秋風が立つ
山鳥毛が一文字と極められたとき、周りの反応に深刻さは欠片もなかった。気遣い屋の五虎退や謙信景光ですら今日の天気の話をするときと同じ調子だったのだから、他の上杉の刀たちの反応など推して知るべしだ。確かに長船兼光作だろうと一文字派の作だろうと山鳥毛が上杉の刀であることが変わるわけでもなし、謙信公の御世から三百年以上付き合いのある重宝たちが気にしないのも当然のことだった。
むしろみな、山鳥毛の生みの刀工が変わったことよりも姫鶴一文字と兄弟刀だったことを面白がっている風だった。本当に兄弟だったのか、というのが大勢の感想だった。何しろ山鳥毛と姫鶴は謙信公の時代からともに過ごし、同じ合口拵、同じ景勝公の上秘蔵、鳥を冠する号と来て、そのせいかもしれないが装束も見目も似ているところが多かった。髪の先はふたりとも鳥の羽を模し、装束も白か黒かの違いしかなかった。つまりさんざっぱら兄弟のようだと言われていたのが本当に同派だったわけで、開口一番いよいよついに姫鶴と兄弟になったのかと笑われることの方が多かった。
さて、周りはのんき、というより酒の肴としか思っていないが、山鳥毛の方は姫鶴に何と言ったものかと迷っていた。同家の他の一文字にはよろしく頼むと挨拶し、向こうもあっさり受け入れて終わったのだが、姫鶴を相手にするとなると、どうも挨拶をするのも座りが悪かった。だが何も言わないのはさらに気持ちが悪い。
だいたい、あらためて兄弟であるというのも奇妙なものだった。山鳥毛にとって姫鶴は同じ家を支える同志であり、兄弟以上の近さを感じていた。長船派は放任主義だから兼光の太刀とされる山鳥毛にとっての拠り所は刀派よりも伝来した家だった。生まれよりも育ちであると山鳥毛は自身に長年言い聞かせ続けていた。
懐手で思案しながら庭を歩いていると姫鶴が目に止まった。滝口の石に座って足先で水をかいている。紅葉した木々が姫鶴の頭上から枝垂れて、まるで錦の衣をかずいているようだった。
「姫鶴」
「ん、ああ、ちょも……」
声はかけたものの腹づもりが定まっておらず言葉に窮した。無言で歩み寄る山鳥毛に姫鶴は「一文字だったんだって?」と言った。
「ああ。そう、極められた」
「ふーん……」
それだけ言ってまた頬杖をついてあらぬ方向に視線をやる。姫鶴と同じ石に座ったらちょうど背を向ける形になった。
「君はどう思う? 私が一文字かどうか」
「そういうことならそうなんじゃない? なに、本当はいや?」
「そういうわけじゃないさ。そうだな、光栄なことだ」
「いやならいやって言っといた方がいい」
「嫌じゃない、本当だ」
どうしたらいいのかわからないのだ。謙信公の御代から兼光として伝わっているのでそういうことになっていたが、少々刀に詳しければ山鳥毛の産みの刀工が兼光ではないということは明らかだったのだ。
「そんな光栄に思うもんじゃないし……」
「一文字か?」
「そう。重いし暑苦しいっていうかぁ……」
つねづね姫鶴はそう愚痴っていた。一文字という刀派は他の刀派に比べて結束が強いようだったが、姫鶴からするとどうもそれが堅苦しく思えるらしい。
「私も挨拶にうかがわねばな」
「えー、やめなよぉ」
「日光くんに道誉くんか、どんな刀なのだろうな」
「ぜんっぜん面白くないから」
声だけでも眉間に皺が寄った想像ができて山鳥毛は笑った。
「姫」
「その呼び方やめて」
間髪入れず遮られてまた笑った。
山鳥毛という号は山鳥毛が物心ついたときから与えられていたものなので、自我を持ってから号を持つ感覚というものには理解しづらいところがあった。姫鶴にとってはなかなか不本意なものだったらしく、姫鶴なら答えてくれるが姫と呼んだら一発お見舞いされる。小ぶりという意味での「姫」もあるが、それを山鳥毛が言ったら立ち上がれないくらいぼこぼこにされるので口が裂けても言えない。山鳥毛より小ぶりで細身なことを姫鶴が多少気にしていることは、本刃は口が裂けても言わないが知っていた。
「君は、突然変わってしまうのはどんな気分だった?」
「別にぃ? 磨り上げやがったらブン殴ってたけどぉ」
「あのときは大変だったな……」
面倒くさがった古馴染みどもは荒れる姫鶴を山鳥毛に押しつけたのだ。あんまり大変だったので、ことが終わってから山鳥毛は全員に酒を献上させたものだ。
「だってごことけんけんがだめってさぁ」
「結果的にうまくいっただろう」
「だからって姫ぇ……?」
やはり不満は不満らしい。
水の流れる音が断続的に響いている。脇に目をやると姫鶴の髪が石から垂れて地面に落ちていた。付喪神なので汚れるわけでもないのだが、すくって石に乗せてやる。石に広がる髪は山鳥毛のものとも混じって金と銀の羽が散らばっているようだ。
ずっと、上杉の山鳥毛と姫鶴だった。それだけだった。それ以外なかった。
「ちょもは上杉の刀だよ」
「……当たり前だ」
「一文字でも兼光でも、うちの刀だよ」
紅葉は滝を流れ落ち、水路をゆっくりと揺蕩っていく。赤や黄色の大小様々な葉が流れ、停滞し、また流れる。
一文字は無銘のものや伝承や号や山鳥毛のように鑑定で決まるものも多い。一家というあり方は産土の不確かさを補うためなのだろう。当事者になって山鳥毛は実感した。
銘一、姫鶴一文字。
「そうだな、私は、上杉の刀だよ」
三百年で初めて、歯がゆい気持ちを飲みこんだ。
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