ただのデート(あるいは羽の季節に君に会うこと)

(夏イベ大統領特異点の渚の喫茶店エリアが舞台)

 会いに行こう、と決めたものの、用事はない。
 長い付き合いだからたいした用事がなくてもいつ行くか程度を伝えておけば問題ない。ただほんとうに長い付き合いだったのかと思い返すとよくわからない。駆け抜けるほどの、と装飾する必要があるほど短くはないが、別にギルガメッシュの生涯のうちで特別長くすごしたという感じもしない。エルキドゥのほうには、その稼働時間のほとんどずっと一緒にいたという感覚があるだろうから、それに合わせてやっている気もする。合わせる必要があるのかは考えたこともなかった。
 夏の郷愁を模した観光島にある、数十年前の海辺の街を再現したエリア。エリア全体がメソポタミアの大地母神ティアマトの管轄となっており、いろいろあって特異点の原因が除かれたあとも、彼女は渚の喫茶店で働いている。夢から完全にさめるまでのまどろみの時間をエルキドゥは喫茶店を手伝って過ごすことにしたようだった。観光島のあちこちを遊び回っていたギルガメッシュは、渚の喫茶店にだけは近づかなかった。神話体系をおなじくする、はっきりと己と繋がりがある創造の女神と会うのは面倒だったし、特に楽しくもない。会ってしまったら無視するわけにもいかないし、そうはいっても親しみや情もないし、それはむこうも同じだろうけれど、そうでありながらティアマトのほうは生命の母としての役割からこちらに構おうとしてくる。そういう役目から降りられない神の姿は飽きるほど見てきたし、飽きていた。どこかゆがんだ鏡で自分自身を見ているような気分になる。
 たまには会いたいかも。という、つまりそれは何なんだ、会いに行くというのか会いに来いというのかどっちなんだよ、という友ではければ確実に機嫌を悪くしたであろうメッセージがギルガメッシュに届いたのは早朝で、軽く苛つきながらもすぐにエルキドゥに返事を出したのが朝食前だった。
 バスが海辺についたのは昼過ぎだった。夏の郷愁の島は、すでに夢がほどけている。夏の終わりというのは他の季節と違って隠しようのない使い古された空気がある。夏に飽き、暑さに飽き、汗に飽き、陽射しは色褪せ、世界は弛緩している。バス停の近くで温かい缶コーヒーをふたつ買う。海も、夏の海という演技に疲れて、ひっそりと休んでいるように思える。空気は冷えており、ギルガメッシュも長袖のシャツのうえに薄手の上着を羽織っている。
「ギル、こっちこっち」
 緩い傾斜がある道を進んだ先にある公園入り口でエルキドゥが、ギルガメッシュをみつけて手を持ち上げた。長い髪をお団子型に結い、鮮やかで深い橙色のニットワンピースに黒いブーツを合わせていた。やはり夏はもう終わり、ずいぶんと長持ちしたこの夢も消えるのだろう。エルキドゥの左手の人差し指には、細長い鳥の羽根を象ったゴールドのフェザーリングがはまっていて、ギルガメッシュはめずらしいな、と思った。
 ギルガメッシュの隣を歩き出すなり、食事は、とエルキドゥはいつも通りの穏やかな調子で言う。海辺の公園には遊具や散歩道の他、展望デッキがある。
「食べていない」
「じゃあ、ちょうどいいや」
 エルキドゥが持っていた紙袋を持ち上げた。食べ物を持ってきたから一緒に食べよう、という誘いだと理解して、軽くうなずく。
 街を見渡せる展望デッキの近くにはテーブルベンチがあった。具体的にどこというわけではない、中央から遠く離れた海辺の街。おそらくはこの公園はかつての地方政治の中心地である小さな城でもあったのだろう。すべて、そういう設定で作られただけの仮初めの地ではあるが、穏やかな陽射しを浴びた街の上空を海鳥らしき頭の丸い鳥たちが群れをなして飛んでいるのを眺めていると、よくできているな、と思う。
 紙袋から素っ気ない食品用タッパーがいくつか出てくる。
「お弁当、つくったから」
 エルキドゥは持参した弁当を広げた。切り干し大根とにんじんとちくわの炊き込みご飯おにぎり。甘じょっぱい卵焼き、塩麹を使った唐揚げ。白菜の浅漬け。ひとつひとつ薄皮を剥いたグレープフルーツ。
