汝、隣人を愛せよ - ローガン+アル

「あのバカがまた勝手に物を入れ替えたんだ。まったくろくなことしないよ」
 ソファーに腰かけたアルが、中空に向かって呪いの言葉を吐いた。ちょうどそのとき正面にいたのがローガンでも、もちろん彼女に悪意はない。彼女が呪いを吐きかけたのは、今はこの場にはいないお調子ものの同居人に対してだ。彼女の代わりに棚の中を探っていたローガンは「そりゃあ、アンタがあちこちにダンスパウダーを隠しているからだろう」と思ったが、思いやりと共に飲み込み、代わりに「ろくでなしはいつもだろう」とだけ返した。
 なぜアルがこうもいら立っていて、ローガンがアルの代わりに探し物をしているのか。かの同居人───ウェイドが、アルの処方薬をどこかにやってしまったらしい。
 チャイムを鳴らして尋ねてきた隣人の「薬を探してちょうだい」の一言に、ローガンもはじめは眉根を寄せた。しかしよくよく話を聞けば、いつもの「薬」とは事情が違った。探しているのは膝に痛みを覚えた際に飲むため、医者から処方されていたまっとうな医薬品だった。日頃は痛みを覚えても別の『まっとうではない』方の薬で誤魔化していたようだが、今回はウェイドが漏れなく回収してしまった後らしく、止むなくその処方薬を飲もうとした。しかしいつも置いていた場所に目当ての鎮痛剤はなく、時間をかけて探そうにも痛みが勝り、ついにローガンに声をかけたということだった。
「あいつは?」
「さあね。ポルノでもレンタルしに行ったんじゃないか」
 薬を常備している棚を探って数分だが、どうも見つかる気配がしない。アルに断ってひとつ隣の棚を引きだしたローガンは、しかし素早く棚を押し込んだ。
「どうしたんだい」
「………………………………いや」
「言っとくけどその棚はあのバカのだよ」
「……そうか、いや、……そうか」
 ほ、と安堵の息を漏らしたローガンに、アルはわずかばかりすまなそうに言った。「何があったか知らないけど、片づけるように言っておくよ」
「ああ……。薬だが、アンタの棚の方にはなさそうだ」
「参ったね。ウォッカは持ってる?」
「……棚と棚の間に隙間がある。動かしてみてもいいか」
「好きにしな。ついでに掃除してウォッカを持ってきてくれると助かるんだが」
「掃除はするが、ウォッカはウェイドに一度聞くべきかな」
「アンタのとこのティーンの小娘とは違うんだ、なんであのバカに聞く必要がある」
「お嬢さん、足あげといてくれ」
 アルが座ったままの一人がけソファーをなるべく親切に後ろへ押し下げ、場所を確保する。揺れ動いた椅子に一瞬身をこわばらせたアルだったが、すぐに「次になめた口きいたら杖でアンタのケツ穴を狙うよ」と脅しかけた。
 軽くはないが重たくもない棚は持ち上げて前へ引き動かすと、霧のように埃が舞った。ローガンがむせながら手を振るのを聞いて、アルも口を手で覆う。棚の間を覗き込むと、元からできていた隙間分、芝生のように敷き詰められた埃と、山のような埃と、いくつかの落し物が見つかった。一番上にあった紙袋は、すでに薄く埃をかぶっていたが、払うまでもなく病院とアルの名前を確認することができた。
「あったぞ」
「ああ、助かった。このブリキ製の膝にはもう我慢ならないよ」
 薬を開けて水を注いだグラスを渡すローガンに、ダメ押しとばかりにアルが「ウォッカ?」と聞く。思わず口端を綻ばせ「いいから飲むんだ」と優しく促せば、本当に我慢がならない痛みだったのだろう、アルもそれ以上は粘らずさっと薬を口に放り込み、ほっと息をついた。アルの手が正しくローテーブルにグラスを置くのを見届け、ローガンはもう一度棚の隙間の前に膝をついた。
 濡れた布でも被せればいくらか埃を抑えられたかと気づいたのは、山から二人の忘れ物を取り出したあとになってからだった。一つは写真で、振れが激しく埃もこびりついてわかりづらかったが、ウェイドとアルの顔が見切れていた。カメラの調子を確認しようと覗き込んで、うっかり撮ってしまったという感じがする。二つ目はボールペン。どこかの慈善団体の名前が刻まれている。三つ目は爪切りで、あとはクリップと壊れたファスナーの取っ手とボトルのキャップなど。ついでに弾丸二つも見つけたが、少し悩んだ末、そっとポケットにしまいこんだ。
 埃の山から採掘を終え、床に降り積もってこびりついた埃をどうしようかと悩んでいたとき、ローガンはふと棚の隅に手を伸ばした、動かしていない方の棚の、壁と棚が接する角が丸く盛り上がっている。床から伸びる丸い線にまたペンの類かと思ったが、指に触れた先端はつるりと丸く、ローガンに揺り動かされたことで一息に埃の山が崩れ去った。
「あー、アル……」
 ローガンはそれを手に、そっと立ち上がった。埃は息を吐きかけると簡単に払い落とせた。長さはローガンの掌に収まるほどで、直径は1インチにも満たないが存在感がある風合いをしている。
「またウェイドのおもちゃが見つかった?」
「いや。違う……」
 表面の艶には曇りができているが、深みのある赤味がかった木目はつるりとして肌触りがいい。すぐに質のいいマホガニー製だと察せられた。キャップになっている上部の腰には、やはり赤味のあるレザーが太いベルトのように巻かれている。平たい頂点と底辺は真鍮で、特徴的な紋章だろうマークが彫られていた。捻って開けたキャップからは、ローガンの予想通りのものが収まっていた。
「その、この葉巻は誰のものだ……?」
「葉巻? …………ああ、そういえばそんなものあったね。引っ越し時になくなったかと思ってたけど、まだあったか」
 アルが差し出す手に、ローガンがシガーケースを握らせる。吸い口も作られていない、金色で印刷されたシガーリングもそのまま。震えこそしなかったが、ローガンの手には力がこもっていた。まさかアメリカの古びた集合住宅の埃積もった棚の隙間から、極上の葉巻が極上のシガーケースに入って出てくるとは露ほども思わないだろう。
「もらいものさ。いつだったか? 忘れるくらい前にもらったんだよ」
「………」
 ローガンはアルの手の中でくるくると様子を探られる葉巻を見つめていた。黙ったっきり、身じろぎもしないローガンに、アルは不意に葉巻を突き返す。
「欲しけりゃやるよ」
 はっ、とローガンは息を呑んだ。「いいのか?」
「なんだい、アンタもそんな浮かれた声出せるんだね。いつもどん底這うような声出すくせに」
「いや………プレゼントなんだろう、アンタへの。俺が貰っていいのか」
 葉巻好きのローガンにすれば、それはちょっと顔見知っただけの人間に渡す気軽なプレゼントにはなり得ないものだとわかる。よほどの大富豪か、物の価値を知らないやつでなければ。価値相応の思い出が備わっていてもおかしくない。
「さあね、それをくれた男の声と話に覚えはあるけど、語って聞かせるほどのものはないよ」
「……………」
「あんたがいらないなら、ちょうどいい。売り飛ばすか、粉をまぶして吸うから吸い口を作ってちょうだい」
「……粉は、ウェイドに見つけ次第取り上げるように言われてる」
「残念だね、次の粉の隠し場所は言わないよ。……代わりに取引だ、それをやるから、次に見る粉のことは黙ってな」
 言って、ローガンは肩を下げた。確かに、彼女はお嬢さんと呼ぶにはあまりに人をやり込めることに慣れている。ひねくれた物言いだが、宥めるように諭す声色には「はい」と頷かされる穏やかな圧力すらある。
 ローガンはシガーケースを受け取り、差し出すアルの手ごと握りこんだ。
「………ありがとう、アル」
 肩を竦めて、アルは続けた。
「ウォッカと取引すればよかった」


