【幕間SS】帰省 その1
ラクーンの生まれた教会のある小さな村は、ハーヴェスからはそれなりの距離がある。それでもラクーンは定期的に村に帰り、小さい頃からお世話になっている村の人達、かつて通っていた教会に顔を出し、静かになってしまった実家を訪れている。
村人もフレミール家の行方不明を知ってはいるため、気の毒に思い、家屋をそのまま残すようにしており、ラクーンはその家を掃除をしたり両親の墓に参ったりして、自分のいない間に誰かが帰ってきてもよいように、都度書置きを残して家の状態を保っているのである。
ある村の襲撃事件の犯人を討伐してから、ラクーンはまた故郷のことを思い出し帰省することにした。降りしきる雨の中、故郷に向かう馬車に揺られながら、ラクーンはいつも同じことを考える。もしかしたら、今回は帰ったら誰かが家に居て、なんだラクーン、帰りが遅いじゃないかなどと出迎えてくれるのではないか、と。ぬかるんだ地面と馬車の車輪が、不愉快な音を立てた。
村に到着していつも通り村人に挨拶をすると、彼女の活躍が時折だがこの村にまで届いていると嬉しい言葉を貰えた。この村からまたグレードソード級の冒険者が出たと村人はみな祝福し、内気な少女はただ恥ずかしそうに杖を握りしめぎこちない笑顔を見せる。最近はこの称号のせいか、町で大食いをしようにも客や店の人間に気付かれて、冷や汗をかきながら急遽小盛の食事を注文するというのを複数店舗で繰り返す…ということが増えてきている。
幸いまだ冒険者仲間の誰にも、大食いのことはバレていない、に、違いないがこのままだと時間の問題だと、極めて小さい悩みを抱えている。
閑話休題。
かつて通っていた、ハルーラ神が祀られたこの小さな教会に来ると昔のことを思い出す。少し厳しいシスター長、学友との語らい、ハルーラ神の教えを諳んじたこの聖堂、迎えに来てくれた兄姉の顔。
今日も祭壇で祈りを捧げ星の導きを祈る。そうして、自分の中に家族を探す気持ちに一寸の迷いの無いことを確かめる。
ハルーラ様、私は…かつての、動く気力を無くし御身に祈るほか何もできなかった私とは変わりました。今は己の足で、御身のお導きのもと家族を探すことができています。どうか、これからもお見守りください。
シスター長への挨拶に行くと、自分がこの教会に通う者の間でそれなりの有名人になっているとお褒めを預かった。「もういつまでも右も左も分からない新米ではなく、貴女の後を追う者もいるのです。自覚し努めて、修行しなさい」と、変わらない、少しの厳しさを伴った激励の言葉はとある桃色の髪のレプラカーンの少女を思い出させる。雨は小雨になっていた。
雲が隠れ、冷えた空気が村を漂う。ラクーンは一歩ずつ家へ歩みを進める。
この角を曲がると実家が見えるのだが、そこで足が止まる。いつもここで歩みが重くなってしまう。呼吸を整え、ほんの僅かな希望を抱き、角を曲がる。
煙突から煙は上がっていない。雲の向こうに見えない夕日が沈む。
いつも通りの光景がラクーンの胸を締め付ける。
扉を開ける音も「ただいま」という声も静かな家に吸い込まれるように消える。もう外は夜になっていた。
荷物を置き、いつも通り掃除をしようと居間に入ると違和感を覚えた。
以前帰省した時と何かが違うのだ。少しだが椅子などの位置が違い、暖炉に新しい薪がくべられた形跡がある。誰か自分以外の人間がこの家を訪れている。
村の人々は勝手に入ってくるようなことはしないはずだし、夜盗が盗むようなものはもうこの家にはない。かといって動物に荒らされた様子でもない。ふと食卓を見ると、ラクーンは目を疑った。
以前自分が残した家族に向けた書置きの横にあったのは、自分が用意したものではない新しい書置きだった。動悸を抑え、震える指でそれを手に取り、内容を検める。
『ラクーンへ
ただいま。
書置きを読みました。
ごめんなさい。家がこんなことになってるだなんて知らなかった。
オレは最低の親不孝者です。
みんなにも、顔向けできません。
せめて、バラバラになったみんなをもう一度会わせられるよう頑張る。待っててくれ。
兄ちゃん姉ちゃんを見つけたらこの家に帰るよう言っておく。
ラクーンもあんま危ないとこ行くな。オレに任せとけ。
もうあまりみんなの前に姿は見せないようにはするから安心してくれ。
オレのことは探さなくていい。こんな偽物のことは忘れてくれ。でもお前のことは見守ってるぞ。
元気でいろよ。
さよなら ごめん
M・F』
「モント兄さん…!」
見識を発揮するまでもない、間違いなく兄の字だ。
ラクーンの目から大粒の雫が零れた。もしかするともう会えないかと思っていた家族が生きていた。身体が安堵で包まれつい力が抜けてしまい、思わずその場にへたりこむ。しばらくそのまま泣き腫らしてしまった。いつの間にか雨は止み、窓からは青白い光が差し込んでいた。
少し経ったのち、ラクーンは一人想う。
モント兄さん…まだそんなこと言ってるの?兄さんの気持ちは分からなくもない。けど…モント兄さんだって私にとっては大切な家族なんだってこと、分からせてあげなきゃいけないみたいだね。
覚えてる?私、頑固だよ。
少女は微笑み立ち上がる。今までの不確かな希望とは違う、巨岩のような拠り所ある希望を胸に抱いて。
この少し分からずやの兄の足取りを追い、手を握り離さない。今の彼女にはそれしか頭になかった。
他の兄姉に向け今回残していく新しい書置きには、堂々とモント兄さんを追いかけることを宣言しておいた。
暖炉の前で、自分に向けられた、不器用な兄の手紙を何度も何度も読み返して胸に抱きかかえる。あの猪突猛進な兄さんは自分を探しにハーヴェスに向かった可能性が高い。朝になったらすぐハーヴェスに戻ろう。
その晩ラクーンは家族と再会する夢を見た。今まで何度も見た夢だったが、いつものような冷たく手の届かない望郷の夢ではなく、そぐそばに暖かな温もりを感じ取れる、実感の籠った景色だった。
雲の無い空に梟の声が朗々と響き、実家での夜は更けていった。
powered by 小説執筆ツール「arei」
3 回読まれています