「……なんだこれ」
「なんだこれって、お弁当。外で食べやすいものをティアマトに教えてもらったから」
 あの女神、なにやってんだ。手の込んだ携行食を作りたがるのはいまのティアマトの趣味のようなものだが、それにエルキドゥが合わせてやっているのだろうか。でもそれならば、女神の作った弁当を持ってくるはずで、エルキドゥが作る必要はない。そもそも、友は食への関心が薄い。人間の食事について理解はしているし、食文化への敬意もあるが、自分で積極的に料理をしたがったり、食事を求めたりすることはめったにない。おそらくはギルガメッシュとの共有できる遊びのようなものとして認識しているはずだ。
 ギルガメッシュがポケットから缶コーヒーを出すと、嬉しそうにひとつ手に取り、あたたかいねと微笑む。
 いただきます、とエルキドゥが食べ始めるので、ギルガメッシュも弁当に手を伸ばす。おにぎりを食べながら、手すりのむこうに広がるブルーグレーの海と街を眺める。木々はすでに鮮やかに色づきはじめている。奥深い緋色の葉、黄金の輝きを留める葉。風が吹くと色彩のかけらがまたたく星のようにちかちかと揺れる。透明な針に似た真夏の陽射しはほどけ、ひらめく葉の季節となっている。きっともうすぐ更に絢爛に葉は染まるだろう。風は冬の気配を忍ばせ、西日を受けて樹木の隙間を埋めるように惜しみなく色彩が降る。鮮やかな夏と艶やかな冬のはざまで、この街は消えるはずだ。
「おいしい?」
「……まあまあだな」
 唐揚げを飲み込み、ギルガメッシュは答える。ほんとうに、それ以外の感想が浮かばなかった。絶賛するほどうまいわけでもなく、茶化して貶すほどまずくもない。褒める必要性も感じないし、あれこれ文句をつけるような気分にもなれない。もっとうまいものは当然いくらでもあるが、外で食べる食事としては充分だとも思う。漫画みたいに大袈裟にまずいといこともなく、適切な材料を手順通りに作ればこうなるだろうというものしかない。あえていえば卵焼きがきれいに巻けているなとは思ったが、言うほどのことでもなかった。いちばん、感想に困る。
「よかった」
 エルキドゥの顔にじわっと朱が差し、口もとからあふれそうな笑顔をてのひらで押さえて慎ましく笑う。なにがそんなに嬉しいのかギルガメッシュにはよくわからないが、エルキドゥが大いに喜んでいることはわかる。よかったな、と少しずれた相槌を打った。
 弁当を食べ終わると、海のあたりまで行こうか、とエルキドゥが言う。公園を出て、こぢんまりとした市街地を抜け、海沿いの道を歩く。あそこが渚の喫茶店、とエルキドゥが指さす先には、青っぽい外観でまとまった小さな建物がある。
「あれの手伝いをしているのではなかったのか?」
「そうだけど、もうお客さんも少ないし、今日はお昼休みをもらった」
 海風に乗って、鋭い鳴き声が届く。海上を滑るように飛ぶ白い鳥が鳴いていた。
「なにを騒いでいるのやら」
 ギルガメッシュは返事を求めていたわけではなかったが、エルキドゥは白い鳥をしばらく目で追って言う。
「帰ってこれたって」
「帰って?」
「渡り鳥みたいだね、寒くなると他の土地からやってくる。今年も帰ってこれたことを喜んでいるし、誇っているみたいだ」
 鳥の言葉なんてわからないギルガメッシュは、ふうん、とぼんやりした相槌を打つ。人間以外のいきものが何をどう感じているかなど心の底からどうでもいいのだが、エルキドゥはときどきふわふわと鳥や獣を目で追い、その声を聞いているときがある。遠い昔のことではあるが、エルキドゥが街を歩く猫たちのにゃあにゃあという鳴き声に腹を抱えて笑っていたことがあって、なにかおもしろい話なのだろうと察することはできたが、誰も猫の言葉など知らないものだからひとりで勝手に笑い転げているようで少し怖かった。
