当たりくじ


行楽日和に晴天の下、オレと四草はなぜか不動産屋の車に乗っていた。
ブロロロロ、と面白みのないエンジン音の車の窓を開けると、入って来るのは排気ガスではなく五月の風。
車は梅田の市街地を抜け、郊外に向かって、道沿いに並ぶ花水木が紅白に彩る中を走っていく。
手狭になってきたアパートを出て、新しい部屋を探そうという話が出た時に、四草の子がそのまま弟子になるなら、借家がええやろ、という話になった。いい不動産屋がないかと近所に聞いてみた時に、散髪屋さんの組合を間に挟んで磯七さんに教えてもらったのがこの店だ。
目当ての物件は郊外にある。日暮亭に通うには電車と車、両方の選択肢が選べる場所で、なるべく安く、というこちらからの条件に、こちらはどないですか、と提示されたのはリカちゃんハウスのような洒落た洋館だった。うちとは全然違うが、庭は広く、離れは追って増設出来ると言う。
「まんじゅうこわい、て話でも、人が集まれば十人十色て言いますけど、うちの店も、お客様のご予算に合わせて、せめて十軒の選択肢の中から、うっとこの土地家屋を選んでもらえるような物件にしとこ、て言うので、今はご購入前後のリフォーム工事に力入れてますのや。」と運転中の不動産屋のおっさんが言う。
こういうタクシー運転手、昔はようけおったな。
運転しとる時くらい、ちっとは口を閉じておられへんのかと思うが、オレが聴く限り、相手もほぼ、この大阪で生まれ育ったおっさんである。
仏壇屋のおばはんや床屋の磯村屋のおっさんと同じくらいしゃべりの速度が早い。
泳ぎを止めたら死んでしまう魚、あれなんやったかな。
マグロか。
客商売やっとる大阪の人間は、マグロそっくりやないと生き残れないというジンクスでもあるんか。
まあ、そういうのは話を聞いてもらうのが商売の人間が言う言葉でもないな、と思って聞き流していると、相手が聞いていると思ってますます興が乗るタイプと、相槌がないと上手く話せんようになって、ラジオ付けますか、と聞いてくる二通りのタイプが多かった。
落語家と思って話しかけて来るタイプにはろくな人間はおらんけど、そうではないとしても、相手の選ぶ話題が、毎回面白みのある話とも限らん。
タクシーに乗るのが面倒になったオレは、すぐに稼いだ金で教習所に通って、今はもう手放してしまった、初めてのスーパーカーを手に入れた。
昔の話や。
勉強嫌いだったオレが良くもまあ教習所の座学に我慢出来たもんやと思うが、あれはまあ、ほとんど草々のおかげやろうな。
三年の内弟子修行の年季が明ける頃には、もう草々とオレの落語の持ちネタの多寡の勝負はほとんど決着が付いたも同然で、オレがもたもたと子褒めと時うどんで躓いている間、あいつはせっせと、草原兄さんの後ろで聞いていた胴乱の幸助をさらっていた。
『犬がワンワンワン』『さあてどっちどつく、どっちどつく』と舌がもつれて上手くいかないのか、そこばかりを何度か壊れたテープのように繰り返しては、さあものにしたとばかりに次の場面に移っていく様子が、薄い壁を通して隣の部屋から聞こえて来る。
オレはどこへも行けないので、銭湯でなるべく長居をして、部屋に戻ってすぐ寝てしまう作戦にした。習った噺は夜におさらいしておかないと次の日に忘れてしまうとは分かっていたが、同じ年で兄弟子面をしている男が、落語家としてオレより才能があり、出来が良い男であるという事実に毎朝、毎晩、打ちのめされない日はなかった。
あの時期も、結局朝は草々が五分早く起きて「小草若、先掃除行くで、お前も早く来い。」とオレにドア越しに声を掛けるのだ。五分寝たる、と思って寝坊して草原兄さんに叱られる。オヤジとおかんが師匠とおかみさんになってしまうのは弟子入り前から覚悟してたけど、草原兄さんのお気に入りの座まで取られてしまうとは思わなかった。うちに弟子入りして以来、オレはずっと、師匠の一人息子として、あの人に仁志、仁志、と可愛がられて、草々が来るまではずっとオレだけの兄さんやったんや。
隣の部屋から聞こえて来る草々の稽古の声は、声変わりを終えたばかりの様子でも朗々としていて明るく、毎日どうにかなりそうだった。内弟子修行を終えた頃には漸く隣の部屋から解放されると思った時には、この先も貧乏が続くと分かっていたけど、本当に嬉しかった。
ガッコの勉強はもう懲り懲りやとあれほど思っていたのに、教習所の座学にせっせと通って、高速道路の路上教習を受けて試験に一発合格したのは、草々に出来んことでオレに出来ることが欲しかったからや。何でも良かった。落語以外でも。
コイツの顔を見たないな、という夜でも四草に運転を任せるようになったのは、免許を持つ前の時代に、そもそもタクシーに乗ること自体が気詰まりになっていたことが大きい。

