沈黙のために

 禁じられた町がある。その町の名前は誰も知らない。
 たとえば地図帳にはその町の鳥瞰図がたしかに載せられていたけれど、索引には名前の代わりに空白が、「ン」の下にページ番号と並んでちょこんとくっついていたし、郵便番号の一覧表にも、番号はあるのに名前は伏せ字になっていた。資源ゴミの収集日が変わるときには、空白だと分かりにくいからか、自治体のホームページに他の市と一緒に「****、水曜日」というふうに書いてある。
 その町には人が住んでいる。たった一軒のコンビニとさびれた商店街と工場と、巨大な公団住宅群があって人の入れ替わりも、ゆるやかにだがあった。どうして町の名前は禁じられているのか、何があったのかは誰も知らない。その町にかつて名前があったことは明白で、町の電柱には町名を記したプレートをはりつけていた接着剤の跡がまだ四角く残っていたし、古い書物などでは、その町の名前を黒く塗りつぶしていたり、ページを破いたりしている。町の入り口には、安っぽい虹みたいなアーチ型をした看板が、二本の柱に支えられてかかっていた。看板には「おかえりなさい ○○○へ」とある。○○○の部分はたぶん、この町の名前が書かれていたのだと思うが、表面の文字を剥がされ、その上から粘着テープをべたべた貼られ、さらにペンキで黒く塗りつぶされているので、そこにどんな文字があったのかはわからない。
 町の名前なんて住んでいればほとんどどうと言うことはない。戸惑うのは郵便物だったが、この国で、名前を禁じられている町なんてここ一カ所しかないのだから、○でも×でもなんでもいいので伏せておけばいいのだ。ある種の不在がここの実在を指示する。そもそも郵便番号さえ間違えなければ、きちんとこの町には届くのだ。「おばあちゃん、お元気ですか、夏休みには遊びにいきます」と書いたハガキだってきちんと届いた。
 だから帰る。団地ばっかりの、遊ぶところなんてほとんどない、商店街はだけどちょっとだけ面白い(物珍しいから。家の近くには大きなショッピングモールしかない)、コンンビニが一軒だけあるその町は、おかあさんの田舎だった。おかあさんは自分のもともとの家なのに迷ってしまって、途中までおばあちゃんに迎えにきてもらった。「もう、いやだ、恥ずかしい」とおかあさんは言っていたけれど、歩いていると、ありとあらゆるくすんだいろの、三階建てや五階建てや九階建ての、どれもこれも四角い建物が目くるめく、というのもこいつらは、人の増減に合わせて増殖改築を繰り返して、ふるいのと新しいのがつぎはぎになっていて、あっちの棟とそっちの棟がつながっていたり、いけると思ったら行き止まりになっていたり、歩いている地面が何だか信用ならないやつに思えてくる。
「あっちこっち見てるからよ」
とおかあさんが水筒を開けながら言う。わたしは途中で酔ってしまい、児童公園で少し休憩しなければならなかった。おかあさんが、冷たいお茶を水筒の蓋にそそいでくれる。
「進むべき道だけを見て、きょろきょろしない」
 おかあさんはそれがコツだと言うけれど、わたしはいつも忘れてしまうのだった。これも毎年のこと。おばあちゃんの家に行くときは酔い止め薬がいる。
 わたしはまだ、おとうさんの田舎には行ったことがない。おとうさんの田舎はあまりにとおくて、とおすぎて、決して帰ることを期待してはいけないよとおとうさんも忠告されたほどの距離にあるらしい。だからたぶん、これからもおとうさんの田舎に行くことはないだろうし、もし行くならば帰ってこられないことを覚悟しなければならない。