 高らかに帰宅を告げてドアを突き破ってきたウェイドは、部屋に入るなりピタリと動きを止めて「あれ? 誰か来た?」と声色を沈めたが、アルに鎮痛剤をなくしたことのクレームを受けて事態を把握すると「あら優しいウルヴィ~」と騒々しくキッチンを荒らし始めた。ガサガサという紙袋の音から、買い物に出ていたらしい。一緒にただよう香ばしいにおいから、昼は近くの中華料理のテイクアウトにしたようだ。
「薬は俺じゃなくてアルだぜ、俺本当に知らねえもん」
「いいやお前だね。……それにしても、随分趣味のいい子猫を拾って来たね」
「……急に何の話? 鎮痛薬で記憶混濁してる?」
 ゴトン、と缶詰の音が重たく響く。
「趣味がいいついでに愛嬌もある。声もセクシーだ。アンタにはもったいないから、あたしがもらおうか」
 アルがそこまでいうと、一度は閉めたドアをぶち破り、ウェイドは半身を部屋の中に残して廊下に向かって叫んだ。それから、ソファーでくつろぐアルにも怒鳴りつける。
「ちょっとローガン?! この薬物中毒ババアにどんなセックスアピールかましたんだよ!! やだね! 絶対にやらない! 俺たちはケチャップ・アンド・マスタードでプリキュアになるんだ、ババアは日曜朝九時にそれをおとなしくテレビの前で見てろ!!」
「うるせえぞウェイド!!」
 廊下からの怒号に、アルはかすかに笑みを浮かべた。遠からず響く地を這う低音が、燻る煙の音を纏っている。
「何笑ってんのさ!」
「ウェイド!!」



@amldawn

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