五条が獄門疆に封印されたまま80年後に解放される話

※五条が存在しなかった死滅回遊なので、本編では死んだキャラの生存有り
※80年後→モジュロから12年後の解釈
※本編中に原作キャラの死亡描写あり(老衰)
※カップリング想定は一切してません。はい。

上記、ご注意下さい。



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「目が覚めたようだな」

 はたと目が覚めた時に聞こえてきた声は、覚えのない新しい声だった。
 そもそもが、己の身体に触れるもの全てが新鮮で、新しいものばかりだ。
 薄い呪力しか感じない空気も、両手足を伸ばしている今の状況も、目を開けば明るさを感じるのも──眼の前に居る九相図の一がやけに親しげに話しかけてくるのも。
 九相図の一・脹相。
 知っているものよりも随分雰囲気は違うが、彼の内包する呪力だけで疑いようはなくて、けれど彼がやけに虎杖悠仁に近い呪力をまとっているのに混乱する。
 そして、気付いた。気付きたくないことに。

「……もしかして、結構時間経っちゃった?」
「流石だな。今日は渋谷での戦いから丁度80年目だ、五条悟」

 はちじゅう……
 呆然と口にすれば、脹相はゆっくりと瞬きをしてから五条が封印されてからの事を語ってくれた。
 五条封印後に暴走した宿儺のこと、夏油の肉体を使っていた羂索という呪術師が起こした死滅回遊のこと、死滅回遊で起きたこと。
 目覚めたばかりの五条には一気に飲み込むのも難しいことばかりだったが、あいにくと元々優秀な頭脳は思ったよりもすんなりと現実を受け止めて、両手で目を覆った。
 何やってんだ、僕は。
 そんな気持ちでいっぱいで、生徒たちが無事だったことをただただ喜ぶしかない。
 
 なのに、死滅回遊だなんてクソみたいなゲームに巻き込まれても「五条悟を解放する」という共通の目標を持って戦ってくれた彼らのほとんどが、この80年の間にもう亡くなっているだなんて。
 そんな残酷なことはないだろうが。

「80年で開けられたのはまだ早い方だ。天元は死んでも、羂索がしぶとくてな」
「あぁ、天元……だから空気が違うんだ……」
「五条悟。まだ身動きは出来ないだろうが、連れていきたい場所がある」
「ん? あぁ、大丈夫だよ。反転回せば、問題ない」
「そうか、ならばついてきて欲しい。会わせたい者が居る」

 脹相は、五条が覚えているよりもすっかり長くなった髪を後頭部でぎゅうと縛ってから、五条の手を取った。
 この九相図は、こんなにも優しい目をするモノだったのだろうか。
 80年。その間に色々あったのは想像がつくが、九相図が五条の目覚めを見守っていた理由はさっぱり分からない。外見的にはあの時チラッと見た姿と、髪の長さくらいしか違わないのに、表情はまるで違う。
 五条の反転が行き渡り、多少フラつきながらも身を起こすのを手伝って、脹相は先に立って歩き出した。
 ここ、見覚えがあるな。
 きょろりと廊下を見渡して、階段を上がって、その先にある枯山水の庭を見る。
 あぁそうか、加茂家だ。
 御三家の中でも保守派筆頭だったあの家には、なんだかんだと五条は足を運んでいた。
 だってあの時は、次期当主の中でも一際幼い男の子がこの庭ばかり見ていたものだから憐れで、退屈そうで。
 五条は家に入ってくるな、なんて言われながらも、何度もここへ飛んでは子供をからかった。
 時には、自分の養い子も連れて来て同窓の誼となれば良いとも、思ったものだ。

 いや、なんで加茂家だ?
 80年後にまだ加茂があったことには驚かないが、自分が居たのには流石に驚く。確かにこの九相図は赤血操術っぽい術式を使っていたような気がするが──

「悠仁、客人だ」
「……は?」
「あぁ、今日は起きているんだな。いい子だな、悠仁」

 は? は?
 声が出て、ドッと心臓がやかましく鳴り始める。
 悠仁。
 加茂家の立派な部屋の中に不釣り合いに置かれている介護用ベッドには、淡い赤色の混じった髪の老人が寝転がっていた。
 その左右に座っているまだ若い男女は、一体誰だろう。
 女性は首から指輪を下げ、男性は大きな剣をそばに置いている。加茂の呪力ではないが、馴染みのある呪力の男女だ。

「ゆう、じ……?」
「……せんせ?」

 脹相の目に引き摺られるように、五条はノロノロと部屋の中に入り、背後の戸は背の高い青年がそっと閉じる。
 あぁ、馴染むわけだ。彼はきっと、乙骨の血縁者だ。まだ30代ほどだろうか、若くて、そこそこに、強い子。
 彼は戸を閉めた時と同じようにそっと五条の背を押すと、背を上げたベッドに導いてくれた。

「せんせ……あぁ五条先生だ。先生……」
「悠仁……悠仁なんだね」
「ごめん、ごめんなぁ先生……俺たちもっと、もっと早く、せんせ、出してあげたかった……乙骨センパイも、伏黒も、ずっとずっと、おれらずっと」

