開店休業



バレンタインの翌日の花屋は、ほとんど開店休業に近い。
ゾンビアポカリプスの後の世界はこんな風なのだろう。一体、地球上でどれだけの人間が愛を語らう日になるのかは知らないが、紅白の薔薇からピンクのチューリップに至るまで、情熱と恋慕を示す花が売れに売れたその翌日の花屋は、目を開けたまま寝ていてもいいくらいに客が来ない。
「ヒャッハー! 仕事が暇すぎて最高!」などと言えるような人種なら、元から七面倒な客商売などやってはいない。
悪魔でも詐欺師でもいい、誰か俺の話し相手になってくれないか。
サムバディ~~~~ウウ~~~~ア~~~~~~と脳内で派手にフレディ・マーキュリーばりのこぶしをぶん回したところで、当たり前だが客はやって来ない。
仕方ないからInstagramでも更新するか、とログインしようとしたらパスワードを忘れていた。
日本じゃ、人生のパートナーは元気で留守がちであることが何より大事だ、という分かるような分からないような諺があるらしい。大学に通っていた頃にアジアから来ていた同級生のひとりからそんな風に聞いた記憶はあるけど、元気で留守してパスワードを忘れるなんてとんだボケ老人じゃないか。なあ、三か月前の俺よ。
世間的には若人と言われるヤツらから読書のおススメでもと暇つぶしに始めたTikTokのアカウントの方はなんとか無事だったので、動画モードを起動させながら、ダリアやカスミソウ、ブロッサムスプレーにユーカリピック。昨日の売れ残りの白いオールドローズを中心に、適当ブーケを作った。三十分と時間を区切り、すっかり手垢がついてしまった配色のアイデアの本を開きながら、十五秒で花同士と包み紙、リボンの配色を考えて作業開始。
短く切り過ぎた爪にスワロフスキー付けとくのを忘れちまってるのに気づいた。……まあいいか。こういうのは実際にやってみないと分からないが、ちょいと自意識過剰なヒューマンが、ナミビアの砂漠に置かれたカメラの前に水を飲みに来るシマウマのように振舞うことは難しい。
売れ残りがちな花を使っていい感じに仕上げたい、という下心はどうしても顔に出るもんだ。映すのは手元だけ。不要な葉をむしり取って、ワイヤーでくるくると縛る瞬間が一番好きだ。
たまにはこういうお遊びで慣らしておかないと、突発的な客が来た時に、タイムアタックでブーケを仕上げるのは難しい。もう若くもないので、咄嗟にこの客にはこれを売りたいって商品を勧められないで終わってしまうこともある。
一見さんにも常連さんのように惜しみなくサービスする、ってのは最初に勤めた花屋の店主の流儀で、それを俺が勝手に引き継いだものだ。
こういうのはリピーターを増やすのが大事で、売り上げは二の次だ。
学生時代を過ごしたボストンで花屋のアルバイト店員をしていた頃は、見ている人が春めいた気分になれるようにとパステル系の色合いのものを勧めていたし、実際に売れていた。俺は基本的にミモザや向日葵みたいな黄色い花が好きだが、ここはサンフランシスコ。そもそもがそこまで寒くなりようのない街だ。
かつて父母の家があった場所の近くの街に戻って来て十数年。
花屋は景気にも左右されるし、驚くことに、感染症にも左右された。
景気が落ち込めば売れなくなるというのが世の常で、近所にある大学も休講続きになった。人々は在宅で仕事を始めるようになってからというもの、劇場は上映中止が重なり、年に数回はプロポーズをしているカップルが見られるような名のあるレストランも、夜は閉店。そんなこんなで、売れ行きが悪化するようになってからの数か月が一番厳しかった。その後、普段はさしてモノが出ない鉢植えや少量の切り花が売れていくうちに、うちの売り上げは奇妙なV字回復を見せるようになった。なぜだ、と思っているうちに、通りのいい場所に店を出してうちと競合していたチェーン店の大手が、このご時世に、安くて広い店舗を求めて郊外に店を移転してしまったことを知った。これまで見なかった一見の客がうちの店に足を運ぶようになった。
