海鳥


ポポッポポー、ポー、ポポッポポー、ポポッポポー。
雲雀がピーチクパーチクさえずっていようかという陽気の中、テンションが下がるばかりの土鳩の鳴く音が聞こえて来た。
土鳩、どこにでもおんなあ……小浜て、土鳩より海鳥のが多いんとちゃうか……?
そんでも、久しぶりに、先のこととか考えずに、ぐっすり寝てしもたな。
のそのそと布団の上でうつ伏せになって手を伸ばす。部屋の主が置いてくれた目覚ましが、この辺のどこかに……「あった。」
指先に触れた時計を取って顔の前に翳して、目を薄く開けて時間を確認した。
7時過ぎるちょっと前か。
五木ひろしがふるさと歌って、ワタシ、帰ります、てマネージャーと一緒に東京に戻ってから、12時間以上も経ってるてことかいな。
それにしたって、底抜けに朝早いで。
喜代美ちゃんのとこの……正平くんか、あの子が下宿で着替えて来る、言うてさっさと出て行った後で、1時間ほど寝てたな。
よう寝た、とも言えんから、もうちょっと寝ててええような気がするけど、下降りてってもええのんか? 昨日の片付けもあるし……今のオレ、どうせ酒臭いやろうから、シャワー浴びて着替えしたいけど、起きるにしても、着替え、宿に置いたっきりやんか。
どうしたら正解なんやろな。そもそも、宿の方も一週間前払いにはしてあるけど、今日までのチェックアウトやったか、明日までやったか。
財布に領収書入ってんのに、確認すんのが面倒い。
そもそも、オレの財布、今どこや……壁に掛けたコートのポケットか?
いや、枕元に置いた服の上……ないな。
やっぱコートか。
うーん……頭回ってへんな、コレ。
また喜代美ちゃんのお父さんと正平くんとちょっと飲んで。二日酔いで頭がなんや変な感じになってる気ぃするな。
そんでも、昨日からほんま、ぐっすりていうか、二日酔いとちゃうかったらもっと有難いんやけどな。
前にここに寄せてもろたのが、草々と喜代美ちゃんが結婚した96年の3月で、今が2002年やから、あれからもう6年ぶりか。
洗濯物ならともかく、四草とこのあの部屋では、もう向かいが天狗座で外に布団干すどころとちゃうかったし、前に来た時は押し入れの一番奥の布団で、ここんとこはずっと木賃宿みたいなのに泊ってたからな。
お日さんの匂いのする布団で寝たのなんか、ほんま何年ぶりや。ぬくいし、ホッとするなあ。
四草のとこに置いて来たオレの布団、今どないなってんのかな……あんなん、質入れも出来ん安物やし、とっくに捨てられてしもたかも分からへんな。
あ、なんや下から物音聞こえて来た。



