生まれ変わったら衛星になりたい

「あまぎ」
 そう声を掛けてきたそいつの目は、少しも俺のことなど見ていなかった。
「知っていますか? 月ではうさぎがお餅をついているのですよ」
「……。へェ〜燐音くん知らなかった、メルメル先生ってば物知りィ〜」
「……ふふ。いや、すみません。揶揄う意図はないのですよ、無駄に優しいですねあなたは」
「ひと言余計だっての。故郷から出てきたてのまだまだ純粋な俺っちなら無邪気に信じたかもしンねーけどよ、流石にもう痛いっしょ」
 ぶーたれてぼやけば彼がようやくこっちに顔を向けた。真ん丸のお月さんと同じ色の目がきょとりとまたたいた。ニキほどじゃねェけど俺だって花より団子だ。秋の夜長に月を眺めるっつう行為は確かに風情があって良いものなのかもしれねェが、もっと即物的なものを求めてしまう質なのだ。そう、例えば、目の前の綺麗な男に触りたい、とか。
「――ああそうだ、ではこんな話は?」
 そう言って彼が話し出したのはこんな内容だった。月の模様が何に見えるかは国によって異なる。日本ではうさぎだと言われるけれど、例えば南米ではワニに見えたり、ヨーロッパでは蟹に見えたりと、そんなかんじ。
「へェ。それはマジで知らなかった」
「興味深いと思いませんか? 同じものを見上げているはずなのに、立っている場所によって見え方が違うなんて」
 まるで俺達……アイドルみたいだ。
 HiMERUは――要は、ふっと笑みを零してから一度瞼を下ろした。きらきら輝くまあるい月が、徐々に欠けていって、完全に隠れて見えなくなる。
「そりゃな。人間誰だって見たいようにしか見ねェモンっしょ」
 『こうありたい』と思う姿でステージに立てたなら、そりゃ俺らにとっちゃ幸せなことだ。けれど俺達はアイドルで、あくまで商業的な存在だということを忘れちゃならない。見たいものを見たいようにしか見ない大衆が俺らのお客サマ。運が悪けりゃそいつらの手で型に嵌められて『どう生きるか』まで定められちまうことすらある。結果誰かさんの偶像でい続けられたとして、それは本当に幸せなのだろうか、なんて。たなびく雲に覆われて薄ぼんやりとしたお空の月を睨みながら思う。
「――もし」
 紗幕に覆われたかのようなやわらかな暗闇にしんと滲み入る、静かな声が落ちた。
「もし、今度あなたがどこかへ消えようとしたとして」
「……うん」
「その時は、月の模様が何に見えるか聞きますから」
「国外逃亡前提?」
「二度目も国内では芸が無いでしょう」
「馬っ鹿、失踪に面白さ求めてンなよ」
「ふふ」
 要は小さく笑ってまた顔を背けてしまった。金色の光が開け放した窓から暗い部屋へ差し込んで、彼のつるりとした頬には長い睫毛が影を落としている。
 地球上のどこにいたって、俺はこうして、たったひとつの星を見つめていると言うのに。何度言い聞かせても生返事で軽くあしらって、そのくせどこか寂しそうな顔をして見せる。言葉を尽くしても伝わらないならば態度で示すしかないとは言うけれど。
「……今度はおめェに見つけてもらえるとこにいるようにする」
「あの時はしてやられましたからね。次はないのですよ」
 背中からその腰に両腕を回して強く抱き締める。いつかいなくなることを想定してこんな風に軽口を叩くのは、いざそうなった時動揺しないための、彼なりの心構えなのだろうけれど。今となっては互いに離れられなくなってしまっていることを、俺もこいつも言葉にはしなくともわかっている。それはもう月と地球の間の引力みたいなモンだ。それでも臆病者同士な俺達はいつだって、心の内で喪失の準備をする。

 ――今度どこか遠くへ行く時は、そうだな、彼の手を取って月明かりも届かない地球の裏側まで行こうか。星は孤独には光れないから、暗がりで彼を照らすのは俺でありたい。そう伝えたなら要は「馬鹿なひと」と呆れたように言いながら、胸のつかえが取れたみたいに目を細めて笑ってくれた。
 朧に照っていた月が雲の裏からその姿を現し、また煌々と光を放ち始める。俺はなおも目の前できらめくふたつの黄金に視線を奪われたままで、他に何も要らねェな、なんて馬鹿みたいに考えていた。





(ワンライお題『暗黙の了解/月』)

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