 おばあちゃんの家で、氷を浮かせた苦いお茶と、あんこをごく薄い皮で包んだお菓子を食べたわたしは、クーラーのきいた部屋でごろんと横になる。ともだちもいない。テレビはあるけど、気に入った番組がない。公園はあるけれど、毎日毎日暑すぎて、ブランコの支柱も曲がるほどだから、警報が出て、たぶん外には出られない。退屈な夏休みになるなあ、と思った。でも夏休みなんて、いつだって、最初の十日間をすぎたらどこにいたって退屈だ。
 おとうさんは仕事が忙しい。一言も言わずにおかあさんの後ろについて歩いて、おばあちゃんの家にわたしとおかあさんが着いたのを確認したら、おばあちゃんの用意した少し豪華な晩ご飯を食べて、その日の夜に帰った。おとうさんは最近ずっと、仕事がおおづめなんだと言ってせかせかしている。そんなんだったらわたしはおとうさんの顔を忘れてしまいそうだよ、とおどかしてやっと休みをとってくれた。もっと昔、わたしが学校に上がる前はこんな風ではなかった。その頃もおとうさんには仕事があったけれど、夏休みにはわたしとおかあさんを車に乗せて、いろんなところへ連れていってくれた。火山や洞窟や、無垢の自然とわたしたちが住んでいる場所の、そのぎりぎりの境界線まで。古いお城に行った時、その下の石の壁をさして、あの石の壁は何度積んでも積んでも崩れてしまって仕方がなく、若い娘をあの下に閉じこめた、そうしたら上手く石が積み上がってあれほど美しいお城が出来たんだけれど今も雨が降ると閉じ込められた娘が泣いているのが聞こえるんだよ、という、すぐそこの立て看板に書いてあった怪談話を情感たっぷりに語り、間の悪いことにちょうどにわか雨が降って来たものだから、わたしが今すぐ帰るもう帰ると大泣きしたのだ。でも今のおとうさんは、くだらない怪談すらしない。
 おかあさんは仕事を休んだ。おばあちゃんとそらまめの筋をとったりじゃがいもの芽を焼き潰したりしながら、おしゃべりするのはこの町で暮らしていた遥かな少女時代のこと、たとえば昔よくあそんでいた同じ棟のあの子はずっとこの町にいやあの部屋にいて、でも今はその子が母となり、かつて母であったおばさんはもうおばあさんになってよその施設に行ったのだとか、あいかわらずコンビニの前には子どもがたくさんいる、コンビニの前にたむろしている子どもたちは、相変わらずすぐどこかへ行ってしまう。きのうもここへ来る途中にコンビニの前を通ったけれどあの子たちはどうするのだろう。そういえば私が学生の時にもあの子たちがいて毎日通うたびに見ていたけれど、ひとつとして同じ顔はなかった、とおかあさんは思う。彼女は優秀だったので遠くの頭のいい学校に行って、彼らと同じように早ばやと町を出てしまったのだ。そして町を出たまま町の外で就職先を見つけて決して帰らなかった。お前は外の病院で生まれたから、生まれた土地と縁薄いのだろうとおばあちゃんや親戚は言うけれど、こんな山を削ってコンクリートを固めて真四角の家を建てて、増築増築したような土地に縁も何もない。縁が薄いのだろうと、帰るたびに言うおばあちゃんにおかあさんは微かな反発を覚える。おかあさんの心はそのときだけ若やいで、そんなふうに三日くらい過ごして、四日目の朝に帰った。わたしはそれを、おばあちゃんの家のベランダから見送った。ばいばい、とおかあさんが振り向いて手を振った。
「あの子はほんとうに縁薄いねえ」
「おばあちゃんは濃い?」
「おばあちゃんはね、根付いている」
