芋餅
疲れた顔したOLのおねえちゃんが寝床の暖簾潜ったと思ったら、ギャア、と一言、回れ右して馬に乗った将軍様みたいに勢いよく出ていった。
「何や今の……。」
「……何ですか?」と四草が振り返った時には、一寸だけ開いた玄関があるだけで、本人はおらへん。
「四草君のファンとちゃう?」と酒のお代わり持って来たお咲さんが言った。
「僕やのうて、ただの時代劇ファンと違いますか?」
ま~あ、十二時間ドラマに出た俳優さんは言うことが違いますなあ~。
オレかて、なんやもうちょっとオヤジに似た御面相なら、今頃は役者デビューして、太秦の映画村で火付盗賊改とか、府警の捜査一課長とかやってたで……。
「けど、本人に突撃せえへんと逃げていくて、今時の女の子にしては、奥ゆかしいわねえ~。」とカウンターにいた菊江はん。
ていうか、今の今まで全然話に入って来てへんけど、まさか寝てたんやないやろうな……。
オレかてもう酒入ってんねやから、こないだみたいにおぶって帰るのは勘弁やで。
今日はおチビは若狭のとこに預けて、大人は宴会やで、て気炎上げて久しぶりに寝床に繰り出して来たのに、このオバハンは……。
「そうかもなあ……と言いたいとこやけど、最近あないして、天狗座の帰りに一人で飲みに来はるお客さん増えてるねん。」熊五郎はんがしゃべり出した。
「そうそう、お酒もジュースも飲まへんと、暖かいお茶ください言うて、それが悪いていう訳と違うけど、駅のマクドの窓際に座ってるお客みたいにして、誰としゃべるでもなくスマートフォン弄りながら、夜でも揚げ物と煮物とちょっと頼んでご飯で食事だけして帰って行くから、相手も女の子ていうのもあって、……まあこっちも、お酒とかどうですか~とか聞きづらい雰囲気やねん。お酒飲むにしても、宅飲みてヤツ?」
「それはそれで、健康的でええのと違いますか?」と四草が言った。
まあ、今時、不健康に酒飲んでるのはオレらみたいなおっさんだけか。まあええわ。
「今時の流行りの店のメニュー見てたら、なんやノンアルの品ぞろえ多くしたり、クリームソーダていうの、甘味のラインナップ増やしたりしてるから、うちもそないしたらええかなとは思うんやけど、客層がばらけてしまうやろうし、いつものお客さんも楽しめる店にしたいのよね。」と言いながら、お咲さんが焼きたてほかほかの芋餅を持って来た。
「昼の定食、夜もコーヒーと甘いもん付けてやったろか、て言うほどは人数おらへんのからなあ。そういうたら、草々くん、草若さんと四草くんと徒然亭の夜席の時はなんや普通の師匠方の時よりそういうお客多いなあ……。」と呟いた。
いや、それほとんど四草の客と違うか……?
「なんや時代は変わったわねえ。お酒とビールだけあってもあかんか…。」とそない言いながら手酌の菊江はん見てたら、もうこっちで一緒に飲んだらええやんか、と言いたくなる。
「今日は磯七さんは?」
「そういえば、このところは昼しか見てへんなあ。草々くんとこの新しい子に髭剃りとか教えたら、それで一日終わってしまうて言うてたで。」と四草の合いの手に熊五郎さんが答える。
「忙しいてええことや。引退前にもう一花咲かせたろ、てとこなんやろ。あんたらも、時々お昼に顔見せに来たらええわ。落語聞いてる時よりパリッとしてるで~。」と言った途端に、また扉が開いて、今度はパリッとした顔のお姉さんが……いや、あんたさっきの人と同じ人とちゃうか…?
スーツも、そのハンドバックも、ストッキングの色味もおんなじやで。
顔とヘアスタイルだけ違うて、その小さいハンドバックの中に、七つ道具でも入れてんのか?
「……何ですか? ああ。」
「ああ、て何やねん。」
「草若兄さん、スーツの女好きですもんね。」
ドアホ、お前のファンにスーツの女が多いんや。
「……しょうもないこと言うてたら芋餅やらへんぞ。」
「どうせ半分しか食えへんくせに。」
「お前は弟弟子なんやから、兄弟子の言うこと聞いてたらええねん。」
……こいつはもう売約済みなんで、て顔してても、何の牽制にもならんやろな。
まあええか、今日は半分よりちょっと多めに食べさせたるわ。
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