(この下、表の店舗部分だけやのうて、台所もあるみたいやな……。)
味噌汁作ってんのかな、と聞くともなしに包丁の音を聞いてたら、台所で話し込んでる喜代美ちゃんと喜代美ちゃんのお母さんの声が聞こえて来た。
日本家屋て、ほんとになんでこないに何でも筒抜けになってまうんや。まあ、木で出来てんねんから当然やねんけど。
「そういえば、あんたらぁ、今日は何時の電車で帰るつもり?」
「時間は決めてないけど、何で?」
「今日、ほら、竹谷さんの、」とそこまで言って、喜代美ちゃんのおかあちゃんの言葉が途切れた。
「あーーー! 定期便の日、もしかして今日なん!? お金ないからそない出来たら助かるわ!」
大きい、底抜けに声が大きいで、喜代美ちゃん!
小草若ちゃんにも筒抜けやで!
あの強面のお父ちゃん「うるさいでぇ~、キヨミィ~。」言うて、あのちっこい作業場からゴジラみたいにのしのし歩いて来るんとちゃうか?
階下からは「今週のいつかは、最近不定期になってるみたいやからわからんけどぉ、もし今日なら今から竹谷さんに連絡して、二階行って小草若ちゃん起こせば間に合うと思うんや。おかあちゃん、ちょっと見て来ようか?」と聞こえて来て、慌てて着替えようと思って起き上がったタイミングで、喜代美ちゃんの、「おかあちゃん、ちょっと待って。」という小さな声が聞こえて来た。
「素直に頼んますぅ、言うたらええやん。」
「昨日の今日やし、私もそない思うんやけど、今回ばかりは小草若兄さんが帰りたい、て思ったタイミングに帰った方がええんと違うかな、て思ってて。」
「あんた、そんな風に油断してコソージャクちゃんが、またフラフラ~っとどっか行ってしもたらどないすんの。草々さんえらいガッカリするで。」
そやろなあ、……まあ喜代美ちゃんのおかあちゃんやから、オレより草々の味方っちゅうか。
こんなことなら、下の座敷でそのまま寝かせてもろた方が良かったんかもなあ。着替えて布団畳んで、そろそろ出てく準備しておいた方がええなと考えてたら、喜代美ちゃんの声が聞こえて来た。
「……それは、もうないと思うけど。」と言う言葉に被せるように、いやあ、とおかあちゃんの声が聞こえて来た。
しゃあないなあ、もう起きた方がええやろなあて思うけど、流石にこのタイミングはあかんか……。
しっかし、そんなん言われてしもたら、顔合わせ辛いで。
ああ、しもた、階下から、くつくつと味噌汁の音が聞こえて来た。
それだけで、昨日あんだけ食べさしてもろたって言うのに、もう腹が減って来てしもた。
でっかい腹の音したら、なんぼなんでもオレが起きてるて下の皆に気付かれてしまう。
気ぃ付かんのは、工房で仕事してる喜代美ちゃんのお父ちゃんくらいのもんや。
魚屋食堂ならもう開いてるやろうけど、この家、ドラマの間男みたいな真似出来る間取りとちゃうからなあ。
「小草若ちゃん、一晩明けて頭すっきりしたら、『昨日は勢いで帰る、て言うてしもうたけど、やっぱどないしよ~!』てなってるかもしれへんで。」て声が聞こえて来てずっこけそうになった。
喜代美ちゃんのおかあちゃん、流石やな。喜代美ちゃんのことを長いこと見てただけに、根性ナシの人間の性根のこと、よくわかってるで。
「ま~た、おかあちゃんは……。そこまで心配せえへんでも。高校生の頃の私とちゃうんやから。小草若兄さんて、草々兄さんと年変わらんのやで、もうそろそろ四十近いて言うのに、それはないやろ。」
き、喜代美ちゃ~ん。
今の、底抜けにズキッと来たで……まあ、そもそもオレがいい年して落語家辞める、言うてあっちフラフラ、こっち~フラフラしてたわけやけどな。
この年で自分探して、大学生かっちゅうねん。
オヤジなんか、晩婚て言われてはいるけど、今のオレの年でオレがいてたっちゅう話で……。親の名前を継ぐのが重責で逃げた、なんて、どない取り繕っても人生の黒歴史っちゅうか。
「昨日あんだけ、生き生きと落語してはったんやから、小草若兄さん、ちゃんと帰るわって言いなると思う。」
喜代美ちゃん、フォローありがとうな……。
一遍なくしてしもた信頼を取り戻すんは、ほんま、並大抵のことやないんやろうな。それを、これからは、向き合うことから逃げてた落語の稽古と合わせてやっていく必要があるわけで。
他の人間が、入門後の年数をただ数えて落語家生活何十周年、ていうのを横目に、オレはほんま……て、良く考えたら、うちの一門て、師匠のせいで、ほとんど喜代美ちゃん除いて皆ソレやんけ!
いや、皆オレと違うからなあ…三年くらいのブランクものともせずに落語頑張って…あの草原兄さんも底抜けにぎゃんばってて……。ほんま、オヤジのヤツ、なんであないな時に死んだんや……これからやったやないか。
勝手にしんみりしてたら、「うちも、それはないと思いますで。」と小梅師匠の声が聞こえて来た。
あ、小梅師匠!
「おばあちゃん、おはよう。」
「お義母さん、おはようございますぅ。」
小梅師匠が起きて来たんなら、観念してオレも起きるしかないなあ。こういうのは、勢いやからな。草々や草原兄さん、それに……アイツの顔、久しぶりに見たら、泣いてしまうかも分からへん。草々のヤツに、うちの枝折戸くぐった途端にケツしばかれたらどないしよ……。
いや、今からくよくよ考えてもしゃあないな。
今、ここにおる皆の顔見て、オレはこれから落語家として再出発したいんや、て言ってみるか。
ちゃんと、ここで練習させてもろてから、喜代美ちゃんとふたりで大阪に帰ろう。


気が付いたら、土鳩の声は消えて、どこか遠くから、かもめの声が聞こえて来る。
「小草若兄さん、ご飯ですよ!」
喜代美ちゃんの声に、「今行くで。」と返事をした。
窓の外には、明るい青が見えた。
小浜、落ち着いたらまた戻って来たいな。
オレにとっても、ここが二つ目のふるさとみたいなもんやし。
小さいの字が取れるようになっても、そうでなくても。はてなの茶碗を、もっともっと稽古して、戻って来るで。
うん、そないしよ。

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