 もう逃げられないよとおばあちゃんは言う。好きなときに好きな場所に行けばいいのに、でもおばあちゃんはこの町が、好きなわけではないけれど、今更どこかに行くのもおっくうだし、だいたい外に出ればそれなりに必要なものはそろうのだし、特別な調味料とか、新しく輸入された外国の家電とか、少し込み入ったものがいるときは、バスに揺られて隣町まで行かなければならないけれど、バスに揺られてまたこの町に戻って、あの「おかえりなさい」の看板を見たときはああ帰ってきたという気持ちで胸がいっぱいになる。それは懐かしさ、愛着では決してなかった。長旅から帰ったような安堵を、何か、帰ってしまった、取り返しがつかないという気持ちが押し包んで肺いっぱいに膨らむ。けれど自分の家に着いてみれば、なんだか平凡な、つまらない町だという気がするのだ。実際に、娯楽はほとんどなかった。孫にとっては退屈かもしれないけれど、夏はえいえんに続くわけではないのだから、ほんの少し、十日、四十、四百日、我慢してもらおう。
 しかしわたしは、なんだかこの町にとじこめられたような気がしていた。あら、あなたも? おばあちゃんも、実はそんな気がしていた。ここにお嫁に来てからずっと、ここに閉じ込められてしまったような気がしていた。何十年、どこにでも行けたはずなのにここに縛り付けられてしまったような気がしていた。おばあちゃんの家は南東向きにあってベランダからは、他の棟が邪魔になっていまいちよくわからないけれど、町の入り口の看板がかすかに見えたし、すこし首をひねれば町の腹の方も見えた。腹側は山になっていて、中腹まで削られて公団住宅がドミノのコマみたいに立てられているのが見える。わたしは去年、演舞祭のクラスの演し物でドミノをやって、教室いっぱいにドミノを並べて一気にぱたぱた倒そうとしたことがあった。朝からクラスのみんなで張り切って集まったのに、ドミノは少し並べたらはしからばたばたと倒れてちっとも完成しなかった。みんな顔を真っ赤にしながら、保護者が最初は熱を入れて、だんだんと退屈そうに「ちょっとその辺見てくる」と言って入れ替わり立ち代わり、小さな弟妹をあやしながら、「やっぱり倒れるねえ」「地鎮がうまくなかったのかねえ」とひそひそ話すそばで、演舞祭がほとんど終わりそうな時間になって、ようやく完成した。そのときにはもう、ほとんどの子たちが、ドミノを壊したくなくなっていたけれど、壊さなくては仕方がなかった。そうじゃないと終われなかったから。でもあっちの方は立入り禁止になっているんだよ。だから誰も住んでいない。
「どうして?」
「古いから。古いものは悪くなる」
 おばあちゃんここから逃げようとわたしは言った。そうね逃げようか。隣の町もその向こうも越えてこの町が全然見えなくなってもまだまだ遠くに行こう。でもバスには乗らないでおこう、バスに乗ったら、戻らないといけない。わたしは着替えと宿題を持っていく。じゃあお弁当を用意しないとねえ。少し材料を買ってくるねとおばあちゃんは出かける。わたしはまた退屈になる。仕方がないから荷物から宿題を取り出した。工作は面倒だから、ワーク。表紙には「新しい歴史」というタイトルが、緑の太い文字で書かれている。○○年、帝国を脱出。○○年、王国の崩落。○○年、ほとけが本地を垂れたもう。「新しい歴史」が語る古い物語の虫食いをわたしは一つずつ埋めていく。
 ほんとうに、この町からは出られないのか? そんなばかな話はない。おかあさんのことがなくても、この町には人の流れが、ゆるやかにだがあった。転退出と生老病死、公団住宅のブロックみたいな建物の間を人々の魂と肉体は流れ続ける。ときおり肉体だけあって魂のない人が通るがその逆はない。魂があるにしろないにしろ、人々はおおむね朝、公団住宅から出てきて商店街を通り過ぎ「おかえりなさい」の門をくぐって町の外へ出た。そこにはバス停があって朝はバスを待つ行列が、ずらっと商店街に並び、たくましい商店主たちはパンやおにぎり、飲み物やお弁当、腹痛止めに酔い止めに悪夢除けなんかを売り歩いた。
