さみしさが滲む海で



 ねえ、桃。この世界には平等なんて存在しないのよ。
 真依ちゃんが、はっとするくらい綺麗な顔で、どこまでも美しく笑う。それが余りに整っているものだから、何にも間違いなんてないような気持ちになる。
 彼女の言葉と彼女の持つ美しさは、いつも真逆の性質を持っていた。

・・・

 この腐った呪術界でも指折りの、その濁りを煮詰めた御三家の一つ、禪院家では、耳を塞ぎたくなるような古臭くて終わっている価値観がどこまでもどこまでも深く、根のように張っている。
 禪院家にあらずんば、人にあらず。呪術師にあらずんば、人にあらず。
 一般とは乖離し一線を引いている呪術界といえど、道徳教育が為され一応は最低限の倫理的規範が存在するこの現代で、良くもまあそんなことが堂々とのたまえるなと、その面の皮の厚さにだけは感心を覚え……いや、覚えない。ひと思いに滅んじゃえばいいと、私は思う。ひと欠片のカワイさもない、本当にゴミ溜めのような場所。
 その地獄で生まれたその子は、双子の妹だった。
 泣きながら生まれてくる赤ん坊は、母親のお腹の中という安全地帯からこんな世界なんかに引きずり出されたことに泣いているのだ、という話を読んだことがある。呪術の血を得た子ども、ひいては、あの家に生まれ落ちた子どもは、その理由で泣くのかもしれない。
 例えそうでも、姉とともに、ひとりぼっちでは生まれなかった真依ちゃんは、生まれたときのさみしさが他の子よりも小さかっただろうか。
 誰かと命を分けるなんてこと、私は経験したこともないから。
 真依ちゃんが、真希ちゃんのことをどう思っているかは、本当には分からない。だけど、大事な人なんだってことは分かる。
 基本的に、湿度の高い煽り方をする割には大概の人間に対してドライな印象があって、その口の悪さで人を遠ざけている真依ちゃんが、真希ちゃんの話をするときは、いつもどこか薄い膜が張る。余りにあからさまな嫌悪の内側に、他の人には持たない何かを大事に隠してる。それだけは分かって、それだけが分かるからこそ、双子ってものは特別なのかもしれないと私は感じていた。

・・・

 禪院家の屋敷の中に踏み入れる前に、門前の階段を下りてくる姿があった。知っているのに見慣れない、火傷の痕が全身を覆う傷だらけの真希ちゃんと、真希ちゃんに抱えられた真依ちゃんの姿が。
 私は、二人に駆け寄った。それから、真希ちゃんの手によって、静かに地面に下ろされた彼女の身体をかき抱く。
 触れると、はっとするほどつめたい身体。ずっと、きめ細やかで綺麗だと思っていた彼女の肌は、熱を失うと、本当に陶器のようだった。もう生きてはいない赤みのささないその身体。
「……後、頼む」
 そう言い置いて、真希ちゃんは振り返ることなく行ってしまった。私はまた、後ろ姿を見送ることしかできなかった。
 真希ちゃんはこれから、どこへ行くのだろう。真依ちゃんをここに置いて。他にどんな代わりもいない、たった一人の妹を置き去りにして。
 白い頬を、親指の腹でさするようにして撫でる。
 ねえ、真依ちゃん。
 私は行くなって言ったのに。行かないでって、お願いしたのに。
 生前も彼女の心に届かなかったその言葉は、今もどこにも届かない。
 何を止めることもできなかった私の腕は、彼女の骸を力なく抱いていた。

・・・

「真依ちゃんの遺骨は、一応……比較的安全なところに置いてあるから」
 渋谷だけでなく、日本全土がめちゃくちゃになってしまっている今、無事な場所も何もないかもしれないけれど。それでもそれを真希ちゃんに告げると、真希ちゃんは静かに頷いた。
「ありがとう。……墓とかどうとかは、目の前の問題が片付いてからだな」
 私は頷く。そして、そこで、ふと、私の目の端に触れたそれが、異様に私には気になった。それは前にも、目にしたことがあるはずだったのに、今確かな存在感を伴って、そこに存在している気がした。
「ねえ、真希ちゃん、それって」
 もしかして、と言い切る前に、真希ちゃんが私の目を見て頷いた。
「真依ちゃんの……」
 続けて言葉が零れて、真希ちゃんが何も言わずに、傍らにずっと置いているその刀を優しい手つきで撫でた。
 こらえたかったのに、あふれた涙が目の縁から零れ落ちる。
 ほんと、桃は泣き虫なんだから。真依ちゃんの声が聞こえた気がした。
「真依ちゃんを、よろしくね」
 あの日、頼む、と言われた言葉を、私は返した。真希ちゃんは、静かに頷いた。
 ああ。
 もう、一生一緒なのね。離れないんだね。
 今目の前で、世界が終わるかもしれない戦いが行われていて。
 だけど多分真依ちゃんは満足している。
 もう二度と離れ離れにならないから。
 世界で一番居たい場所に彼女はきっといるから。
 一番の願いが、もう、叶ってしまったから。

・・・

 いつだったか、霞と真依ちゃんと三人で、海を見に行ったことがあった。
 任務の待機時間がやたらと長くて余りに手持無沙汰だったから、待機場所の山の高台から目の前に広がる海までちょっと下りてみようと霞が言い出したのだ。日本海の冬の海なんて、寒いわ荒れてるわ暗いわでイイトコなんて皆無でしょ、時間と体力の無駄だわと真依ちゃんは一蹴した。そんなこと言って、夏の海なんて真依にはもっと似合わないのに、と霞は口をとがらせていた。
 でもやっぱり暇だったから、なんだかんだ言ってみんなで降りた海は、案の定薄暗くて、更に何もこれといったものがなかった。
 ほら、言った通り。馬鹿みたいじゃない、わざわざこんなところまで来て。
 いつも通りそう悪態をついて、だけど何故か真依ちゃんは少しだけ嬉しそうだった。多分霞は気づいてはいない。余りにも微かな機嫌の上がり方だったから。
 波は高く荒れていて、上にも下にも一面に広がる空と海は同様にグレーで、陰った太陽のおかげで少しも明るくなんてなく、肌をただ冬に似つかわしい冷たい風が撫でていく。
 さびしい場所。
 冬の海は初めてじゃないけど、それでもこんなに薄暗く何もない場所だったかと、不安に思うくらいの。
 海が、優しくない激しさで、波を巻いている。命の激情と、でもどこか他を寄せ付けない静けさに満ちている。何もなくて、だけど全てがそこにあるような。
 海は特別な場所ではなかった。私にとっては。だけど、三人で来たのは初めてだったから、なんだか不思議な気持ちがした。剥き出しの自然は、どこかいつもとは違う物思いを引き出すのかもしれない。何故だか、ほんの少しだけ、私はここが懐かしかった。
 生まれる前、私たちはその海の中にいた。溺れることもなく、温かな波の中で揺蕩うように。
 どこで拾ったのか、枝で砂に文字を書いている霞から少し離れて海辺を歩く真依ちゃんが、浜辺の砂は靴に入り込んでくるから最悪、みたいなことをまた言っている。
 姉と二人。たった二人だけで身を寄せ合っていた、母親のお腹の中にいた頃と。なんだか似ているところもあるのかもしれない。私はそれを知らないし、想像でしかないのだけれど。
 そんな思いつきを口に出したとしたらと考えて。はぁ? 気色の悪いことを考えないでよ桃、と本気でイヤそうな顔をする真依ちゃんの顔が浮かんだ。

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