 こういうとき、自分の隣にいるものは、自分と違うのだと強く感じる。徹底的に、どこまでも、他者であり他人である。それでいい。自分とこいつは他人でなくてはならない。誰も自分と同じものと友とはなれないのだから、他より範疇が広いギルガメッシュにとっては完全な別のものでなくてはいけない。友情のために。
 たどりついた海岸は、たっぷりと海水を含んだ砂が絹のような光沢を放っていた。空一面にひろがる薄い雲が太陽の光を拡散させて、この世界のすべてに鈍い銀色を落としている。白っぽい眩い空と青鈍色の海が彼方で交わる。かぎりある世界の、ありえないどこか彼方で。
 鳥が鳴く。風に乱れる髪を押さえて、エルキドゥは「夜が来る、こわいって言っている」と鳥たちの言葉を伝えた。その手には金色の羽根が巻かれている。
「めずらしいな」
「え?」
「そういったものはあまり好まぬと思っていたが、我の記憶違いか?」
 エルキドゥの指にはまった装飾品に視線をやって、少し皮肉っぽく言ってやる。エルキドゥが身を飾るものに頓着しない理由はわかるので、ギルガメッシュがそれをどうこういうことはない。輪郭すら変わる変幻自在の粘土の体をもつものが、世界と自分との境界をはっきりとさせるようなものを身につけたがらないのは自然なことだろう。どこまでも世界とひとつとなるためにある体であり、なにかで区切られることはギルガメッシュが想像するよりも厭わしいことなのかもしれない。人間社会で暮らすから衣服をまとっているのであって、もしかしたらそれすらも邪魔だと感じていてもおかしくない。
「ちょっとおしゃれしてみたんだよ、君と会うからね」
 はにかむように笑うエルキドゥを見つめて、ギルガメッシュは長く息を吐く。
「……で、そろそろよかろう」
「なにが?」
「なにかあったのであろう? もしくは、これからなにかしでかすのか?」
「なにかって?」
 察しが悪いな、と少しだけ険のある声でギルガメッシュは、あのなあ、と話し始める。
「おまえが我を呼び出したのだから、何かしら面倒で厄介なことがおきているのだろうよ。もしくは、これから何かを為すために企てているのか。とりあえず我を巻き込むというおまえの遣り口は業腹ではあるが、多くの場合はそれが最適解でもある。このたびは何が起きた。女神が再び人の世を喰らいだしたか? 夏の残滓が冥界から溢れたか? 遠い惑星の概念が墜落してくるのか? 宙宇は絶えず波乱を含むが、ことおまえが関わる事象は厄介だ」
 ギルガメッシュが早口でまくしたてると、エルキドゥはまばたきを早めた。ゆっくりと言葉を噛み砕いて、ええと、と曖昧に笑う。
「会いたいとかなんとか、迂遠なものいいで呼ぶな、阿呆」
「ええっと、ね、ギル」
 予想外のことを言われたとばかりに、エルキドゥは目を丸くしていた。
「なんだ」
「ちょっと話がよくみえないのだけれど……僕は、君に会いたいってことを伝えたつもりだったけれど……?」
「だから、その会いたい、の内訳を尋ねている。なにかしらの思惑があってのことであろうよ」
「思惑というか、会いたかったから。親しい人と会うことをデートっていうのだろう? デートをしたかったから、君と」
 薄い視点のずれを感じ、ギルガメッシュはまばたきを刻んだ。
 なんだろう。会うのが口実ではなく、目的のような言い方をしている。それは些細だけれど、とても大きな違いだ。
「デート……?」
「うん、デート。親密な人と会うこと、だよね?」
「会うこと……?」
「そうだね。嬉しいよ、君が会いに来てくれて。母さんに訊いたら、デートの定番はお弁当を食べて海辺を一緒に歩くことらしいから、それをやってみたかった」
 うれしい、と笑うエルキドゥの瞳は彼方のように深い銀色だった。長く見つめていたらもしかしたらほんとうに彼方を閉じ込めたのだと感じさせる落ち着いた温かい色だった。会いたかった、と無防備に笑う。深い信頼に基づく無邪気なふるまい。これまでも、これからも決して幻滅されない彼方の美しさが形となったもの。
「会いたかった……?」
「うん」
「それだけ……か……?」
「会いに来てくれて嬉しいよ」