 ほろりほろりと、しわくちゃの顔が涙を流す。
 その顔に刻まれた傷が、その言葉が、彼を間違いなく虎杖悠仁だと識らしめて。五条は我慢出来ずにすっかり小さくなってしまった彼の手をぎゅうと取った。

「ごめん、すげー待たせて、ほんとごめん」
「謝るのは僕でしょ……もっと早く出てこれなくてごめん。みんなに苦労ばっかりかけたんだよね、ごめん、ごめんね悠仁……」

 悠仁は、待っていてくれたのだ。呪術師の寿命は短い。天寿を全う出来る者が一体どれだけ居ることか。
 なのに彼はこの80年、老いて自ら動けなくなってもただ五条を早く解放したいという気持ち一本で生き抜いてくれたのだ。
 目が覚めた時、五条悟が一人ではない、ように。

 悠仁は何度も謝りながら、ほろりほろりと涙を落とした。
 その意識が落ちて、五条と握りあった手の力が段々と弱まっても、まだ謝って。

「待っていてくれてありがとう、悠仁」

 なのに、あぁ、なんで自分は泣けないんだろう。
 目の奥がズンと重く、熱っぽくて、鼻の奥がツンとする。なのに、涙は体内で枯れ尽くしてしまったのかついぞ出ないままで、それが悲しくて悲しくて堪らなかった。
 呪いであった脹相も、悠仁を見守っていた男女も、悠仁本人も、こんなにも涙を流せるのに。
 まるで自分自身が呪いのようだと、五条は涙をこぼす代わりに悠仁の手をぎゅうと握って、離さなかった。


 


「本気か? 五条悟」
「そこそこ本気。だってまだ、東京の呪霊は狩り尽くしてないんでしょう?」

 悠仁が天に帰っていくのを見守りながら、五条の言葉を聞いた脹相は驚いた眼をむいた。
 五条悟の生存と復活は未だ秘匿されているが、そのうち彼の呪力に引き摺られて再び呪霊も、呪詛師たちもざわめき始めるだろう。
 脹相と五条、そして乙骨兄妹で話し合った結果、その対処は逐一していくしかないという結論を抱くしか出来なかった。
 しかし五条は、乙骨兄妹が去ってから脹相に東京へ行くと言った。
 喪った天元の替わりとして、六眼を半分捧げて東京だけに結界を作り、自分はその中にこもろうと思う、と。
 渋谷事変から新宿の決戦までで破壊し尽くされた元首都・東京。
 呪霊をおびき寄せるのにはこれ以上ないロケーションだし、彼自身が結界の一部となれば面白がって挑む呪詛師も居ることだろう。
 でもそれは、あまりにも辛い決断ではないだろうか。
 彼は80年間獄門橿の中で孤独を舐めた。その上でまた一人、孤独の上に座ろうというのか。

「……俺も行こう、五条悟」
「は? でも君、加茂の御庭番みたいなもんなんでしょ?」
「悠仁の護衛だ。だが今は、その任もないし、悠仁の他に俺に命令出来る者は居ない。俺はお兄ちゃんだからな」
「いや知らんけど」

 五条悟は、乙骨憂太と禪院真希が代を続けていたことも、自分の知っている者がもうほとんど生きていない事も知ってしまった。
 もしかしたら今後、彼はその術式の影響でずっと見送り続ける側になるのかもしれない。
 恐らく、それに付き合ってやれるとしたら自分くらいだろうと、脹相は思ったのだ。
 弟を死刑台から引きずり下ろし、見守り、育てた男。
 弟にとっての恩人であるのならばそれは、自分にとっても恩人なのではないだろうか。
 脹相の頭脳は0.0000001秒でその結論を導き出し、この時初めて己が呪霊として簡単に消える事のない身である事に感謝した。

 己は、五条悟を置いていく側ではない。

 弟がしたかった事を、弟の代わりにしてやれる。
 弟たち全員を見送り弔った今、生きる指針のなくなった脹相にとっても、それは大きな希望であるとも言えた。

「ま、いいけど。途中で死にかけても助けてやんないよ」
「問題ない。反転は習得している」
「ははっ」

 そういう意味じゃねーっつーの、なんて言って笑いながらも、五条の顔はどこか歪んでいる。
 美しい顔の造形は80年前のまま。
 だが、その奥にある歪みは、80年分一気に押し寄せてきたような、そんな顔をしている。
 脹相にはその歪みを発散させてやる術はない。何しろ彼が目覚めてからがほとんど初対面だ。そんな力も権利も、立場もない。
 ならば何が出来るのか。

「力いっぱい暴れろ、五条悟。今の東京なら、誰も咎めん」
「マジか。ラッキーじゃんぶっ壊してやろ!」

 沢山発散すれば良い、五条悟。
 80年封印されていたお前にはそれだけの元気が残っている。
 脹相は新しい弟が爆誕してしまったような複雑な気持ちになりながらも、ぴょんぴょんと宙を跳んで行く細長い背中を追って走った。

 その背後を、若い兄妹が追いかけてきているのには、気付かないフリをして。

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