しようともカッコよさと情けなさは矛盾しないし、両方持ち合わせたところがカヤの可愛さなんだ……。そういう三位一体を何とかして書きたい、自分の力量だとムズすぎるけど……。
そういうわけで、感想欄で「これ、思想的に矛盾してない?」みたいなツッコミが飛んできたら嬉しいな、と思いながら第8話を投稿しました。
ただ同時に、矛盾を指摘するって、それだけでちょっと角が立ちやすいし、読者側からすると、単なる作者のミスなのか、意図的な仕込みなのか判断しづらいという事情もあるので、誰も言わないままスルーされる可能性も高いよな……とも思っていました。ましてや私の場合、誤字やら描写のミスでしょっちゅう加筆・修正をしているので、いつものミスだと思われそうでしかない。
第8話の感想自体はありがたいことに概ね好意的で、特にそういったツッコミはありませんでした。もし当時から違和感を持っていて、まだ本作を見限らずに読み続けている方がいらっしゃれば、感想で教えてもらえると作者としてはとても嬉しいです。
ちなみに第8話にはまだ話せることがありまして、以前お話しした第1話の元ネタ「千の顔をもつ英雄」を第8話でも再び利用している……なんて事実もあったりします。一応第1話と違う点を一つ挙げるとすれば、第1話が「出立」の章を切り出す形で構成したのに対し、第8話は「出立」「イニシエーション」「帰還」の三要素すべてをなぞる形にした点です。この話も始めると長くなるので今回はここでやめておきます。
今回の裏話は以上です。カヤの話題ひとつでこんなに長くなると思わなんだ。ミノリが一番好きだと思っていたけど、最近はもしかしたらそれすら「カヤの政権を転覆させてほしい」みたいな気持ちがベースにあるんじゃないかと思えてきた。
次の裏話コーナーの話題はまだ決めていませんが、今のところ、“先生”の話題にしようかなと考えています。勘がいい人なら、カヤがプラトンに対応するとすれば、「正義とは」シリーズの“先生”はソフィストに対応するということになんとなく気づいているかもしれませんね。倫理の授業では悪役にされがちなあの人たちです。ストーリーの進行度次第では、ソフィスト関連以外の話題についても書くかも……? もしくはゴルコンダについて書くかもしれません、自分にとって結構思い入れのあるキャラなので。
長々とここまで読んでくださりありがとうございました。今後も『オシリスのユメ』をよろしくお願いいたします。
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