ニネットとアニエス 2


 よく晴れた日の昼下がり。ニネットとアニエスは二人で城の庭園を散歩していた。
 空気は澄み渡り、そよ風は心地良い。植え込みは綺麗に整備されており、ところどころ薔薇が咲いている。この城に相応しく優雅だ。高貴な王女とおしとやかな侍女にはよく似合う。
 「殿下、お誘いいただきありがとうございます! 近くで見ると本当に綺麗な場所ですね」
 アニエスが美しい庭園内をぐるっと見回して嬉しそうにしている姿を見て、ニネットも喜んだ。
 「ここは、私とエーリカがよく散歩する場所よ。エーリカ、ここの薔薇が気に入ってるの」
 エーリカというのは娘の名前だ。今は他の侍女に世話を任せてきたためこの場にはいない。
 「貴女にもぜひ見てもらいたくて。こうして二人で散歩するのは初めてだものね」
 ふふっ、とニネットは上品に笑った。
 「いつもは他の侍女の皆様も一緒なのに、どうして今日は私だけをお誘いくださったのですか?」
 「貴女とは一度ゆっくり話してみたかったの。侍女としての生活にも慣れたかなと思って」
 「そうだったのですね! それはとても嬉しいです」
 主人が自分のことを気にかけてくれていることを知って、アニエスは内心幸せな気持ちになった。しかしそれは心の内に留めておくことにして、表情には出さなかった。
 「侍女としての生活も段々と慣れてきました。早いものでお仕えさせていただいてから一年経ちましたし…」
 「もう一年経ったのね。本当に早いわ」
 ニネットは植え込みに咲く薔薇を横目に呟いた。
 「あの、一つお聞きしてもよろしいですか?」
 「何でも言ってちょうだいな。そのために今は二人で過ごすことを望んだわ」
 ニネットはふと立ち止まった。アニエスの話をよく聞けるように。彼女と向かい合う。
 「ありがとうございます。…実はお仕事の件で。私の働きはいかがでしょうか…その、まだ先輩たちと比べたら至らぬ点も…すみません」
 そこでクロエとイネスの顔を思い出す。先日の一件─ニネットの部屋を掃除した時のこと─も脳内に蘇る。
 未だあの日の出来事を気にしているようだ。ニネットはそう感じた。
 「貴女はよく働いてくれているわ。まだ一年しか経っていないのに。クロエとイネスだって最初の頃は貴女と同じような失敗をしていたわよ」
 クロエとイネスは、もう十年以上も前からニネットに仕えている。ニネットがまだディートリッヒ家に嫁ぐ前、故郷のイヴェール王国にいた時から一緒に過ごしているのだ。
 しかしそんな彼女たちも、侍女になったばかりの頃は不慣れな点がやや目立っていた。
 失敗をするとニネットの母である王妃が厳しく叱りつけていたのを何度か目撃したことがある。そんな彼女たちを宥めてやったこともある。
 今となってはベテランともいえるくらいにまでなっていた。
 やがてニネットが嫁ぎロイヒテンダーベルク城に住まうことになった時、彼女たちも着いて行った。そして現在に至る。
 ニネットはため息をついた。まるで自分が侍女の気持ちになったかのようにこう尋ねた。
 「でも侍女の仕事って辛いでしょう?」
 「えっ、そんなことは…」
 自分が仕えている主人の前で弱音は吐けない。本当は少し辛い時もある。だが王族に仕えている以上はやり遂げなければならない。アニエスは固い意志を持っていた。
 だがニネットがそれを解きほぐしてくれた。
 「いいのよ。たまには弱音を吐いたって。私の前だからとか気にしないでよ。アニエスはとてもよく頑張ってるわ」
 「殿下…」
 すーっと肩の力が抜けていくのがわかった。
 ニネットは空を見上げ、何かを思い出すかのように言った。
 「…貴女と初めて会った時、強い意志を感じたわ」
 初めて会った時。それは一年前の春のことだった。
 ロイヒテンダーベルク城に、齢十六を迎えた娘たちが何人か集まった。彼女たちは殆どが貴族出身であった。その中にはアニエスもいた。
 彼女たちは、主人の身の回りの世話をしながら自分たちの中身も磨く…そういう信念を持ち侍女として働く道を選んだのだ。
 アニエスは主にニネットの元へ仕えるよう任命された。
 意志をしっかりと持っていそうな瞳だった。それにはニネットも関心した。
 その一方で、まだあどけなさが残っている姿が妹のそれと重なった。
 「貴女を見ていると妹のことを思い出してしまうわ」
 アニエスに対し、そう言葉を放ったこともある。
 それからニネットはアニエスのことを妹のように思ってくれた。はじめのうちは緊張させないように色々な話題を出した。
 出身地が同じイヴェール王国であったこと、家の都合でモーナット王国へ移り住んだことなど、共通点があったため打ち解けるのも早かったが、王宮や王族に仕えることには慣れるまで時間がかかった。
 「実を言うとね、アニエス。私、貴女が一人で泣いているのを見たことがあるの」
 空を見上げたまま、過去を思い出しながら呟いた。
 「貴女はきっと、我慢していたのよね」
 「………」
 


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アニエスは無言のままここでおしまい……

公開日:2020/8/1

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