草若師匠の落語、聞いてますで。
息子のあんさんもよう精進せんと。

オヤジの落語を褒められてるのを聞くのが好きやった子どもは、あの頃に消えて無うなってしまった。
「……なんです。」四草が目ざとくため息を聞き咎める。
「何でもない。」
不動産屋のおっちゃんというが、オレや四草と同世代かちょい上か下、というところだろう。ハゲ頭は年がいってるように見えるが、実はそうでもない。
「――うちはそれでいつも火の車になってんですけどな、地元の工務店も潤う、お客さんに気に入って長くいて貰えればうちも嬉しい、お客さんも嬉しいていうので、こういうのを三方良しと言うんですやろな。」
「そうやと思います。それにしても、こんな物件を月三万て、ええんですか。」
この値段では、上物があるとはいえ、固定資産税にもならんやろうというくらいはいくら土地の価格に疎いオレにも分かる。もっと有り難い顔をした方がええやろとも思うが、最近の写真の加工技術は大したもんや、家の実物を見ないことにはどうにも判断は付かない。
破格の条件を提示してもらったとはいえ、こういう時に何の相槌を打つでもなかった四草が、逆にこうしてなけなしの社交性を発揮しているところを見ると、時が経つのは早いもんや。
まあ、ここ二年ほど、PTAのおばちゃんらに揉まれて来たせいもあるやろうけどな。
「いやあ、うちのオヤジがずっと三代目草若はんのファンでしてな。例の高座のすっぽかし事件の後も、あの草若が落語を捨てるなんてありえへん、絶対復帰する、の一点張りで。心臓の手術で入院してる間も、術後も毎日毎日、CD順番に掛けて、オレの目の黒いうちは復帰を待っとるでぇ、言うて。有難いことに間に合って、寝床寄席にも何回か寄らせていただきました。」
滔々と話されるその内容にオレはぽかんとした。
「お父さん、もう亡くならはったんですか。」とオレが口を挟むと、四草が(僕が昨日の晩に話したでしょう)と小声で耳打ちしてくる。
おちびをどっちの弟子にするかで揉めとる時に不動産屋のおっさんの話をしたかて覚えてられるかいな。
「ほんとそれですわ。師匠の訃報をワタシ新聞で見て、『オヤジ、草若はんが…!』って知らせに行ったその朝に……母親は先だってますが、もし生きてたら、あんた誰と連れ添ったつもりなん、て呆れてたと思いますわ。」
ハハハと笑って頭を叩くおっさんの禿頭を見ていたら、何かが頭の隅に閃いた。
寝床寄席をしていた頃、かぶりつきの席で、オヤジの落語を泣きながら聞いてた、痩せた爺さんの隣に、この頭が光り輝いていた。
「もしかして車椅子の……?」
「ああ、覚えてくれはりましたか。あんときは、ほんまに、その場にいらしてた周りの方にも優しゅうしていただきまして。一門会が寝床寄席から天狗座に変わってからは、よう足を運ぶこともままなりませんでしたが、あの頃に前の方の席譲っていただいたの、えらい喜んでましてな。ワタシが隣にいたっちゅうのも忘れて、後で何度となく話してくれましたわ。若狭ちゃんが出て来てから二度目、三度目くらいの寝床寄席で、三代目草若の復活に間に合ったァちゅうて。」
そういうファンが、オヤジには多くいたな、と懐かしく思い出していると、隣の四草が、オレのサングラスを借りたいような顔つきになっている。
「三代目、さいぜんよう愛宕山掛けてはりましたなあ。今日は、ほんま、野駆けにいい天気で。」
「そうですね。」
「……今から行く家、草若邸の日本風とは違ってすんませんけど、長いこと手入れしとらん庭に、今は蓮華草とタンポポが生い茂ってましてな。もしうちのオヤジが生きてたら、四代目の草若にここはどうや、と言ったかもしれへんなと。」
「ありがとうございます。」とオレが頭を下げる隣で、四草がオレの手を握ってきた。そこに決めようという仕草か、ただオレの手を握りたいような気持ちになったのか。
なあ、オレとお前がその家を気にいるか、一丁賭けてみるか。そんな野暮を言いそうになって、口を閉じる。
車窓から五月の風が吹いてくる。いい縁に当たったのなら、家もきっと当たりくじだろう、オレはそんな風に思った。

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