その上、流石にクエイド財団の本拠地とあって、セキュリティ対策で在宅仕事が難しいというネクタイ族の男女が粛々と通勤を続けているのと、海外に出歩けない人々の気分転換というので、売れ行きも多少の横ばいくらいでどうにか潰れずに、店の経営がなんとかなってしまったのだ。まあ、今も自転車操業には違いないが。人生ってのはどうなるか分からないもんだ。
さて、完成。
観客のいない店で俺ひとり。
「コングラッチュレイション~!」と叫ぶ。
痛々しいほどの独り言だが、睡眠時間五時間で作ったにしては、ブーケはまずまずの出来だった。
動画を終え、さて、とリボンやワイヤーの切れ端をざっと片付けたテーブルに小さなレフ板を置いて出来上がったブーケの写真を撮ってみる。
写真を撮ると、動画よりはずっと客観的に見られる。
ここに店を開いた頃に作ったものと比べてみると、多少のこなれ感は否めないが、半分の時間で、自分が納得できる出来栄えには仕上がっている。
次の客にこれをただでプレゼントするのはどうだろうな?
そう思っても、待てども待てども客は来ない。
これだけクエイド財団の本拠地と大学に近いんだから、バレンタインの翌日が恋人の誕生日だとか、たまには花を買って職場に行こうとか、密かに作った薬で、白い薔薇を青くしてみようだとか考える物好きがいてもいいんじゃないだろうか。
仕方ないから休憩するか、と三軒隣のコーヒーショップに行くつもりで立ち上がると、通りに出たタイミングで、たったっと軽快に走る足音が聞こえて来る。
おっと、うちのお客かな、という顔はしないでおこう。そう思っていたら、顔の半分が髪で隠れたアジア系のイケメンが通りを走って来た。
今日は珍しいことに眼鏡を掛けているが、どう見てもあのドクタージョーだ。
このところ伸ばしっぱなしにしている髪を後ろで括っているところをみると、どうやら危急の用には違いないが、徒歩というのは珍しい。
片手を上げ、今日はどこへ、と言わずもがなの問いを尋ねようとした。今まさに俺が顔を出そうとしていたコーヒーショップが彼のお目当てであることは分かっちゃいるが、万にひとつのうちに買い物に来た日かもしれないという希望はパンドラの箱の底に残っている。
潜在的な顧客には、礼を失するわけにはいかない。そう思っていたら、ドクタージョーは俺の目の前で息せき切って急ブレーキをかけた。
「ジョー先生、どうも。」といつものように笑顔を押し売りすると、珍しく一人でやってきた医師は「やあ。」と言って顔を上げた。
息を吐くのに膝に置いた片手を挙げての挨拶。
この銀縁眼鏡の男前は、クエイド財団の御曹司、ショーゴ・アサクラとツーカーの仲らしいが、そんな噂に臆していては、花屋は務まらない。
「最近、何か運動してます?」
「明日からやろうと思ってたんだ。」と爽やかに笑う感じの良さは、数年前にうちの常連だったクエイド大学の中国人留学生と本当によく似ている。
生まれ故郷じゃ、きっといいとこの坊ちゃんだったんだろう。この辺りでは有名な流しの医者であるドクターTETSUとこの人は、日本人であるという共通項以外に何もないように見える。とはいえ、ふたりは言うなれば御神酒徳利のようなもので、ごついおっさんの横で幸せそうに通りをぶらついているときの普段の様子を見ていると、この先のクエイドを背負って立つ人材とも思えないのも事実だ。
「赤い薔薇を、この店にあるだけ売ってほしい。出来る?」
「……は?」
全部となれば持ち帰れませんよ、と言いたいところだが、なんと今日の薔薇の入荷はほとんどないも同然だ。それは薔薇だけに限らない。