 町の境界から一番自由なのは、あるいは子どもたちだったのかもしれない。彼らは町の外に行くために、バスを使わなかった。彼らの移動手段は自分たちの細っこいまるっこい足で、少し遠くへ行く時には自転車だった。だから子どもたちは、どこかへ行く時に、あの「おかえりなさい」の門をくぐってバス停へ行かない。ただ行きたい場所を目指して境界を越える。その子どもたちにしたところで、結局は家にしばられているので夕方になると戻らなくてはならなかったのだけれど、そうではなくて帰れないのがコンビニの前の子どもたちだった。かれらはそこへ、学校がひけてから(あるいはさぼったり、塾が終わってから)やってきて、暗い間を過ごす。商店街の店主たちは早寝早起きだったから、町のなかでこうこうと明るいのはそこだけだった。自分たちの家は、ほとんど、お風呂と寝るためのもので、どうせ家にもどっても流行遅れの服とかおもちゃとか出し忘れたゴミがちらかり重なりまっすぐ歩けないくらいだし、親はいるのだかいないのだか、ひょっとしたら部屋のどこかに埋もれているのかもしれないが、自分一人寝るのでやっとで、家はずっとそのまま。という子もいれば、私の家には母がいて、父はたぶんいる、母は毎日おうちをきれいにして服をきれいにしてお風呂場もきれいにしているけれど、私はこんな風だから、どうしてあんなところにいるの。どうして帰ってきてくれないの。せっかくご飯も用意してこんなにほかほか温かくておいしくできてるのに早く帰ってきなさいそんなところにいないで! というおかあさんの叫びは、聞こえているけれど帰れない。ごめんなさい。あの公団住宅の闇が怖い。それにもう帰り道を忘れてしまった。もう自分の家がどのブロックにあって、どんな色で、何号室だったのだかはうっすら覚えているのだけどどの住宅にも等しく二〇二号室はある。何百何千。その一つ一つを開けてまわるうちに日が暮れて、夜はとっぷり、私たちを捕まえるだろう。
 そう、この町の夜は深かった。そこだけ夜を虐殺するような真っ白い光を放つコンビニの周辺以外は、オレンジ色の影を地面に落とす街灯以外、光は一切ない。だからといって治安が悪いかというとその逆で、とっぷりと音がするほどに暗い町の夜に、不審者はたいてい飲みこまれてしまう。泥棒さんは夜に捕まって翌朝、ミワ冷凍から出荷されるんだよ。だって唐揚げとかにしちゃったらわかんないもん。ミワ冷凍というのは町の周縁にある冷凍食品の工場で、朝になるとたしかにたくさんのトラックが集まり荷を詰められ出発していく。あまりにもたくさんあるので、夏の朝などは、トラックが出発したあとに蜃気楼がたった。ミワ冷凍は大きな会社のはずだったが、町の住人でそこに勤めている人間は一人もいなくて、あの会社は立派な倉庫をたくさんもっているけれどどこか怪しい。本当は何か隠しているのではあるまいか、肉も魚も野菜も何もかも新鮮冷凍してしまうのだから他のものだって新鮮冷凍できるのではないか、たとえば? 記憶とか。ところで今日のお弁当は、ミワ冷凍のグラタンです。
 ほんとうはもっとちゃんとしたものを作りたかったけれど、あまり時間がないのでおばあちゃんは冷凍食品で妥協した。でも、メインだけはお手製だ。作り置いて冷凍してあった豆腐ハンバーグで、ひじきと鶏肉が入っている。鶏肉はひき肉ではなく、胸肉を包丁で小さく切って、何度も刻んで、細かく叩いたもの。味付けは甘辛い。あなたはあまり好きじゃないかもしれないけれどねえ。どうして? わたしはそれが、ここへ来て一日目の夕食に出たハンバーグだったことをおぼえているしそれはとてもジューシーでおいしかった。つくねのようだったけれど、つくねよりも柔らかく弾力があり、ひじきのせいだと思うけれど鼻にかすかに海が香る。まだわたしは入ったことのない海。ここから逃げて逃げて疲れ果てた時に食べるご飯が、そのお弁当で、嬉しい。そう? うん。おばあちゃんも嬉しい。これはねおばあちゃんの得意料理だから。