 ギルガメッシュは目をつぶり、耳を塞ぎ、「あーあー」と喚きたくなる。羞恥で死ぬなら、今死んだ。もう死んだ。ほら死んだ。そう思った。
 会いたかった。それだけ。そこに思惑も企てもなく、ただ、親しい人に会いたかった。それが叶ってとても嬉しい。それだけ。まぎわらしいことするな、と怒鳴りつけたいような気持ちが迫り上がってきて、しかし紛らわしいことなどなにもされていないという事実が押しとどめる。エルキドゥは会いたいとだけ言っていて、それを勝手に何かしらの理由付けや偽装だと勝手に思い込んだのは自分であり、そのうえで、おまえが関わると厄介なことになると嫌みっぽく言った。言ったね、言いました。
「ギル、どうしたんだい?」
「……ど、どうしたの、だろうな、うん」
 怪訝そうなエルキドゥから目をそらす。頭が真っ白になりそうなところを、反射的にひきつった笑顔を浮かべて取り繕う。
「ああ、うむ、我もなかなか粋だと思うぞデート、デートな、ナウいな。おまえもなかなか時流を解するではないか、ちょうど我もデートしようと思っていたところだった、うむ。ナイスタイミングというやつであろう」
 はははは、という軽い笑いは、肋骨に走った鈍い痛みで中断された。
 頭突きする勢いで胸元に飛び込んできたエルキドゥに骨が軋むほど強く抱きしめられ、ギルガメッシュの呼吸が潰れる。
「苦しいっ」
「……うれしくって」
「はあ?」
 素っ頓狂な声を上げるギルガメッシュに、エルキドゥは答えない。静かに体がふれる面積を増やしてじっとしている。自分と世界の境目を探すように。海鳥が高く鳴いている。
「…………まあ、我も会いたかった、かも、な」
 ギルガメッシュは腕を開き、慎重にエルキドゥの背にまわした。会いたい、というだけの思いを無防備に放り投げて、その軌道が描く絵を見ようとしたことはなかったのかもしれない。だって会わなくても相手のことはわかっているから。
 でも、こうだろう、と思った像から、実際の友の在り方はいつだって少しだけずれる。ふたしかで、形をかえて、揺れて、矛盾して、だから会いたくなる。会い足りることがない。
 夏と冬のあいだの空に、最初の星が銀の影のようにひかる。何処にも繋がらない世界で、彼方があると信じるに値する夏でも冬でもない複雑な色彩が空と海にひろがっている。
 ギルガメッシュは友の気が済むまでそのままでいようと、遠ざかっていく中途の空を眺めていた。夏が終わると、空も海もどんどん遠ざかり、世界が深く呼吸をしているようだった。言葉を交わさず寄り添い、おなじ宙宇をあじわう。それは、会わないとできないことだ。
 ゆっくりと体を離したエルキドゥが照れたように笑って、そろそろ喫茶店の仕事に戻らないと、と言う。じゃあまたね、と別れの挨拶をはじめようとするエルキドゥの指には、あいかわらずゴールドの羽根の指輪が輝いている。
「なあ、それこのあたりで取り扱っているものか?」
 エルキドゥは自分の手を見つめて、唐突に指輪を抜き取るとギルガメッシュに差し出した。
「あげるよ、君に」
「いや、いい、そのようなつもりで言ったわけではない」
「この街で売っているものだけど、もうすぐこの夢はほどけてしまうから。僕は普段はこういったものは身につけないし、会いに来てくれたのだから、お土産の代わりに受け取ってほしいな」
 少し迷ってから、そうか、と指輪を受け取った。手の大きさはあまり違わない気がしたが、ギルガメッシュの人差し指にははまらないので、左手の小指に収めてみる。傾き始めた光を受けてきらりと涼しく光った羽根は、まだ温かかった。
 夏と冬の間。あらゆるものが遠ざかっていく時間の中で羽根をかわす。指に添う輝き。ここに羽根があるのだから、自分で飛ばなくてはいけない。きっと次は、自分から会いたいと言おうと思う。
 深く息を吸った。白い鳥が高く飛んでいく。


(了)

たんじょーびーおめでとー♩

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