バレンタインデーの翌日、しかも平日だ。売れる気もしないので、ほとんど仕入れていない。
おお、神よ。
ドクタージョーは、アジア系らしく若く見えるが、クエイドに勤めて早数年。大学に入ったのも二十代後半となれば、今はもうすっかり中年医師で、懐をこっちで勝手に気にしてやる必要もない。
普段は存在の端切れも感じたことのないカミサマってやつに向かって、なんで昨日こいつをうちの店に引っ張って来てくれなかったんだ、と大いに罵倒した。
これが昨日の話なら、リムジンでなきゃ運べないくらいの本数を押し付けられたのに。
赤い薔薇は、奥から昨日の売れ残りでせいぜい生きのいいのをかき集めても三十、あるかないかというところだ。とはいえ、上得意、とは言わないまでも、パートナーであるドクターTETSUの手前もある、常連客が納得しないような商品は売れない。
「二十五本なら。」と忸怩たる思いで答えると、ドクタージョーは、え、と言って目を丸くした。
「格好を付け過ぎた。」と頭を掻いて「出来れば僕が片手で運べるだけにしてくれないか。」と笑われてしまった。
二十五本の薔薇を軽いと思うかどうかは、そもそも買う人次第ってことだろう。
「そうですか。二十一本なら?」
「あまり変わらないように見えるけど、本数に何か意味が?」
「真実の愛、……って店もあるにはありますけど、ボリューム的には、家に花瓶が三つもありゃあ、いい感じに分けて入れられもするんで。」と俺は答える。
これが女性客や年の離れた学生なら、こういう単語も営業トークの中でてらいなく使えるんだが、同年代の、しかもちょっと年下の男に『愛』を分かったような顔で売りつけるのはおっさんのマンスプレイニングだ。妙にこっ恥ずかしい。
「まあ、赤い薔薇は目立つからなあ、十二本だって恋人は喜ぶでしょう。」
恋人、いや、もうただの恋人じゃないのか。
っていうか、渡す相手、俺知ってるな……?
いいのか?
ちらりとドクタージョーと、左手の薬指に燦然と輝く指輪を見た。
「抱えられる数ならどれだけ多くても構わない。これからまた戻らなきゃならなくて。」
ドクタージョーは、大学の方で開催されてる会議を抜けて来たんだ、と言って、財布の中にあるカードを探している。
「リボンと花束を巻くのに使う色紙はどれにします?」
「お任せで。」
「……ツケにしときましょうか?」
俺としては現金の方がいいが、どうせカード払いなら、払いが今日だろうが明日だろうがそう変わりはない。
「いや、そういうのは、彼に知られたら後で大変だから。」
彼、か。
この人、職場でもこんな風にオープンにしてんのかな。
いつかの日にドクターTETSUが抱えていった十二本の薔薇は、きっとドクタージョーの手に渡ったはずだ。
うちの薔薇が喜ばれたのかもしれない、と思うと嬉しくないわけじゃないが、ドクターTETSUには、この人に売りつけたのが俺だと直ぐに分かってしまうだろう。
ショップカードのロゴが描かれたシールを付けて渡さない訳にはいかないのだから。
まあドクターTETSUほどの男なら、理不尽にクレームを入れたりはしないだろう。
パートナーの真剣さを笑わずに受け取ってくれりゃいいけど。
そう思いながら、バックヤードから薔薇の花を取って来ると、ドクタージョーはさっき俺が作ったばかりでレジの横に立て掛けておいたブーケをつくづくと眺めている。
「しかし、なんだってこんな日に薔薇を? ドクターTETSUの誕生日とか?」
指輪はあるんだから、プロポーズは終わってるはずだ。
「バレンタインのことを忘れててね。すっかり今日だと思ってた。」
「は? バレンタインデーを?」
そりゃ、そういう客がいないかとは思っていたけれど、流石にクエイドに勤めていて間違えることはないだろう。昨日も、数十人もがうちの薔薇を買っていったはずだ。基本的には多くて三本。フロアは違っていても、そういう浮かれた雰囲気は伝わっているだろうに。