わたしたちは手に手をとって、昼の暑いさかりをねらって逃げ出す。そういう時間帯はアスファルトがゆだって、公団住宅の影の部分も涼しいんじゃなくてコンクリートにこもっている湿気が変にあたためられるし、ミワ冷凍の方から金属くさいけむりが流れてくるから誰も外を歩きたがらない。水筒と帽子を持ってね。熱中症になると大変だから。わたしはおばあちゃんに手をひかれて歩く。ときおり、おばあちゃんの知り合いに会って、こんにちは、暑いですねとあいさつをするけれど、おばあちゃんも実際のところ、その人がどこの誰なのかわからない。
 町の腹側へと進むにつれて、人の気配がまばらになり、建物は古く、大きくなっていった。途中、古い木の杭が、道の両脇に立てられていた。杭の間にはロープが張られていたようだが、切れて、もうぼろぼろになったのが地面に落ちている。おばあちゃんはそれを不安そうに見つめるが、わたしは気がつかずに通りすぎる。
 歩くうちに建物や道が荒れはじめ、アスファルトを割って植物が生い茂り、ひいらりと風もないのにひろめきながら、羊歯族特有の色鮮やかな花粉のうをわたしに見せていた。そうなると建物の窓ガラスも割れはじめ、崩れた壁や、その中の、人形やソファや台所のシンクにも羊歯族が根を生やす。人間はいなくなって、代わりにべつの生き物、ネズミや猫や、おそらく人間に捨てられたのだろう色鮮やかな鳥や、骨だけになった熱帯魚が公団住宅の隙間を走り回る、飛び回る。壁が崩れて、そこに緑色のものが生えて輪郭が柔らかくなっているのは、まるで建物が溶けているようだと思う。公団住宅が大きく崩れたところがあって、そこから覗くと、ずっと向こうにある建物がもうもうと緑色を戴いている。山だ、と思っていたのは、本当は大きな公団住宅の群れだったのだ。おばあちゃんたちが住んでいるところよりも大きな大きな群れだった。
「お弁当、たべる?」
「まだ大丈夫」
 わたしは建物が大きくなった、と思っていたが、実際には下へ下へとゆるやかに下りていったのだった。山はわたしが気づいたようにうち捨てられた公団住宅の群れであり、道はその内側へと続いていた。わたしとおばあちゃんは、手をしっかりと握りしめながら、奥へと歩いてゆく。そこは行ってはいけないところだと、思ってはいたけれど、薄暗くなってきたと思っていたらそれは建物の影に入ったからではなく日がもう地平線の影に隠れようとしているからで、コウモリも飛んでいて、ひたひたと、夜のとっぷり暗い闇がすぐそこまでやって来るからああ、もう戻れない。公団住宅の中にはまだ電気が通っていて、等間隔に並べられた蛍光灯が、遠近法のお手本のようにずらっと向こうまで続いて、唐突に消えるのはそこが廊下の終わりだからだ。たいていそこで九十度に折れ曲がり、階段か、別棟に続く渡り廊下になっている。住宅のドアは、ちゃんとはまって閉じられていたり、歪んでいたり、ぜんぜんなかったり、板と釘で封じられていたり、「金返せ」「魂返せ」という紙が貼られていたりした。鳥は眠り熱帯魚は割れた水槽の底でひれをわずかに動かしながら休んでいて、ネズミと立ち枯れた羊歯植物の、ガラス質の骨格の影ばかりが廊下に落ちるその中をわたしとおばあちゃんは歩き、足はただ二人ともひたすら感覚のない棒状のものを動かすような心地で、目玉もようの蛾ばかりが、振り立てる羽の鱗粉もきらきらと舞い落ちるのを踏みしめながら、長い廊下をいくつもいくつも曲がるので、もう自分たちがどこにいるのかもわからないけれど、私は決しておばあちゃんの手を離さないと手のひらの汗を拭いて、ふたたび握りしめたときついにその場所へと至る。
