おまけ
財布を見たら金がなかった。
生活費の通帳ももう、たいがいすっからかんや。
そっか、月末やなぁ……。
オヤジはこういうときには「ツケにしといたってくれ~!」ていつもの魔法の言葉を使うつもりでアホみたいに外に飲みに行ってたけど、結局はおかんが頭に角生やして家で待ってるて寸法やった。
まあ、消費税が始まってしまってからは、寝床はまあ例外としても、今節はどこも厳しぃになって客にそないなツケ払いを許してくれる店はほとんどない。
「なあしぃ、今から米買いに行ってくるからちょっと金貸してくれ~。」と言うと、四草は読んでいた本から顔を上げた。
『上方落語の歴史』て、日暮亭から持って来た本か。
こないにインテリみたいな顔して読んでるのが落語の本やもんなあ。
日暮亭の控え室も手狭になってきたし、本棚と中の本だけでも全部草々のとこの稽古場にやったらええんとちゃうか、て言う話も出たのに、こいつだけがうちから遠くなるから嫌です、て最後まで反対してたもんな。
「いつもの財布の中から好きに持ってってください。」
声の温度が低い。
いちいち聞かんでええから、邪魔すんなて顔か?
「月末やで、あの財布ん中もすっかり空っけつや。」
「……スーパーで毎回余計なもん買うからでしょう。はいこれ、反省してください。」と四草はどこから出して来たのかスーパーのレシートを差し出した。
「あっ……捨ててしもたと思ってたのに……。」と口にしたら久しぶりに四草の舌打ちを聞いた。
こいつ、これでもおちびの前ではちょっとお澄まししてんねや。
それにしても、一緒に暮らしてからよう分かったけど、こいつほんまに締まり屋やな。
落語家になってからは、どうやって稼ぐかを考える代わりに、稼いだ金がなるだけ自分の元から出て行かないことを考えながら暮らしているようで、日暮亭を建てるときに初めて見た、妙に金の貯まった通帳にズラリと並んだ数字のことをふと思い出した。
「グミとか知育菓子とか……いい年なのに何をほいほい買ってるんですか。そういうのが積もり積もって月末に米が買えないような話になるんですよ。」
「ええやろ。子どもにはおやつが必要やで。」
「どうせ自分が食べたいからでしょう。『草若ちゃんて林檎味のグミ好きみたいやねん。バレンタインもチョコレートよりグミでええなて言ってたで。』てなんで僕が子どもの口からそんなこと聞かなあかんのですかね。」
「なんや、焼餅か?」
「違います。」と言ってまた本に顔を向けた。
なんや、妬いてるみたいに聞こえたけどちゃうんか。
つまらんやっちゃな~。
まあ勉強熱心なんはええこっちゃけど……もうちょっとオレにも構え。
「はいはい、草若ちゃんのお通りや、お前ちょっと膝空けえ。」
「……。」
不機嫌で不景気そうな顔を向けてくるけど、ここでビビらんでええのは兄弟子の特権やな。
よっこいせ、と横になって四草が胡坐をかいたとこに、頭を乗せると、四草は持ってた分厚い本を横のちゃぶ台に乗せた。
あ、オレがここに来ると本読みづらいんか、悪いなあ、インテリのシノブくん。
「別に言うてみただけやんか。お前、どうせ来年のバレンタインも仕事やろ。」
「まあ例年通りなら、そうなりますね。」
「クリスマスも仕事、年が明けたら松のうちからまた仕事、バレンタインも仕事。二月はいつもの豆まきもあるし、それが終わったらホワイトデーか。」
仕事ありすぎていうか、引く手あまたていうか。
オレとお前とで半分足してわったらええ具合とちゃうんか、と思ってると、「年越しは空けてあるからええやないですか。」と言われてしまった。
「お前なあ……。」
まあええけど。
「そんで、米買いに行く金は、あるんかないんか?」
「米も必要ですけど、そろそろ髪切りに行かなあかんのと違いますか。」
前髪と襟足伸びてますよと言われて、そうやった、と思い出した。先週行ったら臨時休業やった。
まあ仕事あってもワックスとスプレーで誤魔化せんことはないやろ、と思ったけど、そろそろ限界か。
襟足に四草の指が伸びてきて伸びたところをくすぐられる。
なんやこそばい。
「次に金入ったら行くわ……。いつものところがええねん。」
「ええやないですか、床屋なんかどこでも。子どもも前髪伸びて来たんで、磯村屋さんのとこでツケ払いにしてもらって、ついでに適当に切って来てください。」
「……それ、どっちがついでやねん。」
磯村屋さんとこの床屋なら明らかにオレがおまけやんか。
「まあ隠れてた方がやりやすいですけどね。」
「やりやすいて、何がや。」と思ってたら顎の下にも指が伸びて来た。
おいこら、オレは猫とちゃうぞ。
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