「ここしばらく、仮眠ばかりでちゃんと寝てなかったから、頭の中でずっと一日ずれていたみたいなんだ。今日が二月十四日だって頭はあるのに、その日付もバレンタインデーと結びついてなくて。チョコレートも、その日が終わる一時間前に食べたから。」
パートナーが食べさせてくれて、とドクタージョーは頬を赤らめている。
「それは、どうも……?」
強面の男がパートナーにだけは甘いってのはよくある話だが、ハズバンドとかベターハーフとかそういう言葉があれほど似合わない男もいない。
この人の言う「彼」が、本当に俺が思ってる人間と同じ男なのか。
そうは言っても、この働き盛りの医者が、「あの」ドクターTETSUにメロメロであることは普段のこの人の挙動を見ていればよくわかる。
いや、考えるのは後にしよう。
時短優先で薔薇を纏めてしまおうと決め顔を上げると、彼はまだ即席のブーケを眺めている。
「それ、気に入りました?」
「あ、うん。薔薇が似合う人だけど、もし食卓に置くならこういう淡い色も素敵だ。流石に持っていけないかな。」
薔薇が似合う人だ、と言われて流石に吹き出したくなった。いくらなんでもあのドクターTETSUのことを捕まえて薔薇が似合う?
まさかこの人の目にはあの渋いおっさんがブリトニー・スピアーズにでも見えてんのか、と思ったが多くは語るまい。
ドクタージョーは、とうとう財布の中を探して札を取り出し、チップはこれで足りるかな、と言った。
「俺がまとめて職場まで運びましょうか?」
「え?」
「それなら、やっつけ仕事じゃなく、もっと丁寧に薔薇を纏めてお届けしますよ。」と言うと、正直だな、と言って彼はにやりと笑った。そういう顔をすると、パートナーの悪い顔にそっくりだ。
「この先、うちの店を贔屓にしてもらえるなら、そのくらい安いもんです。その代わり、今年のクリスマスとか、お相手の誕生日なんかにはうちのことを思い出してくれたらそれで。」
はい、どうぞ、とショップカードを彼のポケットにねじ込む。
「ああ。」
「配達先は、一旦あなたのフロアへ? それとも、直接ドクターTETSUのフロアがいいですか?」
「関係者以外は裏口から………って、あなた、僕と彼のこと知って!?」
今か?
反応が遅すぎないか、と思ったが、これが睡眠不足の人間の不味いところなんだろう。
「ドクターTETSUが時々してるのと同じ指輪でしょう、それ。」と言うと、ドクタージョーは真っ赤になっている。
「うわあ、いやあ、あの、………忘れてください。」
代金は倍払うので、とまで言っている。
好き勝手に惚気ていた、さっきまでのあの余裕はどこへ行ったんだ?
「うちの薔薇の料金は守秘義務込みなので。」と言うと、「そうは言っても、勘のいい人だからなあ。」と言ってドクタージョーは苦笑した。
気持ちは分からないでもない。
時々、三軒隣でコーヒーが飲みたい、と思ったタイミングで、コーヒーを差し入れに来ることもある。
「僕は、逆にこのところは勘が良くなくて。」
昨日はチャンスだったのになあ、としきりに嘆息している。
「バレンタインのやり直し、上手くいくといいですね。」
「まあ、僕にとっては、彼と一緒にいられる日は毎日が記念日みたいなものだから。」とドクタージョーは言って、薔薇は目立つから、これだけ先に持って行くよ、と小さなブーケを手にした。
ブラウンのリボンでまとめた白いブーケは、彼に似合っている。
「ドクターTETSUも惚れ直すと思いますよ。」と言うと、ならいいけど、と言って彼ははにかむようにして笑った。






Fuki Kirisawa 2024.02.17 out

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