 そこはそもそも寝所であったが墓でもあり、牢でもあった。人の目にはおそらくなんでもない、ただの円形の広場のように見える。広場の上の方は高い天井の果てにガラスがはまり、月の光を導いている。地面には四角いタイルが敷き詰められ、暗いのと、広いのとでどんな模様かはけざやかに見えない。わたしとおばあちゃんが歩を進めると足下はタイルではなく、靴から受ける感触は固いのに、その下の方が少しだけふわふわしているような心地がし、何であろうかとわたしはしゃがみこんで、よくよく見ると、おや、自分が踏みつけているのは本の表紙だ。おばあちゃんこれ本だよ。全部本だ。おばあちゃんもそれがわかって、二歩、三歩、戻ろうとしたけれどもわたしは進んで、手を離してしまい、おばあちゃん早くこれ全部、本だ。わたしはどんどんと歩いて本を踏みしめて、真ん中まで行ってしまうけれども、そこには眠らせいます。書物に圧殺されたもうています。
 圧殺し申し上げることとなった経緯についての記録はすべて破棄されており、空白からの推測があるのみ。ただ古い怪談話にわずかに残っているように、この地もかつては遠くからやってきた新たな居住者と建物を拒まれたであろうことは容易に推察できる。そしてその、土地を圧殺したてまつるところの書物たちも膨大な空白であった。ざっと見えるだけで数万冊、その下にはどれほどの広がりがあるのかは、これまた記録にないのではあるが、おそらく何十倍、何百倍、何千倍も、折り重なりお互いを圧しつぶしている書物たちはもはや読まれぬ書物であった。何百何千の何百何千万倍の物語は、理論は、現象は、詩編は、歴史は、地図は、ごくごく取るにたらぬエピソードの集積は、すべてもうこの世に記録されていない。別版もない。テキストデータもない。目録にもその名はなく、そもそもそのような書物があったことを誰も知らない。そこに書かれている全ては、弑し奉るために、ともに殺されて眠っているのであった。
 だからそれは目に触れさせてはならぬものであり、わたしがしゃがみこんで書物の表紙を撫でたとき、『Tempest』という金文字のタイトルがかすかな月光にきらりと光ってみせたのではあるが、じとっと湿っぽいいやな感触がして手を離したのはその子にとり幸いであった。わたしは汚れた手を服でぬぐい、おばあちゃんの手を握りしめ、その寝所であり墓であり牢である場所をまかる。道順などはわからなかったけれど、蛾の羽ばたきを背中に聞きながらより明るくより高い場所へと歩いていくと、次第に明るくなり、四角く切り取られたような明かりに誘われるように進み、出てみると、公団住宅群の真下からにじにじと、朝日がのぼってきたのが見えた。
 そこは行き止まりであり踊り場のようであった。上の方には、階段が崩れているから行けない。下へ行くしかなかったが、幸いなことに、朝日の当たる位置にあるので羊歯族の繁茂は防がれている。わたしとおばあちゃんは、階段に腰を下ろしてお弁当を食べることにした。一晩持ち歩いたお弁当は、おかずがばらけていたけれど、おばあちゃんがきちんと保冷剤を入れていたのでまだ傷んではいない。ひじきの入った鶏肉のハンバーグはまだジューシーで、甘辛いたれがご飯にからむ。ほうれん草のごまよごしにもたれがついてしまったけれど、わたしはそれをおいしいと思う。おばあちゃんは食欲がなかったけれど、これから暑くなるので強いて食べた。水筒のお茶を飲むとまだ冷たい。魔法瓶だから、氷も一つ二つ三つ、入れて来たのだ。氷はほとんど溶けていたけれど蛾の鱗粉を吸った喉にそれは冷たく沁みる。
「おやつも持って来ればよかったねえ」
「ああ、本当に」
 わたしたちはまたしっかりと手をつなぎなおし、階段を下りる。下へ下へ。一晩中歩いて、遅れがちになるわたしの手をひきながら、おばあちゃんが思い出すのは、いったいいつから私たちは、この場所に住んでいたのだろう。ずっとずっと太古の昔から、まだ文字も衣服もない猿のころから住んでいたような、そんな錯覚をもう、何十年と抱いていた。おばあちゃんは、詳細はもちろん知らなかったがあの書物たちが御柱であるということに気づいている。よそものの自分たちが、新しくこの地に根をおろすための、あれは御柱だ。千年、二千年、三千年と、巫女に語り部、劇作家、レンズみがきに目薬売りに印刷会社の親玉に、あらゆる国のあらゆる人間が積み重ねて来た凄まじい量の物語を、人柱の代わりに葬ったのだ。それを葬ったのだという歴史ごと、御柱にして埋めたのだ。ああ、思い出してしまった、本当に縁がないのは、根付いていないのは娘ではなく私の方だった。ここからは全く見えないけれど、慣れ親しんだ「おかえりなさい」がおばあちゃんの胸をいっぱいに満たし、息がつまる。
「おばあちゃん?」
「ああ……」
「おばあちゃん」
「平気。あなたといるからね」
「お弁当持つね」
「ありがとう」
 おばあちゃんは、わたしをたのもしげにみる。少なくともこの子は自らにうそをつく必要はない。この子は、この地で生まれた。この地で古い神と古い物語を抹殺してその上に積み上げた、新しい歴史とともに。
 朝日の昇る直前の、ひいやりとしていた空気があっという間にぬるくなり、色鮮やかな鳥たちが飛びはじめる。道路のひびわれがなくなって、羊歯植物が姿を消し、公団住宅に、ネズミのかわりに人々が住み始める。向こうから日傘をさしたひとがやってきて、わたしを見て言う。
「こんにちは。お孫さんですか」
「ええ」
「暑くなりますね。お気をつけて」
「ありがとうございます」
 わたしとおばあちゃんは帰ってきた。その途中で、わたしはあまりにも同じ形の建物がいくつも現れるのに目眩を起こしてしゃがみこんでしまう。おばあちゃんはわたしを背負って自分の家に歩いた。
「目を閉じていなさい」
 それからは、退屈な夏休みが続いた。わたしはあと半分も日が残っているのに宿題をほとんど仕上げてしまった。おばあちゃんはわたしをバスで隣町まで連れて行き、映画を見せたりした。映画を見尽くしたあと、わたしはまた歴史のワークブックを開く。宿題はもう終わったけれど、ついでだから先へと進めてしまおう。○○年、救世主が生まれる。○○年、救世主が死ぬ。○○年、大陸が移動す。わたしは新しい歴史の空白を一つ一つていねいに埋めていく。
 帰る日にはおかあさんが迎えに来た。おとうさんは仕事が忙しくて、来られないのだという。わたしとおかあさんは、おばあちゃんの家を片づけて、お昼ご飯を食べてから帰った。おばあちゃんは町の入り口まで見送ってくれ、わたしはまた遊びにいくね、夏に、冬に、休みのときには、と言ったのだけれどおばあちゃんはお手紙でいいと首を振る。わたしとおかあさんはバスには乗らず、おかあさんが乗って来た車に荷物を積んで帰る。宿題の工作は、布を巻いて、後部座席に積み込む大作になった。
「何作ったの」
「女神」
「へええ。あとで見せてね」
「えー」
「えーじゃない。傷付くなあ」
「うそだよぅ」
 助手席で振り向くとおばあちゃんが手を振っていて、その後ろに立つ「おかえりなさい ○○○へ」というアーチを郵便配達人がちょうどくぐったところだった。商店街から先は道が入り組んでいるうえに、子どもが多くて危ないので配達人は徒歩か自転車で、それも倒れそうなほどにゆっくりと漕ぐ。配達人のカバンの中には町名が空白や伏せ字や、不在になった手紙がつまっており、それを順番に、効率よく配るのには熟練の技がいる。しかし、それでも、建物は増殖し続け、形を変え、色を変え、住人は輪廻をめぐるので、届かない手紙は、まるで化石のように、カバンの底へ堆積していくのだった。

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